ミルズとラザースフェルド
チャールズ・ライト・ミルズという社会学者がいた。彼が書いた『社会学的想像力』という著作は、国際社会学会の会員たちが選んだ「20世紀の重要な社会学の著作」の第2位にランクインされるほどよく知られている。
他方で、ポール・ラザースフェルドという社会学者もいる。マスコミュニケーションの効果研究の第一人者として知られた人だ。実はミルズはラザースフェルドの調査を手伝ったことがあるのだが、この二人のスタンスは大きく異なる。そもそも研究のスタイルが全く違うのだ。ラザースフェルドは社会調査に基づく厳密な研究を志向する一方、ミルズはより大まかに米国社会全体を分析しょうとする。
ある論文を読んでいたら、この二人の仮想的な対話が紹介されていた。ぼくとしてはなかなか面白かったので訳出してみたい。
私のお気に入りの妄想の一つは、ミルズとラザースフェルドとの対話で、前者が後者に『社会学的想像力』の最初の一文を読んで聞かせるというものだ。
「こんにち、人びとはしばしば自分たちの私的な生活には一連の罠が仕掛けられていると感じている」
ラザースフェルドは即座に反応する。「どれぐらいの数の人が、どのような人が、どれぐらいの期間にわたってそのように感じているのだ?私的な生活のどの側面が彼らを悩ませていているのだ?公的な生活は彼らを悩ませていないのか?彼らはいつ罠が仕掛けられておらず自由だと感じるのだ?彼らはどんな種類の罠を経験しているのだ?それから、それから、それから…」
もしミルズが屈したなら、二人は最初の一文を検証して精緻化するべく、国立精神衛生研究所に100万ドルの助成金を申し込まねばならない。彼らには何百人ものスタッフが必要で、研究が終了した暁には彼らは『社会学的想像力』ではなく『精神衛生に関する米国人の見解』という著作を書くことになるだろう。まあ、彼らがとにかく調査を終えて、どちらかが何かを書こうという気になれば、の話だが。
(出典)M. Stein (1964) ‘The Eclipse of Community’ in A. Vidich, J. Bensman and M. Stein (eds.) Reflections on Community Power, John Wiley & Sons, pp.215-216.
一口に「社会学者」と言っても研究スタイルはさまざまで、ラザースフェルドのように厳格な検証を好み、それゆえに瑣末な部分へと流れがちになる人もいれば、ミルズのようにマクロな時代診断を優先する結果として細部が大雑把になってしまう人もいる。どちらもできれば申し分ないんだろうけど、それはなかなか難しいんじゃないか…という話。