擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

知識を殺す闘い

10年ほど前、在外研究でロンドンにいたときのことだ。

当時、ぼくは自宅の近くにある図書館の自習室をよく使っていた。その内部の壁にはB・B・キングの以下の言葉が書かれていた。

学びの美しさは何人もそれを奪えないことだ(The beautiful thing about learning is that nobody can take it away from you)

ぼくはそれを素直に良い言葉だと思った。実際、カネやモノと違って、学んだ知識は奪えない。その通りだよな、というのが当時の感想だ。

ただ、当時のぼくは、その言葉がもつ深い意味をちゃんと理解できていなかったのではないかと思う。それを痛感したのが、高橋和夫パレスチナ問題の展開』の次の一節を読んだときのことだ。

パレスチナ人は、国による保護を得られないので、個人の努力、そしてパレスチナ人同士の団結によって人生を切り開いてきた。ある国から追放されるようなことがあっても、命ある限り決して奪われることのないものに投資してきた。つまり教育である。パレスチナ人の勉強熱心はアラブ社会では際立っている。パレスチナ人は、医者であり、弁護士であり、大学教員であり、ジャーナリストであり、研究者である。
(出典)高橋和夫パレスチナ問題の展開』(放送大学叢書、2021年、pp.144-145。

言うまでもなく、たびたび迫害を受けるがゆえに、教育に力を注がざるをえなかった集団がもう一つある。ユダヤ人だ。

そこで、先の引用に続けて、著者の高橋は続けてこう書いている。「パレスチナ人たちについて知識を得るようになったユダヤ人たちは、自らの姿を鏡に映し出したような感情を持ったことであろう。つまり、パレスチナ人はアラブ世界のユダヤ人なのである」(前掲書、p.145)。

このような文脈を踏まえると、現在のガザでの紛争もやや違った角度からみえてくるものがあるように思う。そこで生じているのは、大規模な殺戮、インフラの破壊、水や食料、医薬品の極度の不足だけでなく、知識の破壊でもあるからだ。

イスラエル軍教育機関を意図的にターゲットにしているかどうかか意見の分かれるところだが、大規模な破壊が起きているということは否定しがたいようだ。

また、先日、話題になったようにイスラエル兵が大学図書館の本棚に放火している写真を自らソーシャルメディアにアップロードしているといったこともある。

これは、集団としての存続のために知識をこのうえなく必要としてきた二つの集団のうち、一方が他方の知識を破壊しているとも解釈できる。B・B・キングが言うように学んだ知識を奪うことはできないが、学ぶ機会を奪うことはできる。

改めて、これは途轍もない悲劇であり、許されない蛮行だと思う。