擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

ネット上での評判

 もう十年以上前のことだが、ネット上での大きなトラブルに巻き込まれたことがある。

 某匿名掲示板では、ぼくの名前の入ったスレッドもいくつか立った。立場的にそれらに何が書いてあるのかを読み、知っておく必要があったので、萎える気持ちを押し殺して、とにかく目を通した。当然、メンタルはがりがり削られる。

 今でも覚えている書き込みの一つは、「ゼミの先生に津田を知っているかと訊いたら『知りませんね、若い方なんですか?』という答えが返ってきた。津田は三流学者で決定!」という趣旨のものだった(細かい文面はさすがに覚えてない)。自分が三流であることを否定はしないのだが、改めて突き付けられるとよい気持ちはしない。

 ただ、こういうメンタルのときには、わざわざ自分についてネガティブな書き込みを探しに行ってしまうという歪んだ心理状態にもなる。それによって、全世界が自分を敵視しているかのような錯覚にも陥る。アドレナリンが出続けているのか、妙な高揚状態が訪れるのだ。

 いずれにせよ、膨大な情報が流れ込んでくるので、自分が何をすべきなのかも分からなくなる。

 そこで、当時のぼくは「自分にとって本当に大切なものは、守らねばならないものは何か」を書き出すことにした。三つほどあった(恥ずかしいので内容は書かない)。いずれも「ネット上での評判」とは無関係なものばかりだ。

 そうすると、自分が何をなすべきか、何を我慢すべきかがはっきりした気がした。もちろん、そこから導き出された行動指針が全て正しかったというわけではなく、いま考えるとトンチンカンなものもあった。ただそれでも、物事をシンプルに割り切れるようになったのは良かったように思う。

 以来、ネットでトラブルになっている人をみると、「この人にとって本当に大切なものは何だろうか」と考えてしまう。もちろん、それは当人が決めることで、外野がどうこう言う話ではない。

 ただ、ネット上での評判や勝ち負けにこだわることで、この人はもっと大切なものを失っているのではないかと思うことは多い。もっと言えば、この人にとっての(たとえば)学問や政治の重要性は、ごく内輪のネット上での勝ち負けよりも低いのだろうかと思ってしまうこともある。ネット上での勝ち負けなど、しょせん一過性のものでしかなく、その外側ではもっと長い人生が続いていくというのに。

 しかし、繰り返しになるが、それはどこまで行っても、本人が決めることなのだ。自分が応援している人ほど、それを残念に思ってしまうのだけれども。