介護デモクラシーの出現
日本が抱える大きな問題の一つは少子高齢化だ。人口が減少していくこと自体には賛否はあるものの、人口バランスが大きく崩れることはやはり問題だろう。
たとえば、国立社会保障・人口問題研究所の予測値によれば、2040年の人口ピラミッドはこんな感じになる。
(出典)http://www.ipss.go.jp/site-ad/TopPageData/pyra.html
もちろん、出生率や生残率によってピラミッドの形は多少変わるものの、完全な逆ピラミットが出現することはほぼ間違いないだろう。
この予想値を見ていると、やはり不安になる。こんな社会が果たして存続可能なのだろうか。働ける者は減る一方なのに、高齢者の割合はどんどん上がっていくのだ。
そうなるとまず問題として浮上するのが、介護が必要な高齢者の面倒をいったい誰が見るのかということだ。未婚の高齢者の割合が高まっていくことも踏まえれば、家族に依存するタイプの介護はますます困難になっていく。
2011年の段階で介護職員の数は140万人なのだという。ところが、2025年には232万人から244万人が必要になると予想されている(1)。現状ですらどうやって介護職員を確保し、定着させるのかが大きな課題になっているのに、これから若者の絶対数が減っていくなかでそれだけの数の介護職員を確保することが果たして可能なのだろうか。
実際、介護職員の求人状況は、景気動向と密接に関わっているのだという。景気が悪くて就職難になるほど介護の求人倍率は減少し、景気がよくなれば求人倍率は増大し、求人難になる。つまり、介護職というのはできれば避けたい業種として認知されているわけだ。若者だけが介護職に就く必要はないとはいえ、18歳人口の急減が見込まれるなか、どうやってお年寄りの面倒を見てくれる人たちを探すのだろう?
正攻法としては、もちろん介護職の待遇を良くしていく必要があるわけだが、そうなると社会の側の負担はどうしても増える。高質のサービスを享受できる層とそうでない層との格差も自ずと問題化しやすくなるだろう。
よく言われるように、高齢化が進んだ社会では、高齢者にとって都合がよい政策が実施されがちだ。高齢者の絶対数は多いし、選挙での投票率も高い。自ずと各政党の目も大票田たる高齢者に向くようになる。そのような介護デモクラシーのもとでは、高齢者の面倒をいかにみるかが国家にとってこれまで以上に重大な目的になっていく。そうなると、介護に関しても、高齢者の負担を増やさないようにしながら、若者に一方的に負担を押し付けるような政策が実施される可能性も否定できない。
たとえば介護ボランティアの強制化。もちろん、そんなことをすれば介護の質の低下は免れないが、背に腹は代えられないし、移民よりは良いという発想で実施されるかもしれない。高齢者のなかには「強制的に若者を何かに従事させることで彼らの根性を叩きなおしたい」と考える人が少なからずいる。そういう層に介護ボランティアの強制化はアピールしそうだ。
「高齢者との世代を超えた交流によって若者のコミュニケーション能力を鍛える」などと言えば、コミュニケーション能力が大好きな企業のみならず、軍事的な徴兵制には否定的な向きにも受けるかもしれない。むろん、そんなのは口実でしかなく、要するに自分たちのおむつを変える手が欲しいだけの話だ。
2040年といえば、ぼくら団塊ジュニア世代も70歳代。数の多さに乗じて、自分たちに都合の良いような政策を若者たちに押し付けるようなことにならないことを祈りたい。
できれば、ぼくの介護はロボットにやって欲しいのだが。
(1)http://www.jil.go.jp/event/ro_forum/20120919/resume/hotta.pdf