擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

太宰メソッドとしての教育

(ツイートの加筆・修正)

 数年前の話だ。

 ある同僚の教員と一緒に帰宅していたとき、「授業ではさんざん企業の批判をしておきながら、学生がいざ就職活動の時期を迎えると、手のひらを返したように就活を応援することの自己矛盾」についての話になった。たとえ正社員であっても多くの人が長時間労働や低賃金に苛まれる状況下で、学生を企業へと送り出すことは果たして正しいのだろうか、というのがその人の悩みだった。

 ぼく自身、いまの就活のあり方には疑問を持つことが多いし、正社員になったからといって順調な生活が待っているとは限らないこともわかる。それでも、就活の時期になると、ゼミで就活対策をしたり、苦労している学生にはキャリアセンターに行くように促したりする。とりあえず目先の選択として、正社員として就職しておいたほうが無難ではないかと思うからだ。

 話は変わる。

 太宰メソッドという言葉がある。ネットでしばらく前に少し流行った言葉だ。もともとは太宰治の『人間失格』に由来しており、自分が嫌いなもの、認めないものを「それは世間に認められない」という言い方で否定しようとするやり方を指す。

 たとえば、有給休暇を取りにくい企業のことを考えればいい。上司に有給休暇の取得を申し出たとき、「私はいいが、他の部署の人がなんて言うかな…」などという態度に出たとすれば、その上司は太宰メソッドを使っていることになる。

 そして、教育という活動は、このような太宰メソッドにしばしば接近する。

 たとえば、ウェブで炎上しないためのレクチャーを授業で施すとしよう。このエントリでも触れたが、ウェブで炎上するのは、なにも違法行為や反社会行為を告白したり、その写真をアップした場合に限らない。多くのネットユーザーの感情を害するような発言をしたりする場合にも炎上は起きる。

 そこで、炎上対策として、そのような発言を書き込まないようにアドバイスするということになる。言わば、ネット内の空気を読めという話だ。しかし、空気ばかり読んでいたら、当然、その発言は萎縮せざるをえない。微妙な問題は避け、世論の大勢に逆らうことは言うなということにもなりかねない。

 だが、炎上対策を考えるなら、それでも「空気を読め」と言わざるをえない。たとえ内心では何でもかんでも炎上させる側に強烈な違和感を抱いていたとしても、結果として炎上ネタを探している人たちと同じ役割を果たすことになるのだ。炎上ネタを探しまわる人たちも、「その種の書き込みは世間が許さない」と教える人も、ネット内での発言を萎縮させていくという点では同じだからだ。

 就活支援にしろ、炎上対策にしろ、その目的は学生の当面の利益を確保することだ。就活に失敗したり、ウェブで炎上した場合、もっとも大きなダメージを受けるのは学生自身だ。しかし、その当面の利益を確保するために「履歴書は手書きで」とか「経歴に空白期間ができるのはマズい」とか「ウェブに変なことを書くと就職に差し支える」といった太宰メソッドを行使してしまう。世間もどこかおかしいんだよなあと思いながら、世間の再生産に関与してしまうわけだ。

 もちろん、世間の変化を期して、「履歴書なんてコピペでいい!」とか「就職なんか辞めて起業しろ!」とか「ネットに何でも思うことを書け!好きな写真をアップしろ!」と言うこともできる。だが、個人の力で世間を変えることは難しいし、そのための踏み台になれと学生に言うのは無責任だ。そう考えると、世間への順応を促さざるをえない。

 たかだか大学の一教員が学生の人生に及ぼす影響など知れているという見方もできる。だが、それでも教育者として学生に接するときにはやはり考える。

 世間を批判しながら、結局は世間の再生産に関わらざるをえないことを。