擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

「政治の季節」の過ごし方【追記あり】

【注】趣旨がうまく伝わっていない箇所と誤った箇所とがあったため、追記しました(2015/8/7)

「事実」による印象操作

 『朝日新聞』の富永格特別編集委員のツイートが炎上した。NHKなどのメディアでも報道され、富永氏はツイートを削除している。

朝日新聞社によりますと、特別編集委員は今月2日、ナチス・ドイツのカギ十字の旗などを掲げた人たちのデモ活動の写真を掲載したうえで、「東京での日本人の国家主義者によるデモ。彼らは安倍首相と彼の保守的な政権を支持している」などと英語で書き込みを行ったということです。
(出典)朝日新聞特別編集委員 不適切ツイートで謝罪

 ただし、富永氏がツイートを削除したことに対する反発も強い。富永氏の書き込みは事実であり、削除したことによってデマだという印象が広がってしまったというのだ。そのため、富永氏にツイッターで苦言を呈した『朝日新聞』の武田肇記者に対して激しい抗議が行われ、当該記者がツイッターを一時休止するという事態にもなっている。(参考

 それでは、富永氏のツイートは果たして事実なのだろうか。確かに、排外主義系の運動でハーケンクロイツが掲げられることはあるようだ。しかも、以前のデモでハーケンクロイツを掲げていた男性が安保法制賛成デモに参加していたという情報もある。だがその一方で、富永氏のツイートにあった写真のデモの主催者は安倍政権にきわめて批判的だという情報もある。要するに、よくわからない。

 しかし、やはり富永氏のツイートが事実であるか否かに関係なく、氏のツイートには問題があるとぼくは考える。富永氏は以下のようなツイートをしているが、元のツイートに「一般的に」という言葉が入っていようとも、やはり問題だ。

 それは、富永氏のもとのツイートが仮に事実だったとしても、露骨な印象操作になってしまっているからだ。つまり、「(日本のネオナチは)安倍首相と彼の保守的な政権を支持している」という言明は、「安部首相と彼の保守的な政権を支持する人たちはネオナチと親和性がある」というニュアンスを含んでいる。

 【追記】急速に低下してきたとはいえ、いまも安倍内閣の支持率は30~40%近くある。有権者の割合だけで考えたとしても3000~4000万人の人たちが安倍内閣を支持していることになる。安保法制に限ってみても、朝日の調査ですら26%の人たちが賛成している。富永氏のツイートはそれら膨大な数の人びとに対するネガティブな印象操作になってしまっている。

 こうした印象操作が厄介なのは、仮に数人、数百人、あるいは数万人(たぶん、そんなにはいない)であってもナチスを支持しつつ安倍政権を支持している人がいれば、それを「事実」として語ることができるからだ。【追記終わり】

 逆の立場から見てみよう。「極左勢力は国会前でデモを行っているSEALDsを支持している」という言明が繰り返されれば、「SEALDsは極左勢力の傀儡だ」という印象を持つ人が出てくることは不思議ではない。言うまでもなく、前者の言明は後者の印象とイコールではない。たとえ事実を述べた言明ではあっても、それが繰り返されることによって誤った印象が生まれることはよくある。

【追記】この記事をアップしたあとで「極左勢力はSEALDsを支持していない」という指摘を受けた。確かにSEALDsは極左勢力を排除しているという情報もあり、この点は誤解を招く表記だった。謹んでお詫びしたい。

 ただし、「極左勢力がSEALDsを本当に支持しているか」はどうかは、印象操作を試みる者にとっては全く重要ではない。実際、ツイッター検索で「SEALDs」と「極左」というワードで検索をかけると、両者のつながりを断言するツイートは山ほど見つけることができる。

 自らの運動が誰からの支持を受けるのかは運動体には決めることができない。したがって、世間的にはネガティブな評価を受けている団体から知らないうちに支持されていたとしても、それは運動体のせいとは言えない。しかし、それは容易に印象操作の材料にされてしまうし、場合によっては支持者を装う「なりすまし」が現れ、過激な言説を弄することで運動のイメージダウンが図られるケースもある。【追記終わり】

 世間からネガティブな印象を持たれている集団によって特定の政党や運動が支持されていると強調することはプロパガンダの基本と言っていい。民主党の選挙演説に嫌がらせのために太極旗をもって押し寄せた人たちがいたというのはその典型例だ。政治学者のエルマー・シャットシュナイダーによれば、ほとんどすべての政治団体、利益団体の一般的な評判は良くないため、それらの団体に対する敵意を利用することは有効な選挙戦術だという(内山秀夫訳『半主権人民』而立書房、1972年、p.75)

 もちろん、世間からネガティブな印象を持たれている集団が特定の政党や運動を実際に支持していることは当然にある。けれども、その事実をもって政党やそれを支持する人びと全体を貶めようとする言明はどこまで行ってもプロパガンダの域を出ない。新聞社の編集委員がそうした問題に気づかないとすれば、やはり軽率だと言わざるをえないだろう。

「味方」からの異議にどう応じるか

 敵と味方とが鋭く分かれる「政治の季節」では、味方に有利なのか、それとも敵に有利なのかという論理がどうしても幅を利かせるようになる。そうしたなかでは、味方だと思われていた集団のなかからの異論の提起は「裏切り行為」として敵以上に激しい攻撃の対象になる。『朝日』の武田記者が厳しく批判されたのはその一例だ。この点について、社会学者のジグムント・バウマンは次のように述べている。

多くの政党、教会、国家主義的ないしは党派的な組織は、公然たる敵よりも、それ自体の反対者と戦うことに多くの時間とエネルギーを費やしている。概して反逆者や裏切者は、公然と自ら認めている敵よりも、強く憎まれる傾向がある。国家主義者や政党の闘士にとって、「わたしたちの一員」でありながら敵方に走った者、あるいは敵であることをはっきり宣言しない者ほど嫌悪感を催させる敵はほかにない。
(出典)ジグムント・バウマン、奥井智之訳『社会学の考え方』(HBJ出版、1993年)、p.75。

 政治・社会運動を展開している人たちが「味方」からの異議申し立てに対して神経質になる理由はわからないでもない。とりわけ左派系の運動は内部分裂に苛まれてきたことから、分裂の芽は早いうちに摘んでおきたいのではないだろうか。内部分裂の問題は日本の左派運動に限った話ではなく、たとえば政治哲学者のウィル・キムリッカは次のように述べている。

左派の人々は、社会が直面する現実の問題に95%同じ意見を持ちながら、意見が異なる5%の争点にすべての時間を費やし、意見の一致する95%の問題のために共闘しようとしない。
(出典)ウィル・キムリッカ、岡崎晴輝ほか訳『土着語の政治』(法政大学出版局、2012年)、p.470。

 こうした観点からすれば、お互いのあいだに意見の違いがあったとしても、より大きな目的のためにとりあえずはまとまることが必要だということになる。

 しかし、多様な人たちがお互いの違いを曖昧にしたままでまとまることは、結果として印象操作の対象となるリスクを増すことになる。「味方」の陣営のなかでもっとも極端な意見を持っている人物や集団が選び出され、あたかもその人物や集団が「味方」全体の意見を代表しているかのようなイメージを敵側によってばら撒かれやすくなるのだ。こういう観点からすれば、ぼくの前回のエントリもそうした印象操作を受けた結果なのかもしれない。

【追記】以上の点を踏まえると、安保法制に賛成する人たちからは、排外主義・歴史修正主義的な動きと一線を画する声がもっと上がってもよいのではないかと思う。政治学者の大嶽秀夫は戦後の日本において再軍備を訴える主張が復古主義的なイデオロギーと結びついていた点について、以下のように述べている。

再軍備は、軍事政策をめぐる争点である以上に、伝統的社会の復活、維持の象徴となったといってよい。したがって、占領政策(と米兵が持ち込んだアメリカ文化)によってもたらされた「戦後の悪弊」を一掃するための全面的な「戦後体制の見直し」政策の一環であり、その突破口と見なされていた…。
(出典)大嶽秀夫(2005)『再軍備ナショナリズム講談社学術文庫、pp.212-213。

 近頃話題になった自民党武藤貴也議員による以下のツイートは、こうした大嶽の指摘がいまも生きていることの証左と言える。

 防衛政策とこのような復古主義的なイデオロギーの結びつきは、それに反対する側による印象操作をより容易にしてしまっているのではないだろうか。
【追記終わり】

 加えて、ネット上の可視化された環境において「味方」内の異論を押さえつけようとすることが運動全体に対する印象をかえって悪くしてしまう可能性もある。敵側は容赦なく運動のそうした言論弾圧的性格を槍玉にあげてくることだろう。

【追記】しかも、異論を押さえつけようとする人たちの乱暴な言葉遣いは、一部の層には受けたとしても、それ以外の人たちを遠ざけていく。安保法制への反対運動の広がりが「いままでの平和なくらしを守りたい」という動機によって少なからず支えられているとすれば、「平和なくらし」とは無縁なはずの乱暴な言語使用は運動にシンパシーを感じるはずの人たちを疎外するからだ。「政治運動は怖い」「異論を唱えると総括される」といった深く根付いた意識を再活性化させ、長期的に見れば日本の政治・社会運動の根幹を蝕むだろう。【追記終わり】

 「味方」内の異論と激しくやりあえば内ゲバとして嘲笑され、異論を曖昧にすれば敵側からの印象操作の対象となる可能性を増し、異論を押さえつけようとすれば言論統制全体主義といった批判がやってくる。敵と味方の対立構造が存在する以上は、「味方」内の異論に対してどのように対処しようとも攻撃は受ける。

 明確な結論があるわけではないが、「政治の季節」というのはなかなかに過ごしにくい季節である。

【追記】最後に上で紹介したバウマンの著作から、もう少し引用を続けてみたい。

これらの(反逆者あるいは裏切者に対する:引用者)非難は、次のように考える…人々に向けられる。自分の国家や政党や教会や運動と公然の敵との間の分割線は絶対的なものではなく、相互の理解や合意さえも可能だ、あるいは自分の集団の名誉には汚点がないわけではなく、集団そのものが非のうちどころがないとか、いつも正しいというわけではない、と考える人々である。
(出典)ジグムント・バウマン、奥井智之訳『社会学の考え方』(HBJ出版、1993年)、p.75。

【追記終わり】

安保法制について

 以下は、安全保障論にも憲法論にも全く素人の戯言である。

 現政権は安保法制がどうしても必要だという。

 その理由はいまいち明快に語られないのだが、おそらくは中国の領海拡張路線に対する強い警戒感があるのだろうと思う。しかし、それを国会などの場で明確に語ってしまうと、そのこと自体が深刻な外交問題を引き起こしかねない。だからこそ、よく分からない比喩を持ちださざるをえない。その意味では、テレビカメラの前で生肉を使って解説せざるをえなかった安倍さんに少し同情する(それでも、2015年度の防衛白書では中国についてかなり踏み込んだ記述をしているようだが)。

 安保法制を推進する側は「はっきりとは言えないの!わかるだろ?察しろよ!」と言外に伝えているのに、反対する側は「何を言っているのやら、サッパリ分かりませんね」と理解できないふりをして、その比喩のあやふやさを攻撃するという「ゲーム」をやっているのかもしれない。

 そうした「ゲーム」の是非は措くとして、現政権が中国の拡張路線を警戒したくなる気持ちは理解できなくもない。繰り返しになるが、ぼくは安全保障論の素人なので、たとえば冷戦期のソ連と比較して現在の中国がどれほどの脅威なのか、冷戦期における日米関係と現在のそれとでどれほど状況が違うのかといったことを判断する材料を持たない。それでも、中国の拡張路線が多くの国々から警戒されており、かなり困った状況を引き起こしていることはたぶん事実だろうと思う。米国の国防費が削減されるなか、同盟国である日本にも相応の負担が求められるということもあるのかもしれない。

 こうした問題意識からすれば、これまでの憲法解釈から多少は逸脱したとしても、日米安保の枠組みを強化するために集団的自衛権の行使を可能にしたいという発想も理解できなくもない。もちろん、それならそれで解釈改憲のような迂回戦術を取るのではなく、憲法9条を改正するという正攻法を選ぶべきだというのは正論だ。

 だが、先日、国会前のデモを見学に行って思ったことだが、憲法9条に象徴される平和国家としての日本のナショナル・アイデンティティは良くも悪くもかなり深く根づいているのではないだろうか。

 たとえば、今年の5月に『朝日新聞』が報じた世論調査によると、憲法9条改正の是非について「変えないほうがよい」が63%、「変えたほうがよい」が29%という結果だったという(『朝日新聞』2015年5月2日朝刊)。改憲を社論とする『読売新聞』の世論調査ですら、9条1項は言うまでもなく(改正賛成14%、改正反対84%)、戦力を持たないことを定めた9条2項ですら改正に反対する声の方が大きい(改正賛成46%、改正反対50%)のである(『読売新聞』2015年3月23日朝刊)。おそらく、憲法9条を改正しようとする動きは今回の安保法制以上の強い反対運動を引き起こし、いくら支持基盤の強さを誇ってきた安倍内閣であってもさすがに持たないのではないかと思う。

 以上を踏まえると、今回の安倍内閣の強引な手法も理解できなくはない…ような気もするのだが、根本的なところでひっかかりを覚えてしまう。

 やはり国家が守らねばならないルールが恣意的に解釈されてしまうことに対する不安があり、その不安のさらに根底に何があるのかと言えば、現政権に対する不信感だ。

 といっても、ぼくはアベノミクスについてはわりと好意的に評価している。在外研究中に円安が急激に進行したせいで、個人的にはずいぶんな支出を被ることになったし、経済学についてもぼくは全くの素人だ。しかし、雇用情勢が良くなったことは確かだし、大学生の就職活動を見ていても売り手市場になったことは素直に喜びたい。

 さらに言えば、現政権が戦前回帰を目指しているという一部に見られる主張も、さすがに言い過ぎではないかとも思う。徴兵制もたぶんやらないだろう。

 けれども、自民党改憲案や歴史修正主義的な動きを見ていると、「もしかして、本気で戦前に戻りたいと思っているのではないか」という疑念が頭にもたげてくる。たとえば、近頃話題の日本会議のホームページには次のような文言がある。

特に行きすぎた権利偏重の教育、わが国の歴史を悪しざまに断罪する自虐的な歴史教育、ジェンダーフリー教育の横行は、次代をになう子供達のみずみずしい感性をマヒさせ、国への誇りや責任感を奪っています。かつて日本人には、自然を慈しみ、思いやりに富み、公共につくす意欲にあふれ、正義を尊び、勇気を重んじ、全体のために自制心や調和の心を働かせることのできるすばらしい徳性があると指摘されてきました。…私たちは、誇りあるわが国の歴史、伝統、文化を伝える歴史教育の創造と、みずみずしい日本的徳性を取りもどす感性教育の創造とを通じて、国を愛し、公共につくす精神の育成をめざし、広く青少年教育や社会教育運動に取りくみます。
(出典)日本会議がめざすもの

 上の文章で言うところの「かつて」が「戦前の日本」を指し、「みずみずしい日本的徳性をとりもどす」ことが運動の目的なのだとすれば、確かに戦前こそが彼らの目指すところなのではないかと勘ぐってしてしまう。

 ちなみに、戦前日本の「みずみずしい日本的感性」については、『「昔はよかった」と言うけれど』(新評論)や『戦前の少年犯罪』(築地書館)といった著作が参考になる。同様に、先日の言論統制に関する自民党議員の発言も、そういった戦前回帰的志向性を強く感じさせる材料になっている。

 仮にこういった戦前回帰志向がぼくの杞憂にすぎなくとも、集団的自衛権は日本の存立にどうしても必要だと現政権が考えるのなら、どうして戦前回帰的に見える動きを控えることができなかったのだろうか。国家の存立を第一に考えるのであれば、その目的の足枷になるような動きは厳として慎み、政治的資源をもっと有効に活用すべきではなかったか。

 実際、現政権の歴史修正主義的な動きは、日本の防衛力強化に対する国際的理解を大きく損なってきたように思える。過去の歴史を反省したくないが防衛力は強化したいというのであれば、それこそ日本政府は大日本帝国の再建を目指しているという主張にある程度の説得力を与えてしまう。欧米メディアの論調を見ていても、「歴史修正主義者」に対するまなざしは決して暖かいとは言えない。

 日本の側に「自分たちの側から戦争を仕掛けるなんてことはありえない」という確信があったとしても、外側からもそのように見てくれるとは限らない。中国の拡張路線に対する警戒感はあったとしても、日本の戦前回帰的に見える動きへの警戒感と相殺されて「どっちもどっち」に落ち着いてしまう。

 国家の防衛がリアリズムと合理性に依るべきものだとすれば、現政権の動きはその水準をクリアしているとは言いがたいように思う。その点からすれば、集団的自衛権が絶対に必要だという主張の「リアリズム」もまた疑わしく見えてくる。それはもしかして、戦前日本の「高いモラル」に対する幻想と同じ類のものではないかとも思えてくるのだ。

 自分たちで作り出した世界観のなかに安住し、それに反する意見を言う者を「反日」や「外国の手先」として片付けてしまう。「反日」か「親日」、「愛国」か「売国」しか存在しない世界。許容される言論の幅はどんどん狭くなり、中身のないスローガンだけが横行するようになる。

 そうなってしまえば、もはやリアリズムも合理性もへったくれもない。その先にあるのは、なんだかよくわからないうちに、なんだかよくわからない戦争に突入するという事態であるのかもしれない。

 これがぼくの杞憂であることを切に願う。

人生の選択

 森見登美彦さんの『四畳半神話大系』をひさびさに再読した。

 主人公の大学生が入学直後にどのような人間関係に身を置くかでその後のキャンパスライフに生じる違いを描いた作品だ。ううむ、この説明だとこの作品を実際に読んだ人にしか伝わらないかもしれない。

 とにかく、この物語の重要な要素が選択である。そこで思い返してみれば、ぼくの人生においてもわりと決定的な違いを生んだのではないかと思しき選択の瞬間というのが確かにある。

 実はこの話は別のブログに書いたことがある。だが、そのブログはわりと不幸な結末を迎えたので、いまネットにはこの話は落ちていない。そこで、この話の供養という意味でも再録してみたい。願わくば、このブログが不幸な結末を迎えませんように。

* * *

 そのころ、ぼくは19歳。二度目の大学受験を控えた予備校生だった。当時、ぼくは人に近況を訊かれても浪人生をやっていると言うのが恥ずかしく、予備校生という呼称を採用していた。大手の某予備校に通い、不毛な受験勉強に邁進する毎日であった。

 12月に入ったばかりのころだったかと思う。その日、ぼくは通っていたのとは別の予備校の自習室に潜り込んで勉強をしていた。大学受験のハードルが今よりも高かった当時、巷には受験生が溢れており、通っていた予備校の自習室が満室で使えないということがよくあった。そこで友人とともに近隣の予備校の自習室にこっそりと入り込んでいたのである。もちろん良くないことである。反省している。

 しかし、潜り込まれた方の側も、どうやら別の予備校の学生が入り込んでいることを察知していたのだろう、その日は突如として自習室にバイトと思しき集団が現れ、いまから学生証チェックを行うという。ぼくを含む慌てふためいた何人かの侵入者は早々に荷物をまとめ、自習室から遁走したのであった。

 自習室から命からがら逃れたわれわれは、やむをえず自分たちが通っていた予備校に戻った。その時間になると、すでに空き教室がいくつかあり、われわれはそのうちの一つに陣取って勉強を始めた。

 するとそのとき、校内アナウンスが流れた。なんでも某大学の説明会をいまから開始するのだという。その日の午前中にもそんなことを耳にしていたが、もともと受験するつもりのない大学だったので、すっかり忘れていたのである。これも何かの縁かもしれない。ぼくは気まぐれにその説明会に出てみることにした。

 説明会が終わるころ、ぼくの本命の志望校はその大学になっていた。無味乾燥な浪人、いや予備校生の生活があまりに長すぎたのか、とにかくぼくはその説明会にすっかり圧倒されてしまった。予備校からの帰り道にはさっそくその大学の赤本を購入していたのではないかと思う。

 12月に入ってからの突然の志望変更ということもあってか、一番の志望学部は補欠不合格という残念な結果に終わった。しかし、その大学の別の学部には合格し、そこに進学することにした。かくして自習室に潜り込んでいた不届き者を締め出そうという予備校の判断は、一人の予備校生の進路を変えたのである。

* * *

 4月になった。その日、ぼくは大学の入学式に出席したあと、キャンパス内を一人で歩いていた。大学といえばサークル活動である。ぼくは中学、高校と陸上競技をやっていたこともあって、陸上同好会に入ろうかと考えていた。

 陸上同好会の出店の前にやってきた。出店には一人の学生が座っていた。きっと入会希望者を待っているのだろう。しかし、ぼくには自分から声をかける勇気がなかった。そこで、出店の前を何度も行ったり来たりした。しかし、一向に声をかけてくれる様子がない。ぼくの相貌からして、いかにも陸上競技に縁がないように見えたのかもしれない。

 そこでへこたれたぼくは、家に帰ることにした。初めての一人暮らしを始めたばかり、まだまだ買い揃えねばならないものはたくさんある。

 校門に向かって歩いていると、ぼくは二人の女性に声をかけられた。音楽サークルの勧誘であった。高校では美術選択だったぼくと音楽との距離は遠く、自分からは絶対に入ろうとは思わない系列のサークルだった。普通なら丁重にお断りする類の勧誘のはずである。

 ところが、男ばかりに囲まれた予備校生活の結果、女性に対するぼくの免疫力は異常に低下していた。店で女性店員に話しかけられただけで赤面してしまうほどだった。そんな事情もあり、女子大生二人にうまくお断りすることができなかったぼくは、なぜか彼女たちから学食でお昼ごはんをご馳走されることになってしまった。

 とはいえ、そこでしつこく勧誘されたわけでもなく、気が向いたらそのサークルが拠点としている部屋に来てみてね、といった程度の話を聞いただけでその場は終わる。彼女たちは何処ともなしに姿を消した。

 身銭を切ってお昼を奢ってもらった以上、サークルに入るかどうかは別にしても、部屋に行かないというのはあまりに不義理ではないか。そう思ったぼくは、とりあえず教えてもらった教室に向かった。そして、その日からほぼ4年間にわたって、ぼくはそのサークルに身を置くことになったのである。ちなみに、新入生におごるご飯代がサークルとして予算化されていたことをぼくが知るのは、ずいぶん先の話である。

 かくして、陸上同好会の出店のまえでうろうろする新入生に声をかけなかったどこかの誰かは、その決断によって新入生の人生を変えた。たかがサークルごときで、と思われるかもしれないが、ぼくは結局のところそのサークルで人生の伴侶と出会い、子まで成したわけであるからして、言わば陸上同好会のその誰かは言わば不作為によって新たな生命の誕生に貢献したのである。

* * *

 大学2年生の学期末の試験を目前に控えたある日のことだ。その日、ぼくは大学図書館で勉強をしていた。いや嘘だ。ぼくが所属していたサークルでは試験前になると図書館の片隅に陣取り、みんなで勉強することになっていたのだが、それはまったくもって勉強するのに向いていない空間であった。勉強するどころかおしゃべりばかりしていたし、先輩が麻雀のメンツを探しにやってくることも多かった。試験の始まる2時間ほど前に「単位が~」と泣き言を言いながら、先輩と雀卓を囲んでいたこともあった。当然、成績は決して褒められたものではなかった。

 そんな試験期間のさなか、いつものようにだらだらとおしゃべりに興じていたぼくは、あろうことか試験の時間や場所をきちんと把握していないことに気づいた。今のように試験情報をネットで気軽に確認できるような時代ではない。そこでぼくは、大学の教務掲示板に試験の時間と場所を見に行くことにした。

 掲示板に近づいたとき、ぼくはある張り紙に気づいた。それは新たに開設されるというゼミに関するお知らせだった。ゼミのテーマは「マスメディア論、ジャーナリズム論、情報化社会論」。そのとき、ぼくの頭に閃くものがあった。

 当時のぼくは3年生になった暁には日本政治のゼミに入ることを考えていた。しかし、どこかフィットしないような印象も受けていた。そんなおりに見つけたのがこの張り紙だったのであり、これこそがぼくが求めていたゼミではなかったかと思ったのだ。ちなみに、このゼミの告知はひっそりと行われたこともあって、ゼミの存在自体に気づかなかった学生も結構いたという。

 結局、ぼくはそのゼミの選考を受け、なんとか潜り込むことができた。さらに、そのゼミの指導教授のもと、修士、博士課程へと進学してしまい、いまでもお世話になっている。かくして、試験の日程と場所をきちんと把握していなかったというぼくの不注意は、結果として一人の大学教員を生み出すに至ったわけである。

* * *

 人生の選択とは、一般に深い苦悩のうえの決断としてイメージされるのではないかと思う。しかし、ぼくの人生の決定的局面は、気まぐれと不作為と不注意によってもたらされた感がある。なんとも主体性に欠けた人生である。

 今でもときどき、あの大学説明会に出席しなかったら、別のサークルに入っていたら、あるいは事前にきちんと試験の日時と場所を把握していたらぼくの人生はどうなっていたのかを考えることがある。もしかしたら、『四畳半神話大系』がそうであったように、結局は同じような人たちと巡り合い、同じような職業に就いていたかもしれない。しかしまあ、そんなことはたぶんなかっただろう。

 別の大学に進学し、キャピキャピの女子大生からモテモテの4年間を過ごすことになったかもしれない。1年生のときに真面目な学術系サークルに入っていたら、いまごろ研究者としてももっと大成していたかもしれない。あるいは、別のゼミに入っていたら、学問の面白さに目覚めることもなく、いまごろ会社経営者として都心のタワーマンションの最上階にある自宅から高級ワインを片手に夜景を眺めていたかもしれない。もちろん着用しているのはバスローブである。

 だが、モテモテの4年間はどの大学に行っていようと実現は難しそうだし、そもそもぼくはワインを飲むとすぐに酷い頭痛に苦しむような下戸である。バスローブは持っていない。研究者としての大成は…今からでも遅くはないと思いたい。

 人生の選択はもちろんいつになっても止むことはない。でも、多くの人にとって人生の大きな方向性を決めるような選択はやはり10代から20代にかけて行われることが多いのではないだろうか。

 その時期をどのように過ごそうともおそらくはどこかに後悔は残る。一生懸命に勉強をすればもっと遊べば良かったと思うかもしれないし、遊んでばかりいればもっと勉強してよかったと思うかもしれない。それでも、選択ができるということそれ自体が若さの特権だし、後で後悔するにしても選択の時点では納得のできるものを選んで欲しい。何も選ばないこともまた選択の一つなのであるし。

 そして、若い人たちがそうした選択をできるよう条件をきちんと整えてあげることが、大人の役割なんだろうと思う。

憐れみが人を殺すとき

 どうにも整理のつかない話というものがある。

 先日、ネットを見ていると、高齢の男性が長年連れ添った伴侶を殺害したという事件の記事がアクセスを集めていた。少し長いが、記事を引用してみたい。

 93歳の夫が体の痛みを訴えていた妻に頼まれて殺害したとして、嘱託殺人の罪に問われた公判が千葉地裁で開かれている。夫は「今でも愛しております」と語り、2人の娘は「父は追いつめられていた。ごめんなさい」と悔やんだ。

 妻(83)への嘱託殺人の罪に問われているのは茂原市の無職の夫。家族によると、軽度の認知症という。

 起訴状などによると、夫は2014年11月2日、自宅で妻から殺してほしいと依頼され、ネクタイで首を強く絞めたとされる。

 夫は自ら110番通報。その後、妻は死亡。生前、「家族に迷惑をかけたくない」とメモを残したとされる。(中略)

 法廷での被告人質問や長女と次女の証言によると、東京・浅草の職場で出会い、結婚生活は60年余り。3人の子を持った。

 長女は「父は付きっきりで面倒を見ていた」と語る。買い物、庭の手入れ、トイレの連れ添い……。料理も妻に教わったという。

 「妻から『何もできない。苦しいだけ』と言われた。もう断れない」

 夫は殺害を頼まれた時の心境をこう明かした。

 最期、2人は添い寝をした。靴職人として働き、妻と知り合ったころを思い出した。昔話を続けた。「妻はニコニコしていた。とてもきれいだった」

 妻は介護サービスなどを受けるのを嫌がっていたという。長女は涙ながらに「私がもう少し気付いていれば。父にはおわびでいっぱい」と語った。(後略)

(出典)『朝日新聞』2015年6月18日

 正直に言えば、この記事を読んだときは落涙を禁じ得なかった。長年連れ添った夫婦が迎える悲劇的な結末。それを前にして、覚悟を決めた二人が昔を楽しく語り合っている姿を想像するとそれだけで胸が痛くなる。しかも、この男性は裁判においてなお自ら手にかけた妻への愛を語るのだ。

 この記事を読んで思い出したのが、かつてドイツで制作された『私は訴える』という映画の話だ。古い映画なので残念ながらぼく自身は見ていないのだが、市野川容孝さんの紹介によると、次のようなストーリーらしい。

 病理学者トーマス・ハイトは、妻のハナが多発性硬化症という難病に侵されていることを知る。この病気が進行すれば、身体の感覚機能や運動機能が低下し、言語障害や精神障害を生じさせるのだという。トーマスは治療のための新薬開発に取り組むが、成果を得ることができない。自らの病を知ったハナはトーマスに次ように訴える。

「自分が最後の瞬間まで、あなたのハナでいられるように助けてちょうだい。あなたの知らないハナ、耳も聞こえず、話もできず、白痴になったハナでは絶対にいや。そんなこと私には耐えられない。…そうなる前にあなたは私を救ってくれると約束して、トーマス。そうするのよ、トーマス。私を本当に愛しているなら、そうするのよ。」
(出典)市野川容孝(1997)「権力論になにができるか」(奥村隆編『社会学になにができるか』八千代出版)、p.235。

 トーマスは妻の願いを聞き入れ、毒薬を与えてハナを殺害してしまう。

 その後、トーマスは殺人罪によって起訴される。法廷で弁護士はハナが多発性硬化症によって志望したと主張し、トーマスの無罪を勝ち取ろうと考える。ところが、トーマスは法廷で自分がハナを殺したことを正直に話そうとする。弁護士は「あなたは自分の無罪を棒にふる気ですか!」と制止するのだが、トーマスは告白する。

「真実を告白します。私は不治の病にあった自分の妻を、彼女の望みによって、その苦しみから解放したのです。私の今の人生は彼女に捧げられています。そして、その決定は妻と同じ運命に会うかもしれないすべての人びとにもあてはまるのです。判決をお願いします。」
(出典)市野川、前掲論文、p.236。

 この『私は訴える』という映画はドイツで大ヒットを記録し、観客動員数は1800万人に及んだのだという。先に紹介した記事とどことなく似ていると言えないだろうか。

 ここで重要なのは、この映画がどのような文脈のもとで制作されたかということだ。

 この映画が制作されたのは1941年。当時のドイツでは「安楽死計画」のもと、障がい児童、精神病患者、不治の病のために労働の困難な人たちが組織的に殺害されていた。その犠牲者の数は7万人に及ぶという。安楽死計画は国内の反対により1941年には表向きには停止されるが、極秘裏に継続されていた。この安楽死計画を正当化するべく制作されたのが『私は訴える』なのだという。

 言うまでもなく、先の記事と『私が訴える』の内容とに共通する部分があるからといって、記事で取り上げられていた男性を厳罰に処すべきだとかそういうことを言いたいわけではない。個人的には、この男性には安らかな余生を過ごしてもらいたいと思う。

 むしろ気になるのは、(ぼくだけなのかもしれないが)記事を読んで落涙してしまうメンタリティのほうだ。相手がそれを望んでいるがゆえに、愛する者を自らの手にかけねばならなかった男性の苦悩にぼくは思いを馳せる。あるいは、夫を殺人者にしてしまうほどに辛い病を抱える女性の苦しみにも。「かわいそうだから、殺してあげる」という論理がそこでひょっこりと顔を出す。

 市野川さんによれば、障がいや難病を背負う人びとに対する憐れみは、病気のない世界に対する願望をより切実なものとする(市野川2006: 135)。その願望こそが、結果として病気にかかりやすい遺伝子を有する人びとや、難病に苦しむ人びとを「安らかに」眠らせる政策への支持を促したというのだ。

 もちろん、先の記事を読んで落涙することと、安楽死政策を支持することのあいだには深くて広い溝がある。それでも、この夫婦の苦しみに感情移入すればするほど、本人が望むのだから殺してあげることが救済なのだという論理が浮かび上がりやすくなるのではないだろうか。

 ここでまた市野川さんの指摘を紹介するなら、尊厳死の導入を訴える日本尊厳死協会の男女比を見ると、女性会員数が男性会員数の約2倍に達している(参照)。市野川さんはその理由として、介護の責任を担うことの多い女性は、その体験ゆえに自らが「迷惑をかける」立場になることを厭うのではないかと述べている(市野川 1997: 241)。そういう構造を踏まえてなお、本人が望むからという理由で死を与えることには問題があるのではないかというのが市野川さんの主張だ。

 たしかに、「家族に迷惑をかけるくらいなら死を選ぶ」という人が増えていけば、それは一種の規範となり、本当のところでは死にたくない人たちに無言の圧力がかかるようになるというのはありそうな話ではある。そうなれば本人の希望とは言い難いような死が増えていく可能性もでてくるだろう。とりわけ、高齢化がどんどん進行していくこれからの日本では。

 だからこそ安易な憐れみは禁物であると主張することには、たしかに筋が通っているように思える。新聞記事で事件をたまたま知っただけの気楽な部外者が、一時の情に流されて安易な自己決定を肯定してはいけないという結論はスッキリしている。検察側の「殺害決意は想像を絶する苦悩だったと思うが、妻の弱音とも考えられて軽率」という主張とも重なる。

 けれども、どこかモヤモヤする。そのモヤモヤをぼくはいまだうまく言語化することができない。だからこそ、冒頭で述べたように、これは整理のつかない話なのである。

参考文献

市野川容孝(1997)「権力論になにができるか」(奥村隆編『社会学になにができるか』八千代出版)
市野川容孝(2006)『社会』岩波書店

根拠なき自信も悪くない

 根拠のない自信を持っているひとはバカにされやすい。

 典型的なのは、いわゆる「意識高い系」だ。仕事ができないくせになぜか根拠のない自信だけはあり、周囲に多大な迷惑をかけまくる、というのが典型的な意識高い系のイメージではないかと思う。普段は大口を叩いている人物が、いざとなったら醜態を晒すというのは、ドラマやアニメのお約束の展開と言ってもいい。

 しかし、である。ぼくは(程度にもよるが)根拠のない自信はわりと大切ではないかと思っている。以下でその理由について述べていきたい。

 時に、スポーツは生まれ持った才能がほぼ全てだと言われることがある。たとえば、以前、元陸上競技選手の為末大さんが次のようなツイートをして話題を呼んだことがある。

 ここで「アスリート」という言葉を、陸上のような個人競技に限定すれば、たしかに為末さんの言うことは正しいかもしれない。だが、この言葉を広く捉えてスポーツ選手全般というところにまで拡げるなら、この主張はかならずしも正しくない。

 たとえば、こんなデータがある。プロ野球セリーグの選手を誕生日の月によって分類したものだ。昨年、各球団のホームページで紹介されている選手のデータをもとに作成した。

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 日本では春から初夏にかけて生まれた子どものほうが(特に集団競技の)スポーツ選手になりやすいという話はネットではよく知られている。網羅的なサイトとしてはこれがある。実はデータが少し古くなっているので自分でも調べてみようと思って作ったのが上のグラフなのだが、セリーグの選手を調べたところで力尽きてしまった。

 ともあれ、月ごとに生まれる子どもの数はほとんど変わらないので、将来的にスポーツ選手になるには年度の最初のほうに生まれたほうが有利だということは言ってよいだろう。実際、学校の新学年が秋から始まるイギリスでは、10月から12月にかけて生まれた子どものほうがスポーツは得意になる傾向があるという報道もある。「年度」がいつ始まるのかが社会的に決定される以上、スポーツ選手になれるかどうかには、遺伝的な才能だけではなく社会的要因も大きな影響を及ぼしているのだ。

 それでは、なぜ年度の最初のほうに生まれたほうが有利なのだろうか。一般的な説明としては、月齢の違いが体格に大きな影響を及ぼす幼年期の体験が挙げられることが多い。選手として選抜されるなどして場数を踏み、運動能力を向上させていくということだ。

 だがぼくは、そこでの「自信」の獲得が大きな役割を果たしているのではないかと思う。最初は体格差によって生まれた違いが、やがて自信の有無という違いへとつながっていく。スポーツに自信があるから好きになる、好きだからもっと頑張る、だからもっとうまくなるという好循環だ。

 逆に、最初の段階で自信が持てなければ、これは簡単に悪循環になる。スポーツに自信がないから嫌いになる、嫌いだから頑張らない、だからいつまでたってもうまくならない。たとえ嫌いでなかったとしても、自信がないために他人に迷惑をかける(or嘲笑される)のを恐れて競技に参加したがらないという心理が働く可能性もありうる。

 個人的な体験で言えば「格好の悪い姿を人に見られたくない」と思えば思うほど、体はガチガチになり、人前で格好の悪い姿を晒すことになってしまう。

 先にリンクを貼ったサイトでは、個人競技では誕生日の影響が大きく出ないというデータがあるが、これも「たとえ自信がなくても、他人に迷惑をかけない個人競技であれば、気軽に打ち込める」ことの反映ではないだろうか。

 これは確かに「ズルい子ども」の話なのだが、少し見方を変えれば、この子にしても下級生相手に自信をもってできるドッジボールは楽しいのである。こう考えると、根拠があろうとなかろうと自信の有無というのはその後の人生を大きく左右することになるのではないだろうか。

 誕生日という要因はスポーツに限らず、学力にも影響を及ぼすと言われる。少し古い調査だが、誕生日の違いが大学進学にまで影響を及ぼすと主張している研究もある。これにしても、「自分はできる」と思えるかどうかが能力の違いをもたらしている事例の一つと言えるかもしれない。「自分は勉強ができない」という自己認識は学習意欲にも大きな負の影響を及ぼすはずである。

 彰は高校2年の終わりに県立J高校を退学した。午前中の1、2時間目にあった家庭科の出席時数が不足となり、3年に進級できなかったからだ。(中略)

 小学校の頃はまだ普通だったが、中学ではほとんど勉強したことがなかった。中学1年の頃は200人中100番ぐらいだったが、2年になると150番になって、3年になると190番に落ちていた。がっかりというか、「もうどうでもいいや」っていう感じになっていった。

 「がんばろうというよりあきらめちゃうんですよね」

 自分はできない、と勉強はあきらめていた。とくに英語は全然わからなくて、be動詞もまったくわからなかった。数学も方程式がわからない。わからないから、面白くないし、さらに中2の途中から学校には遅刻するようになった。(中略)

 (高校の)入学式の時の校歌は、ブラスバンドの演奏ではなくテープが流れていた。卒業した中学ですらブラスバンドだったのに。そのとき、「ああ、おれはこういう学校に入ったんだ」とがっかりした。

(出典)青砥恭(2009)『ドキュメント 高校中退』ちくま新書、pp.83-84。

 もっと言えば、そうした自信の有無は大学進学後の学習態度にも大きな影響を及ぼしているのではないかとも思う。偏差値によって輪切りにされている現在の大学教育では、(偏差値的な観点から見て)中堅以下の大学に通う学生には自分に自信を持てなくなっているケースがかなりあるのではないだろうか。

 「自分は勉強ができない」「だから大学の勉強などしても無駄である」という連想がそこで生まれているのであれば、それは大学やそれ以降の人生での学びにとって大きなマイナスとなるはずだ。

 もちろん、大学入学時の学力の差がある以上、入学後のスタート地点に違いがあることは否定できない。しかし、高偏差値の大学に入っただけでだらだらと4年間を過ごした学生と、大学の偏差値は低くとも入学後にしっかり勉強し、優秀な成績を収めた学生とを比べれば、卒業時の学力は確実に後者の方が上である。

 話を戻せば、確かに実力もないのに大口ばかりを叩いていたり、他人を見下していたりするのは問題だろうし、「意識高い系」の人が批判されやすいのもそういう態度が原因なのだろうと思う。

 それでも、根拠のない自信はないよりもあったほうがいい。それはたぶん「今の自分はダメだが、少なくとも今よりはマシになることができる」と思えるための土台になる。

大阪を蝕むシニシズム

「既得権」をめぐる報道

 時期を逸してしまったが、大阪都構想に関する話だ。

 といっても、都構想の賛否について論じたいわけではない。その賛否に関する報道や文章にはそれなりに目を通しているものの、賛成や反対を明確に論じられるほどの知識があるわけではない。ぼくが生まれ育ったのは大阪市旭区だが、そこを離れてずいぶん経つし、大阪市の現状について詳しいわけでもない。

 それよりも気になるのが、都構想にまつわる「語り」だ。その語りを見る限り、維新の会的なものは実質的な「勝利」を収めたのではないかと思う。

 維新の会はこれまでしばしば既得権の破壊をその目標として掲げてきた。これは新自由主義的な方針を掲げる政党によく見られる特徴であり、さまざまな規制や制度によって守られてきた既得権を破壊し、競争を促進することで社会は効率化できるという発想がその土台にある。

 実際、既得権の破壊を叫び始めたのは維新の会が初めてというわけではない。ここで示したグラフは『朝日新聞』と『読売新聞』で「既得権」という言葉が用いられている記事の数の推移を表したものだ*1。このグラフを見ると、1997年と2000年から2001年にかけての報道量が突出しているもの、1980年代の後半から既得権を問題視する報道が継続していたことがわかる。

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 もっとも、そこで語られる既得権の内容は時期によってかなり異なる。たとえば、1980年代末に既得権者として語られることが多かったのは規制によって守られた企業や業界団体だった。それが1990年代になると政官業の癒着がさかんに論じられるようになり、「族議員」や「巨大権限な持つ官庁」が既得権の温床として批判されるようになった。

 ただし、既得権者としての「族議員」への批判は2000年代前半に小泉政権下でピークに達したあと、急速に減少していく。企業や業界団体が既得権者と見なされることも減っていき、「官」が言わば最後の大型既得権者として残ることになる。

 ここで興味深いのは、2000年に入るころから官批判のニュアンスが少しずつ変わってきたことだ。官が有する巨大な権限が既得権と見なされる傾向が続く一方、そこで働く人たちの待遇が既得権として語られるようにもなってきたのだ。

 2000年代以降のもう一つの特徴は、既得権者と見なされる対象が徐々に広がってきたということだ。高齢者、正社員、農家、農協など様々な人びとが既得権者として言及されるようになっていく。たとえば、2010年1月5日の『朝日新聞』に掲載された記事には次のようなコメントが見られる。

誤解を恐れずに言えば、既得権者の中には従来、弱者といわれてきた人もいるだろう。しかし、状況の大転換の中で、セーフティーネットの張り直しも含めて、既得権の仕組みをリセットして根底から変えないと、どんなに頑張っても成長の糧を得ることはできない。
(出典)『朝日新聞』2010年1月5日(朝刊)

 かくして、かつて巨大な組織や権力を批判するための言葉であった既得権は、ついに生活保護受給者にまで向けられるようになっていく。2011年12月には民主党前原誠司政調会長(当時)は「年金受給者に比べて生活保護の方が受給が高い。今までのあかを取りながら既得権益を退治する」と述べたと報道されている(『毎日新聞』2011年12月10日(夕刊))。

 年金受給者もまた既得権者としてしばしば言及されることを踏まえるなら、もはや誰が既得権者と見なされてもおかしくない状況が生まれてきたと言っていい。「権益」に対する批判として始まったものが、憲法で保証された「健康で文化的な生活を営む権利」を批判するところにまで到達したのである。

 宮本太郎さんは「やみくもに特権や保護を叩き、これを引き下げることで政治的支持を拡げようとする言説」を故・丸山真男の言葉を借りて「引き下げデモクラシー」と呼んでいるが、そのための土壌は着実に用意されてきた。

 そして、こうした「引き下げデモクラシー」的な言語戦略を最大限に駆使してきたのが維新の会ということになるだろう。維新の会の世界観が「敵か味方か」という二項対立的な性格を帯びていることはしばしば指摘されるが、そこで敵とされるのは要するに既得権を貪る者なのである。

 今回の住民投票の結果を受けて、賛成派の論客から出てきた言葉はまさにそうした世界観を如実に表している。実際のところは未だ定かではないが、都構想に反対したのは主として「高齢者」や「生活保護受給者」だと彼らはいう。彼らの発想からすれば、「高齢者」や「生活保護受給者」は自らの既得権の奴隷でしかなく、自分のアタマで考える力を持たない。もし考える力があるなら、都構想に賛成するはずだからだ。

シニシズムと民主主義

 政治コミュニケーション論では、狭隘な自己利益をただ追求するだけの存在として他者を見る態度を「シニシズム」と呼ぶ。「政治家や官僚は自分たちの利益のことしか考えていない」と見なすのが典型的なシニシズムであるが、「高齢者や生活保護受給者が自分たちの既得権だけを考えて都構想に反対した」という主張もシニシズムの発露と考えてよいだろう。

 こうしたシニシズム的な世界観は、新自由主義的な小さな政府路線と非常に相性が良い。政治家や官僚が自分たち自身の利益しか考えないのであれば、彼らの人数や活動範囲を可能な限り小さくしたほうが良いというのが自然な判断だからだ。

 だが問題は、こうしたシニシズムが民主主義に深刻なダメージを与えるということだ。人間が狭隘な自己利益の奴隷なのであれば、そこでは対話や説得といった民主主義の重要な要素はほとんど意味をなさない。力で抑えこむか、それとも騙すかのどちらかしかなくなってしまう。言い換えると、これは裏返しの唯物史観のようなもので、政治的な理念や主張は物質的利益を覆い隠すイデオロギーでしかないという発想に近い。

 もちろん、政治の役割が有限な資源の配分である以上、熟議で全てが解決できるわけでもなく、対立が起きることは避けられない。ただし、本来的にはその対立軸は複数あるべきで、ある政策では協力し、別の政策では対立するといった形であるからこそ、対立が過度に激化することは抑制される。

 ところが、単一の対立軸だけが支配的になると社会の維持が難しくなる。そこにシニシズムが入り込んでいくなら、対話も説得もなく、相手の人間性を否定する罵り合いだけが続いていくことになる。都構想の是非をめぐって反対派/賛成派の論者がそれぞれに論争相手の利害関係を問題にし始めたのはまさに象徴的と言っていい事態だった。

 都構想を話のネタとして消費するだけの論客にはそれでも構わないかもしれないが、大阪市の住民は今後も賛成派住民と反対派住民とで地域を作っていかなければならない。住民投票が終わった後になっても、離れた場所からシニシズムの毒を地域の人間関係に注入し続けるような言動は厳しく批判されてしかるべきだ。

 さらに言えば、維新の会よりも遥かに長きにわたってシニシズムの毒をふりまいてきたマスメディアの言語も批判されるべきだろう。たしかに、様々な人びとの背後に利権の存在を見出し、それを暴露するというジャーナリズムの営みが権力監視や腐敗防止という役割を果たしてきたことも否定できない。だがそれは、あらゆるところに既得権者を見出し、攻撃することとイコールではないはずだ。

 ともあれ、大阪市での住民投票は終わった。願わくば、ぼくのふるさとがシニシズムを越えたところに次の未来を見いださんことを。

参考文献

J.N.カペラ・K.H.ジェイミソン、平林紀子・山田一成監訳(2005)『政治報道とシニシズムミネルヴァ書房
C.ヘイ、吉田徹訳(2012)『政治はなぜ嫌われるのか』岩波書店
津田正太郎(2013)「『引き下げデモクラシー』の出現:既得権バッシングの変遷とその帰結」(石坂悦男編『民意の形成と反映』法政大学出版局)。
宮本太郎(2009)『生活保障』岩波書店

*1:このグラフの作成にあたっては『聞蔵Ⅱ』および『ヨミダス歴史館』を使用した。これらの記事データベースは、1980年代半ば以降の記事であれば、記事内で使用されている言葉まで検索できるが、それ以前の記事では見出しおよびキーワード検索しかできない。また、1980年代半ば以降であっても、全ての記事がデータベース化されておらず、地域面やスポーツ面などのデータは逐次的に追加されている。一例を挙げると、『朝日』の静岡・山梨・宮城の地域面が収録されているのは1993年10月以降である。そこで、年ごとの記事数の比較をより正確に行うため、『朝日』については東京発行の本紙に限定して、『読売』については東京発行の全国版に限定して集計している。そのため、たとえば2011年の大阪発行の地域面では既得権関連記事がかなり掲載されているが、その数は反映されていない。

努力を「語る」流儀

学歴の話はなぜ荒れるのか

 学歴というのはとても荒れやすいテーマだ。

 ほとんどの人が学校教育を経て成人する現代社会において、それはやむを得ない部分もある。それぞれに様々な経験があり、それらから導き出された何かしらの考えがある。自分と違う意見を見れば批判したくもなる。万人に支持される意見を語ることはおそらく不可能だ。

 たとえば、赤木智弘さんによるこのエントリも、コメント欄ではさまざまな意見が書き込まれている。赤木さんの文章の一部を引用する。

子供の学力は子供の意志に関係なく、子供の親が子供に対してしっかりと金を使い、勉強に没頭するような環境を用意できるかどうかで決まってくる。学歴というのは親が用意した道に他ならず、本人の努力すら親が用意したものなのである。
(出典)努力という言葉に見る日本の落日

 さてここで、ぼく自身の経験を振り返ってみたい。ずっと以前にもブログに書いたことがあるが、こんな話だ。

 今から20年以上前、ぼくは成人式に出席するために地元に戻っていた。成人式自体は荒れることもなく終わり、中学校時代の知人と一緒に会場の外に出た。

 会場の外は再会を懐かしむ声の渦だった。ぼくもそれなりに旧交を温めていたものの、なかには楽しくない再会もある。昔からソリの合わなかった知人がぼくに聞こえるように大声で言う。「いいよな、東京の大学に行けるやつは」

 その言葉にぼくは腹を立てた。ぼくはたしかに東京の私立大学に進学していた。しかし、そこに至るまでにはストレスの溜まる浪人生活があり、自宅で愛用していた半纏の袖が擦り切れるまで勉强したのだ。

 しかし、いまにして思えば、その知人の言葉には真実があった。高校3年生になるまでほとんど勉强しなかったツケを予備校生活で払うことができ、東京の私立大学に進学させてもらえる経済的環境がぼくには確かにあったからだ。もっと言えば、ぼくがいま研究者として何とかやっていけているのも、生得的な環境によるところがきわめて大きい。

 とはいえ、大学進学直後のぼくがそれを認めることは難しかったはずだ。当時のぼくが赤木さんのブログを読んでも腹を立てていたに違いない。来る日も来る日も予備校と図書館に缶詰めとなり、不毛な暗記作業に精を出す生活を経たあとで「お前が大学に行けたのはすべて環境のおかげだ」と言われるとさすがに反発したくもなる。

 環境的な諸要因が学歴に与える影響に関する議論が荒れやすい理由の一つは、それらの要因と学歴とのあいだに「努力」というファクターが入り込むからだ。環境要因を重視する側は努力ができるのも環境の影響だと主張し、学歴の価値を強調する側は努力が環境には還元されないことを強調するという流れになりやすい。

「すべては環境のおかげ」か

 そもそも、多くの人は自らの業績については(謙遜する場合を除いて)努力の価値を語ることを好み、環境要因を認めたがらない。他方、(とりわけ嫌いな)他者の業績については「環境のおかげ」を持ち出す傾向が強い。ここで紹介したいのが、米国のアファーマティヴ・アクションに反対するアフリカ系米国人に関する話だ。

 言うまでもなく、アファーマティヴ・アクションとは歴史的・社会的要因によって不利な立場に置かれてきた人たちのための制度だ。典型的には、大学進学や就職、昇進などでマイノリティを優遇することで不平等の是正を図る。

 実際、このアファーマティヴ・アクションのおかげで少なからぬアフリカ系米国人に社会的上昇の機会が開かれた。少し古いがジグムント・バウマンの著作から引用しておこう。

黒人家庭の三分の一が、今では全米の平均(現在3万5千ドル)かそれ以上の年収を得ているが、ほんの四半世紀前、その割合は4分の1以下であった。黒人家庭の5分の1以上が、アメリカの豊かさの指標である5万ドル以上の収入を得ている。多数の黒人弁護士、医師、企業経営者が生まれており、政治的な影響力を行使したり、自ら発言したりしている。こうしたことはすべて、アファーマティヴ・アクションなしに起こりえただろうか?最近、ニューヨーク大学ロースクールが行った調査によると、ロースクールの学生となり、アメリカでもっとも有利な職業につく機会をえた3435名の黒人のうち、自分の試験結果の力だけで入学を果たしたのは687名にすぎなかった。
(出典)ジグムント・バウマン、伊藤茂訳(1998=2008)『新しい貧困』青土社、pp.115-116。

 にもかかわらず、近年ではアフリカ系米国人のあいだでもアファーマティヴ・アクションに反対する声が上がるようになっているという。それは、この制度が存続する限り、彼らの成功は自身の努力の成果ではなく、政策(環境)のおかげということになってしまいかねないからだ。

 もちろん、制度的な支援があったとしても、彼らの上昇移動が彼ら自身の努力によるものであったことは否定できない。だが周囲の目は違う。先に述べたように、人は他人の業績については環境のせいにしたがる。いくら努力したとしても「あいつがいまの地位にあるのはアファーマティヴ・アクションのおかげだ」などとやっかみを込めて言われ続けたら、「そんな制度はもうやめてくれ」と言いたくもなるだろう。

 このような問題はアファーマティヴ・アクションに限った話ではない。たとえば、欧米に移住したアジア系移民には勤勉に学び、働く文化があると言われる。学校でもアジア系移民の子弟がホスト国のネイティブに勝る優秀な成績を納めることは少なくないようだ。

 しかし、こうした文化的要因を過剰に言い募ると、アジア系移民自身の努力を卑しめることになると盛山和夫さんは指摘する(盛山和夫(2006)『リベラリズムとは何か』勁草書房、p.171)。

 つまり、アジア系移民には勤勉な文化があると言われてしまうと、いくら頑張ったところで「文化(環境)のおかげ」にされてしまう。アジア系だろうと何だろうと努力はそれなりに辛いわけで、いくら社会学的に正しかろうと「努力できるのも環境のおかげだ」と言われてしまうと、さすがに嫌な気持ちがするはずだ。

 まとめると、いくら環境に恵まれていようとも、ある人物のなした業績をすべて「環境のおかげ」と言い切ってしまうことには問題がある。実際、恵まれた環境にあっても努力しない人は数多く存在する。とはいえ、すべてを「本人の努力のおかげ」に還元してしまうと、環境要因を無視することにもなり、結果として様々な不平等が見逃されることにもなりがちだ。不平等を是正するための有効な手段として教育機会の拡充を挙げる研究者は多い。

努力を「語る」流儀

 以上のように長々と書いてきたが、結局のところ、このエントリの結論は赤木さんのそれと異なるわけではない。他人を攻撃するためのレトリックとして「努力不足」が語られる状況は確かにある。生活に困窮している人たちに対して「努力が足りなかったからだ」という言葉を向ける人は多い。個々人にはそれぞれに違った環境要因があり、それを詳しく知っているわけでもないのに「努力が足りない」と言い募ることは往々にして非常に暴力的だ。

 他方で、努力に意味はなく、世の中の成功や不成功のすべてが環境要因や遺伝的要因で決まるということになれば、多くの人にとって前に進むための動機づけが失われてしまう。

 すべてが自分自身ではどうしようもない要因によって決まってしまうのであれば、環境や才能に恵まれない人びとに残されるのは残された生をただ自堕落に過ごすだけということになりかねない。努力は、環境や才能を自らが欠いていることを自覚してもなお前進するための唯一のルートになる。

 羽海野チカさんの将棋マンガ『3月のライオン』に登場する努力家型の棋士である島田は、天才型の棋士である宗谷について次のように語る。

宗谷は「天才」と呼ばれる人間のごたぶんにもれずサボらない。どんなに登りつめても決してゆるまず、自分を過信する事がない。だから差は縮まらない。どこまで行っても。しかし「縮まらないから」といって、それがオレが進まない理由にはならん。「抜けない事があきらか」だからって、オレが「努力しなくていい」って事にはならない。
(出典)羽海野チカ3月のライオン(4)』白泉社

 そうして彼は地道な努力を続け、その姿は劇中の若き棋士に大きな勇気を与える。元気づけられる読者も多いだろう。

 努力とは他人の努力不足を攻め立てるために語られるべきものではない。自らの今の地位を誇示するために語るべきものでもない。そうではなく、後に続く者たちを無言で叱咤し、激励するためのものではないだろうか。