擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

ネット内における文化摩擦

 ここ数日、コンビニや飲食店がらみで頻発するネット炎上に端を発して、学歴論やネット論などがさまざまに展開されている。

 昨今の炎上では、ツイッターやフェイスブックなどの写真が掲示板に投下され、それで一気に話が拡大するというケースが多い。なんで、そんなにしょうもない投稿をやってしまうのかという話については、このエントリの解説が説得的だと思う。

 さらにもう一つ、ぼくが思うのは、炎上が頻発する背景にはネット内における文化摩擦が存在するのではないかということだ。

 炎上をさせている側、すなわち2ちゃんねるのユーザーは基本的に匿名だ。だからといって、個々のユーザーが何のまとまりもなく書き込みをしているかと言えば、そうでもない。少なくとも彼らの一部はチームプレーを楽しんでいるようにも思える。

 たとえば、問題となる写真があったとすれば「映像解析班の人よろしく。俺はコイツの過去ログをもっと掘ってみるわ」というような書き込みがあったりする。他方で、「ぼくは今回、初めて祭りに参加しました」というような書き込みに対して「これからも頑張れ」みたいな、新人を励ますようなコミュニケーションもある。

 かといって、書き込みの主体が明確になるようなコミュニケーションはほとんどない。言わば、利用者が匿名のままで「集合知」を導き出すようなコミュニケーションが展開されている。まあ、ここで言う「集合知」とは、要するに攻撃対象の身元や通学先、住所なのであるが。

 他方、炎上させられる側は、先ほども言ったようにツイッターやフェイスブックの利用者であり、ここでは誰が書き込みをして写真を投稿したのかということは、実名を出しているか否かに関わらず最初からはっきりしている。ここに、少なからぬ2ちゃんねるのユーザーを嫌う理由の一端があるように思う。

 つまり、無数の名無しさんたちによる「集合知」を追求する側からすれば、発言主が常に特定されるツイッターやフェイスブックは、ネットのあるべき姿に反していると感じられるのではないだろうか。それぞれに異なるスキルを持つユーザーが匿名のまま同じ場所に集い、協力しあう2ちゃんねるの文化と、個々人が「面白いこと」を言ったりやったりして自己顕示欲を満足させようとするツイッターやフェイスブックの文化。この二つの文化が出会い、衝突するときに不可避的に発生するのが、炎上という現象なのかもしれない。