擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

ディズニーランド・パリ雑感

 メディア研究や社会学では、しばしばディズニーランドが題材になる。空間の意味づけだの、従業員の教育方法だの、とにかくディズニーランドというのは現代社会の縮図というか一側面を非常に明確に映し出していると言われる。

 先日、パリのディズニーランドに行く機会があったので、日仏のディズニーランドの違いを踏まえつつ、思いついたことをだらだらと書いてみたい。ただし、家族旅行、しかも1日だけの訪問、さらに浦安のディズニーランドもここしばらく行っていないということで、基本的にはいつもと同じくチラシの裏ということで、ご了解いただきたい。

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 さて、パリのディズニーランドだが、開園時間は午前10時である。いまネットで確認したら浦安のは午前8時開園なので、ずいぶんと遅い。しかし、パリの場合、ディズニーランド直営のホテルに宿泊していると、午前8時に入園できる(らしい)。要するに2時間は混雑しない園内で楽しむことができる(のだろう)。

 無論、ディズニーランド直営のホテルは高い。近隣のホテルと比較しても非常に高い。このあたり、カネを余計に支払った顧客にはそれなりの付加サービスがあって当然だという発想があるのだろう。浦安の場合にも同じようなサービスはあるが、たしか15分だったと思うので、浦安側の平等志向の強さを感じざるをえない。

 さて、入場料金であるが、普通にチケットを買った場合、大人1人で69ユーロ、子ども1人で62ユーロだった。1ユーロ130円で計算すると、前者が約9000円、後者が約8000円。使い慣れないユーロのせいで感覚が麻痺していたが、いま改めて計算してみて少し目眩がした。

 この高い料金設定のせいか、園内の客層はパリ市内とはやや違うような印象を受けた。印象論ではあるが、白人が多く、有色人種は少ない感じだ。もっとも、アジア系の客もそれなりにはいる。また、なかにはチェ・ゲバラみたいな客もいて、ぼくは彼を見ながら「チェよ…、お前までこんな資本主義の極北のようなところに来てしまうのか」などと勝手に思っていた。

 客のモラルは概して高いとは言えず、アトラクションで行列にならんでいる間に喫煙したり、ショーの見物中のマナーの悪さなどが印象に残った。ショーが始まった瞬間、後ろまで見えるように前の人は座るなどという殊勝な考えは吹き飛ぶらしく、万人の万人に対する闘争(自然状態)が現出した。むろん誇張だ。ただ、浦安のディズニーランドの客が訓練され過ぎているのかもしれないとも思う。

 行動様式の違いと言えば、浦安のように仮装している客の割合はかなり低かった。全くいないわけではないのだが、小さな子どもの仮装が多く、大人ではあまり見かけなかった。ディズニーランドは非日常を演出することで、普段とは異なる行動様式を客に取らせ、そのことで祝祭的な空間をいっそう盛り上げているわけだが、パリはその点であまり成功していない。パリは物販が振るわず、膨大な入場者数のわりに慢性的な赤字に苦しんでいるそうだが、その理由の一端はここに求められるかもしれない。

 また、浦安のディズニーランドは園内の食料品に関して、かなり徹底したコントロールをしているように思うのだが、パリではどこにでも売っているアイスクリームばかりが売っていたりと(なのに園外と比較するとかなり高い)、ここでも非日常的な感覚を創出するための努力が足りないように思う。屋台型の店舗で売っているのがアイスクリームとポップコーンぐらいしかないのも気になる。

 従業員について言うと、やはり浦安のディズニーランドに軍配が上がる。イギリスやフランスの一般的な顧客サービスに比べればずいぶんと頑張っているとは思うが、それでも浦安のディズニーランドの従業員による異様に高いパフォーマンスと比べれば劣る。

 ただ、これも浦安側の従業員が過剰に訓練され過ぎているだけなのではないかとも思える。伝え聞くところによると、浦安のそれは宗教に近いノリすらあるとも聞くので、浦安のディズニーランドはやっぱり素晴らしいという結論を安易に導き出したいとは思わない。一歩間違えれば、ワ○ミ的だとも言えるし。

 アトラクションについては、当たり前だが、日本にあるものと同じものが多い。ホーンテッドマンションとか、カリブの海賊とか、スイスファミリー・ツリーハウスとか、まあそんなのだ。

 しかし、ジャングルクルーズはなかった。思いつく理由としては、アフリカにルーツを持つ住民を多数抱えるフランスにおいて、途上国に対するあの悪意に満ちた表象があまりに攻撃的すぎると判断されたのかもしれない。もっと実践的な理由としては、案内役の話芸が重要な役割を果たすあのアトラクションは、フランス語を母語としない客がかなりの割合を占めるパリのディズニーランドには不向きだということがあるかもしれない。

 ついでに、異文化の表象ということで思い出したのだが、今回、イッツァ・スモール・ワールドにも行った。文化的なステレオタイプを煮詰めて凝縮したようなアトラクションである。各国の民族衣装をまとった人形たちが歌い踊る、小さな子どもに単純化された世界像を刷り込むにはうってつけの場所だとも言える。

 浦安でも何度も行ったアトラクションではあるが、今回、初めて気づいたことがある。それは、同じステレオタイプであっても、西洋や日本のそれはあくまで現実の一部を切り取っているものであるのに対し、途上国の表象になるほどステレオタイプが現実から乖離していくのだ。伝説上の生き物や人間と意思疎通する動物など、どう考えてもフィクションの域を出ない表象が続く。

 ディズニーによる異文化表象には問題が数多く含まれることはすでに指摘されているが、一見すると無邪気に見えるこうしたアトラクションにまで「西洋的まなざし」が露骨に反映されているところが油断できない。もっとも、回転が早いので、待ち時間が比較的短く、小さい子どもでも楽しめる。そういう意味ではお勧めのアトラクションではある。

 というわけで、思ったところをつらつらと書いた。最後のほうはパリのディズニーランドと全く関係ないような気もするが、まあそれはご愛嬌ということで。