擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

愛国者は現代日本人がお嫌い?

(昔のツイートのサルベージ)

 愛国心が旺盛な人は、目の前に存在する自国民に往々にして憤慨する。なんでこんなにモラルが低くて、公共性に欠けていて、反日思想に毒されているのか、と。

 このような「日本は大好きなんだが、実際に日本列島に暮らしている日本人は好きになれない」という状況を前にして、どのような心理的反応が生じるのかを以下のように類型化してみた。 

(1)シンボルへの逃避 

とりあえず、大多数の国民はクソなので、国旗や国歌、シンボリックに一体化できる人物(理想化された歴史的人物、オリンピック等の勝者)に一体化する。それ以外の国民は存在しなかったことにする。

(2)啓蒙路線に走る。

とりあえず国民の「レベルアップ」を図ることで、理想と現実とを一致させようとする。戦後の市民派とかマルクス主義者はこのカテゴリーに入るのではないか。ナショナリストが教育に手を突っ込みたがるのも同じ理由。目の前の国民はクソだが、将来にはきっと俺の思想に同調してくれる素晴らしい子どもたちで溢れかえるはずだ、みたいな。

しかし、この手の発想は結局のところ、挫折を運命づけられている。

(3)優生思想に走る。

お眼鏡にかなう国民だけを選別して、それ以外は死んでも良しとする。もちろん、選別には何らかの基準が必要なので、似非人種理論を振り回したり、経済的競争に勝つことが優れていることの証だ、といった根拠を持ち出す。むろん、その基準はどこまで行っても恣意的である。

なお、この手の思想を語る人は、「自分が選別する側にまわる」ことを当然の前提にしている。無知のヴェールをいっかい被ってみればいいのに。

 言うまでもなく、(1)~(3)はあくまでも理念型なので、実際のナショナリストの思想はそれらの混在として語られることになるだろう。また、(1)と(3)は比較的相性が良い気がする。