擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

イエスの方舟事件から見る「出会い系バー」報道

読売新聞の「出会い系バー」報道

 加計学園獣医学部設置認可をめぐる疑惑に関連して、前川喜平・前文部科学事務次官の言動がメディアの注目を集めている。

 ここでは獣医学部の件は措いて、同氏の「出会い系バー」をめぐる報道について述べておきたい。もちろん、ぼくが「出会い系バー」に詳しいとか、そういう話ではない。

 事は、5月22日に『読売新聞』が前川氏の「出会い系バー」通いを報道したことに端を発する。

 複数の店の関係者によると、前川前次官は、文部科学審議官だった約2年前からこの店に通っていた。平日の午後9時頃にスーツ姿で来店することが多く、店では偽名を使っていたという。同席した女性と交渉し、連れ立って店外に出たこともあった。店に出入りする女性の一人は「しょっちゅう来ていた時期もあった。値段の交渉をしていた女の子もいるし、私も誘われたことがある」と証言した。

 昨年6月に次官に就いた後も来店していたといい、店の関係者は「2〜3年前から週に1回は店に来る常連だったが、昨年末頃から急に来なくなった」と話している。
 読売新聞は前川前次官に取材を申し込んだが、取材には応じなかった。

 「出会い系バー」や「出会い系喫茶」は売春の温床とも指摘されるが、女性と店の間の雇用関係が不明確なため、摘発は難しいとされる。売春の客になる行為は売春防止法で禁じられているが、罰則はない。


(出典)『読売新聞』2017年5月22日(朝刊)

 『読売新聞』でこの「ニュース」が報じられたのは、加計学園に関する文科省の内部文書を本物だと前川氏が認めたということが報じられるよりも前の時点においてである。

 つまり、一般の読者からすれば、「出会い系バー」報道時における前川氏というのは、文科省の役人が大学に天下りをしたことの責任をとって数ヶ月前に次官を退いた人物でしかない。

 世間的に注目度が高いとは言いづらいこうした人物についての、明確な買春の証拠が提示されているわけでもない報道には、やはり違和感が残る。まあ、何かしらの「事情」があったんだろうなあと推測することは、それほど不合理ではないだろう。

イエスの方舟」事件をめぐる報道

 …すでに話が長くなってきたが、今回の主要なテーマは『読売新聞』の報道というよりも、前川前次官はなぜ「出会い系バー」に通っていたのか、というものである。もちろん、ぼくは同氏と面識があるわけでなし、正確な情報があるわけでもない。メディア報道から得られた間接的な知識しかないことは最初に明記しておく。

 まず、前川氏が「出会い系バー」に通っていた理由として貧困問題の調査を挙げたときには、正直、「ほんまかいな」と思ったことは告白しなくてはならない。と同時に、「これで世間を納得させるのは難しいのではないか」とも感じた。こういう出来事に関して、多くの人は「貧困調査」などよりも「女性とセックスがしたい」という動機解釈に説得力を感じるからだ。

 そこで思い出したのが、イエスの方舟事件である。「イエスの方舟」とは、千石剛賢氏という人物が主宰していた小さな宗教団体であり、多くの女性信者が加わっていた(男性信者もいた)。彼らは1978年4~5月ごろに集団で失踪しているが、『婦人公論』1980年1月号に失踪した女性の母親の手記が掲載され、他のマスメディアの報道が続いたことから、世間的な注目を集めるようになっていく。

 これらの報道では、「イエスの方舟」は「ペテン集団」「邪教」「セックス・ハーレム」とされ、主催者の千石氏については「カネと女に目がない男」「精力絶倫男」というレッテルが貼られた*1。つまるところ、「イエスの方舟」というのは、千石氏が己の性欲を満足させるためにでっち上げたインチキ宗教グループにすぎないとされたのだ。

 ところが、その後、千石氏と信者たちが姿を表して行った証言により、事件の構図は大きく変わっていく。

 新たな構図によれば、信者たちはそれぞれ家族とのトラブルを抱えており、「イエスの方舟」は言わば駆け込み寺的な存在であった。千石氏は信者たちの良き理解者であり、失踪やその後の逃避行も千石氏ではなく、信者の女性たちの主導で行なわれていた。そして、夫婦間を除けば、千石氏や信者たちの間での性的関係はなかったとされる。

 つまり、信者たちにとって千石氏というのは気のいい「おっちゃん」であって、「イエスの方舟」にまつわる数々の「スキャンダル」は世間が作り上げた一種の妄想だったのである。

 ともあれ、こうしたスキャンダルの最中にあっても、『サンデー毎日』のように冷静な報道を行うメディアも存在はしていた。だが、世間はそれを信じなかった。中年男性が何人もの若い女性となぜ共同生活を送っているのかという問いが投げかけられたとき、多くの人びとは「信仰に基づく人助け」という動機解釈よりも、「セックス・ハーレムの形成」という動機解釈に説得力を感じ、それを好んだということだ。

前川前次官の「動機」

 前川前次官の「出会い系バー」通いの話に戻ろう。なかなか信じがたい前川氏による動機の説明であるが、今週発売の『週刊文春』(6月8日号)には、同氏の説明を裏付けるような記事が掲載されている。

 この記事では、前川氏と何度も会っていたというA子さんが証言を行っており、「キャバ嬢になる」と言ったA子さんを同氏が厳しく叱ったことや、高級ブランド店への就職を熱心に応援していたことなどを語っている。A子さんのご両親も前川氏の存在を知っており、結婚式に呼ぶことを勧めるほどだったのだという。

前川氏への信頼がうかがえるA子さん。だが、本当に二人の間に肉体関係はなかったのか。
「ありえないですよ。私、おじさんに興味ないんで。口説かれたこともないし、手を繋いだことすらない。私が紹介した友達とも絶対にないです。いつも一人で前川さん帰っていってましたから。」


(出典)『週刊文春』2017年6月8日号、p.27。

 この記事を読むと、最初は信じづらかった前川氏自身の語る出会い系バー通いの動機が、かなりの説得力を持つように思えてくる。A子さんと前川氏のことを「まえだっち」と呼んでいたそうだが、彼女にとって前川氏は気のいい「おっちゃん」であったのかもしれない。

 もちろん、これは個人の証言に基づく記事にすぎず、別のメディアからがっかりするような前川氏の姿が伝えられる可能性もある。人の心は目に見えない以上、貧困調査とは異なる動機が同氏のなかにうごめいていた可能性を完全には否定できない。また、出会い系バーに通うことが貧困調査の方法として果たして妥当だったのかという点についても議論の余地はあるだろう。

 さらに言えば、文科省による大学への天下り人事については、一大学人としてやはり厳しく批判せねばならない。前川氏の人格に関係なく、やはりそれは「あるべき行政の姿」を歪めたと言わざるをえない。

 そのうえでなお、もし千石剛賢氏と同様、前川氏が気のいい「おっちゃん」であり、しかもそうした人物が文部科学行政のトップにいたとのだとすれば、加計学園をめぐる問題とは無関係に、少し素敵な話ではないかと思える。

*1:*玉木明(1996)『ニュース報道の言語論』洋泉社、p.133。