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擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

フエルテベントゥラ紀行(2)

フエルテベントゥラ紀行(1)

 ブログは「テーマを決めて書け」とよく言われる。そういう意味では、普段、堅苦しい話ばかり書いているこのブログでお気楽な紀行文を書くというのは、コンセプトとして間違っている。間違ってはいるのだが、(1)を書いてしまった以上、(2)も書かざるをえないのである。

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 前回はロンドンのガトウィック空港からフエルテベントゥラ島行きの飛行機に乗り込むまでを書いたわけだが、機内に入って驚いたことがある。それは、白人の比率が異様に高い、ということだ。

 イギリス発の飛行機なんだから当たり前だと思われる人もいるかもしれない。だが、多民族社会であるロンドンで暮らしていると、白人ばかりという場面に遭遇することは意外に少ない。もちろん、そういう空間もどこかにはあるのだろうが、地下鉄であれ、大学図書館であれ、ショッピングモールであれ、普段ぼくが行くようなところではいろいろな肌の色の人たちが混在しているのが普通である。

 機内が白人ばかりの理由としてまず思い浮かぶのは経済的な理由だ。だが、少なくとも昨今では有色系でもそれなりに余裕のある生活をしている人たちは決して少なくない。もちろんイギリスは貧富の格差の大きな社会だが、貧富の境界線は人種や民族のそれとあまり重ならないと言われる[1]。

 だとすれば、考えられるのは文化的、宗教的な理由だろう。キリスト教の祝日であるイースターを他宗教の人たちは休まないのかとも思ったのだが、公的な休日なのでその線は薄いように思う。だとすれば、イギリスに数多くの存在するムスリムシーク教徒の人たちと、女性の肌の露出が大きくなりがちなリゾート地との相性の問題ではないかという気がしてくる。実際、フエルテベントゥラ島に到着後も、観光客の圧倒的多数はイギリスやドイツから来たであろう白人層だった。というわけで、「欧米リゾート地における人種問題」というテーマで論文を書ける気がしてきたのだが、ぼくはやらないので興味のある人は是非やってください。

 そういう無駄な思考をしつつ、子どもたちが3DSで『星のカービィ』に興じているのを横目で見ながら、ウェブ社会についての本を読んでいるうちに、飛行機はフエルテベントゥラ島に到着した。

 飛行機から降りると、懐かしい感じの空気が押し寄せてきた。湿度が高いのだ。日本の夏を思い出させる。

 前回も書いた通り、フエルテベントゥラ島はスペイン領である。なので、ロンドンからの到着便の場合、パスポートチェックがある。だが、イギリス国籍の人たちはパスポートをちらっと見せただけでどんどん入国していく。さすがEUに加盟しているだけのことはある。

 ところが、ぼくら非EU国民はそうはいかない。出入国カードに記入しなくてはならないからだ。普通は飛行機のなかで配るものだと思うが、おそらく記入する必要のある乗客が極端に少ないのでやらないのだろう。実際、ぼくら以外にパスポートゲートの周囲でカードに記入していのは2、3人だけだった。イギリスではEU脱退に関する国民投票を行うか否かで政党間の対応が分かれているが、こういう場面に遭遇すると、EUも悪いことばかりでもないのではないかとも思う。

 ともあれ、パスポートチェックを終えたぼくらは、空港内でATMを探しまわった挙句、ようやくいくばくかのユーロを手に入れ、ホテルへと向かう。事前にグーグルマップで見ていたかぎり、空港からホテルまでは近そうに見えたので、万が一の時には歩くのもありかな、と思っていた。が、いざタクシーに乗ってみると、「近い」というのはとんでもない勘違いであったことに気づく。とても子連れで歩けるような距離ではない。地図の縮尺には気を付けねばならん、と改めて思ったのであった。

 というわけで、フエルテベントゥラ島での滞在が始まった。とりあえずホテルでの滞在については書くことは少ない。特筆すべきことが何もなかったからだ。

 フットワークの重い我々は、ホテルのプールサイドでのんびりと寝転がって過ごす。あるいは、ホテルの近くの砂浜でだらだらと遊ぶだけである。

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 プールで泳いでいるのは、たいていが子どもである。その親たちはと言えば、われわれ同様、ただごろごろしているだけである。子どもははしゃぎ、親はだらだらする。正しい休日の過ごし方ではないか。無論、子どもがすべてプールで遊んでいるわけではない。プールサイドに寝転がりながらiPadの動画を見てニヤニヤしている小太りの男の子は正しくインドア系男子であり、ある意味では微笑ましい。

 しかし、プールサイドで寝転んでいるだけでも、日差しは強烈であり、肌がじりじりと焼けてくるのがわかる。そのなかでも頑張って、ぼくはウェブ社会についての本を読む。後半になると論理の飛躍が目立つようになり、イライラしたりもするが、その憤りをぶつける相手がいない。しょうがないので誰にも聞こえないように「これとそれは全然別の話だろうが」と小さく呟いてみる。不毛だ。

 これを書いていたら思い出してまたイライラしてきたので、とりあえずこのエントリはここで終わることにする。イライライライラ。

 さて、このフエルテベントゥラ紀行、あと1回ぐらいは続きそうである。それにしても誰か読んでいる人いるのかね?この文章。

脚注

[1]デイヴィッド・バーン、深井英喜ほか訳(2010)『社会的排除とは何か』こぶし書房、p.231。