擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

真夏の恋

 小学校6年生の夏、ぼくは何度目かの中耳炎になった。知っている人も多いと思うが、中耳炎の治療はけっこう痛い。憂鬱な気持ちで耳鼻科のドアを開けたぼくの目の前に、待合室で順番を待つ天使がいた。

 というのは、むろん嘘だ。しかし、ぼくの目の前に大好きだった同じクラスの女の子がいたのは本当だ。といっても思春期の小学生である。反射的に「テ、テメー、なんでこんなところに!」というような身体表現をする。だが、体の動きとは裏腹に、ぼくの心は「ヒャッホーーーーイ!!!」と歓喜の声を上げた。

 彼女のことを好きになったのは、6年生になってすぐのことだった。それまではほとんど接点がなかったのに、席替えでたまたま近くの席になったのだ。もっとも、最初にぼくが好きになったのは、彼女の隣に座っていた別の女の子だった。しかし、わずか3日でぼくの恋心は彼女へと矛先を変えた。軽薄だと思われる向きもあるかもしれないが、それからぼくは4年間、彼女のことが好きだったわけで、その点は容赦願いたい。

 さて、当時のぼくは既にいろいろなものをこじらせ始めていた。一つには、推理小説を書いていたことがある。といっても、小学生のやること、わら半紙に汚い字で書いたものをホッチキスで止めただけの冊子だ。しかも3作ぐらいで止めてしまった。

 そして、ぼくの愛情表現は、自分が書く小説に好きな女の子を犯人または被害者として登場させ、それを本人に読ませるという形をとった。好きな女の子をわざといじめるという話はよく聞くが、それと比べても相当に歪んでいたように思う。

 小説の内容はほとんど忘れてしまったが、一作だけは記憶に残っている。タイトルは「魔の山村」。「まのやまむら?」と読まれたので「さんそん!」と言い返したことはよく覚えている。ストーリーはといえば、医者のいない山村で起きた謎の傷害事件。被害者をなんとか麓の病院まで連れてくるものの、残念ながら出血多量で亡くなってしまう。そして、犯人はなんと被害者を病院まで献身的に背負ってやってきた人物なのだ。実は、犯人は被害者を背負いながら、傷口からせっせと血液を絞り出していたのだ!!!

 ……話を戻そう。
 そんないびつな愛情表現を交えてではあったが、ぼくと彼女はそれなりに仲良くやっていたのではないかと思う。給食時、同じ班になった児童たちは机を4つ合わせてひとつのテーブルを作り、そこで食事をすることになっていた。しかし、思春期にさしかかったばかりの児童たちのこと、ほとんどの男子と女子は机をくっつけようとはしなかった。そんななか、ぼくと彼女はぴたりと机をくっつけ、楽しく給食を食べていた。

 あるいは体育のプールの時間。水泳の練習を終えると、最後の5分ぐらいは自由に遊べる時間だった。ぼくはたいてい彼女と水のかけあいっこをしていた。いちおう、ぼくも男子ではあるし、彼女が小柄だったこともあり、どうしてもぼくのほうが優勢になる。やがて彼女は水をかけてくるのを止め、顔を拭い始める。それに気づくと、ぼくも慌てて水をかけるのを止めて、彼女がふたたびぼくに水をかけはじめるのをじっと待っている。フェミニストに言わせれば、腕力の優越性を見せつけることで男性としての支配欲を満たしていたということになるのかもしれないが、そこは小学6年生男子のやること、ご容赦願えれば幸いである。ぼくにとって、彼女が顔を拭い終わるのを待つのはこのうえなく幸せな時間だった。

 むろん、(ぼくの中では)美しい思い出もあれば、そうでないものもある。ぼくは平泳ぎがわりと得意だった。ゴール付近には麗しの彼女がいる。それに気づいたぼくは、息継ぎのたびに満面の笑みを彼女に向けた。冷静に考えれば、相当にキモいのではないかと思うが、ぼくの奇妙な笑顔に彼女が気づいていなかったことだけを今は祈りたい。

 お風呂で体と頭を毎日きちんと洗うようになったのも、実はこのころのことだ。それまでは烏の行水と親に言われていたのが、急に毎日1時間近くを風呂場で過ごすようになった。彼女の前で「お前、鼻毛出てんぞ」と言い放ったクラスメイトには今でも呪詛を送りたい。その次の休憩時間中、誰にも見つからないように窓の外に顔を突き出して必死で鼻毛を抜いたことが思い出される。

 そして夏休み。本来なら大好きな彼女にも会えないはずの長い期間。ところが、そこに降って湧いたかのような特別ボーナスが冒頭の耳鼻科での出会いだった。初回こそビーチサンダルで出向いたぼくだったが、彼女と出くわしてからは母親に不審がられながらも靴と靴下で耳鼻科に通うようになった。

 もちろん毎回会えるわけではない。ドキドキしながら耳鼻科のドアを開け、いなかったとしても待合室で備え付けのホラー漫画を読みながら彼女が来るのをただただ待ちわびていた。白血病で死んだクラスメイトが祟るとか、赤ちゃんが母乳をあまり飲まないのでカエルにあげたら大変なことになったとか、ろくでもない内容だったことだけはよく覚えている。

 耳鼻科での出会いに味をしめたぼくは、更なる偶然の出会いを期待し、真夏の昼下がりによく自転車で街を放浪していた。某天沢聖司氏のように完璧なプランなどあるはずもなく、彼女の家もどこにあるのかを知らなかったので、何の脈絡もなくただ走っていただけである。当然、耳鼻科以外で彼女に出会うことはなかった。

 夏休みが明けたあとも、ぼくと彼女はそれなりに仲良くやっていたと思う。たしか、一緒に図書委員をやっていて、二人で図書室に行くのが至福の時だったようにも思う。ただ、席が離れてしまったので、以前ほどの親密さは味わえなかった。当時、小学館の歴史マンガにはまっていたぼくが歴史年号を果てしなく暗記することで知性をアピールするという明後日な方向に走り始めていたというのもマイナスに作用したのかもしれない。

 さらに、楽しみにしていた修学旅行をぼくは発熱で欠席してしまい、秋の遠足では彼女のほうが体調を崩して参加できなかった。そして何事もないまま、ぼくたちは小学校を卒業した。

 中学校では彼女と一度も同じクラスにはならなかった。クラス発表のたびに彼女の名前を必死で探したが、つねに失望だけが待っていた。何かの委員会で一緒になったことはあったが、話す機会はなかった。体育祭のときに偶然に話す機会があったものの、「○○(ぼく)は、☓☓(別の女の子)と仲がいいんだよね~」というまったく根拠のない話を聞かされ、途方に暮れたことだけを覚えている。

 さらに、中学校ともなると、スクールカーストが厳しくなってくる。ラグビー部やサッカー部のヤンキー系男子が人気を博す一方、いちおうは体育系の部に所属してはいたものの、ぼくのように軟弱な男子の地位は低い。勉強がたいしてできるわけでもなく、スポーツもぱっとしない。休日にはパソコンでゲームをするか、西村京太郎の列車ミステリーを熟読していたぼくは、スクールカーストの最底辺をさまよっていたと思う。

 そんななかで、ぼくよりも成績が遥かに良い、バスケ部のイケメン男子が彼女のことを好きだという噂を聞いた。その話をぼくに教えてくれた友人は「お前じゃ、勝ち目はまったくない」と断言した。ぼくもそう思った。

 それでも中学校を卒業するまで、ぼくは彼女のことが好きだった。彼女のことを一目でも見ることができた日は良い日だった。彼女のクラスの前を通るたび、こっそりと視線を教室のなかに向け、その姿を探した。

 卒業後、ぼくと彼女は別々の高校に進んだ。風の噂で高校では結構な茶髪になったという話を聞いたが、それを実際に目にすることはなかった。成人式でも出会いは叶わず、現在に至るまで彼女とは一度も会っていない。

 あれから長い長い月日が流れて、油脂のせいでシャンプーをしてもなかなか泡立たないおっさんにぼくはなった。あと数年もすれば、上の子どもが小学6年生になる。それでも、夏を迎えるたび、プールでの水のかけあいと、耳鼻科での出会いがぼくの脳裏には浮かぶ。

 歪んではいても、それでも人生で一番まっすぐに誰かを好きだった頃の記憶として。