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擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

メディア・リテラシーなるもの

コミュニケーション

 ぼくは大学でメディアについて教えている。

 メディアに関して学生の書いたものを読むと、かなりの割合で「メディア・リテラシーを身につけることが必要である」とか「マスメディアを鵜呑みにしてはいけない」という結論に至っている。まるで誰かがフォーマットを作っているのではないかと思うほどだ。

 しかし、教員としてこういうことを書くのはいかがなものかとも思うのだが、そもそもメディア・リテラシーなるものは実践可能なのだろうか。ここで安易にウィキペディアから引用してみると、次のように書いてある。

メディア・リテラシー(英: media literacy)とは、情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。
(出典)メディア・リテラシー - Wikipedia

 言わんとすることは分かる。分かるのだが、実際問題としてこれを実践することは不可能なのではないだろうか。

 毎日、毎日、マスメディアやネットを経由してわれわれのもとには膨大な情報がもたされる。それらの真偽をいちいち確かめていたのではメディア・リテラシーを実践するだけで日が暮れてしまうし、真偽を確かめようもない情報のほうがむしろ多い。遠い外国で起きた出来事の真偽など、わざわざ外国に行って調べるわけにもいかない。

 異なるニュースソースを確認するといっても、もともとソースが限られている情報の場合にはその方法も使えない。最終的には、どこかで何かを盲目的に信じるよりほかないのだ。

 結局のところ、完璧なるメディア・リテラシーの持ち主など存在しない。大学で偉そうにメディアについて講義をしているぼくにしても、変な情報を信じてしまって後になって恥ずかしい思いをすることは多々ある。「それはお前の能力が低いからだ」と言われてしまうと、ごもっともと言うよりほかない。

 ただ、ぼく個人としては、絶対に騙されまいとすることよりも、ある程度は騙されても仕方がないという諦めのほうが重要なのではないかと考えている。「自分はメディア・リテラシーが高い」「騙されるはずがない」と思ってしまうと、変な情報を信じてしまったときに誤りを素直に認めづらくなる。自己の誤りを糊塗するためにさらに質の悪い情報源に頼ってしまう可能性すらなしとは言えない。最初から騙されることもあると認識しておいたほうが、誤りを認めるときの心理的ハードルは低いはずだ。

 さらに言えば、本人からするとメディア・リテラシーの実践なのかもしれないが、傍から見ると単なる下衆の勘ぐりか陰謀論にしか思えないことも多い。「アイツがこういう発言をするのは、それでカネが儲かるからだ/組織の差し金だ」という主張はよく目にするが、説得力の欠片もないものも少なくない。「騙されまい」という姿勢が単なる人間不信に陥ってしまうのであれば、寂しい話ではある。

 …と、ここで終わってしまうと、ただの言い訳のような話になってしまうので、とりあえずぼくの考えるメディア・リテラシーについて書いておこう。

 メディア・リテラシーというと、先に見たように自分の外部にある情報をどう吟味するかという話になる。けれども、より有効なメディア・リテラシーはむしろ自分自身を見つめることによってもたらされるのではないだろうか。

 というのも、変な情報に騙されるのは、それが「自分の信じたい情報」であることが多いからだ。ただし、ここで注意する必要があるのは、「自分が信じたい情報」は「自分にとって利益になる情報」とイコールではない、ということだ。

 たとえば、「今年、日本経済は破滅する!」と信じている日本人研究者がいたとしよう。その人にとって日本経済の破滅は決して利益にはならず、個人的にも大きな損害を被ることになる。それでも、その人は日本経済の破滅を予兆しているかに見える情報をどうしても信じやすくなる。それによって自己の認識の正しさが裏付けられたと感じられるからだ。人は自らの判断が正しいことを証明するために、他人や自分自身の不幸すら時に願ってしまう生き物なのである。

 したがって、メディア・リテラシーを発揮するために重要なのは、情報源の吟味よりも先に、自分自身がどういう情報を信じたがっているかを知り、それを率先して疑うことだ。脱原発を支持しているのなら脱原発派に有利だと思われる情報こそ疑うべきであり、安倍政権に反対しているのなら安倍政権にとって不利な情報こそ批判的に吟味すべきだ。

 そのためには、まずは自分自身がいかなる政治的立場を支持しているのかをきちんと知っておく必要がある。何かにつけて中立を気取るよりも、さまざまなトピックについて自分が何を支持して、何を支持しないのかをよく考えておいたほうがいい。「自称中立」の人が実際にはまったくもって中立的ではないというのはよくある話である。

 メディア・リテラシーとはつまるところ情報のフィルターの話だ。したがって、外部の情報を吟味する前に、自分自身のフィルターがどんな状態になっているのかをまずは確認しておいたほうがいい。