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擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

「正しい情報」は伝わるのか

コミュニケーション
「どちらでもない層」を説得する

 先日、NHK国際放送とは別に「日本の立場を正確に発信する」放送局の創設を自民党が検討しているという報道がなされた。

自民党は14日、国際情報検討委員会(原田義昭委員長)などの合同会議を党本部で開き、慰安婦問題や南京事件などで史実と異なる情報が海外で広まっている現状を踏まえ、日本の立場を正確に発信する新型「国際放送」の創設を検討する方針を確認した。中国や韓国などの情報戦略を分析、在外公館による情報発信の拡充についても議論し、今年の通常国会会期内に結論を出すことにしている。
 会議で原田氏は「どういう形で相手国に情報が伝わるかにも目配りしながら、正しいことをきちんと発信していくことが大事だ」と述べ、「攻めの情報発信」の意義を訴えた。
(出典)http://www.sankei.com/politics/news/150114/plt1501140037-n1.html

 このニュースに対して、はてなのブックマークコメントでは「そんなプロパガンダ放送を誰が信じるんだ」といった散々な評価がなされている。ぼくもまったくの同感である。どのような「史実」が想定されているのかが気になるところではあるし、むしろ日本の評判がかえって悪くなるだけなんじゃないかという予感しかしないからだ。

 そもそも、多くの人びとに何かを信じさせようとする場合、その対象は三つのカテゴリーに分けられることが多い。(1)すでに信じている層、(2)その正反対を信じている層、(3)どちらでもない層、である。そして、説得という観点からすれば、もっとも重要なのが(3)ということになる。

 なぜなら、(1)の層はもう説得する必要がないし、(2)の層を説得することは不可能ではないかもしれないが、きわめて困難だからだ。したがって、意見の固まっていない(3)の層をどうやってひきつけるかが重要な課題になる。

 ところが、(自分の目から見て)「正しい情報」を伝えることにばかり気を取られている人は、往々にして(1)の層しか喜ばないようなメッセージを伝えることを好む。人は自分の好みや信念に合致する話を聞くことが好きなので、そういったメッセージは確かに(1)の層には届く。しかし、問題は(1)の層にしか届かないということだ。広くメッセージを伝えるはずだった試みは、ごく狭い層だけを満足させるだけの内輪受けに終わる。

 それでは、どうすれば(3)の層をひきつけることができるのか。この点において他国のプロパガンダ担当者や国際放送局はさんざん苦労してきた。というのも、(3)の層をひきつけようとする努力は、「正しい情報」だけを伝えることに執着する人からすれば気に食わないことが多いからだ。

冷戦期米国における対外宣伝担当者の苦悩

 たとえば、冷戦初期の米国による対外宣伝活動について言うと、当時のソ連は米国を遥かに凌ぐ予算を対外宣伝に投じていたという(以下の記述はL. Belmonte, Selling the American Way (2008, University of Pennsylvania Press)を参照)。そこで米国でも対外宣伝が重視されることになるわけだが、これがなかなかうまくいかない。

 ソ連側は「米国はウォール街の金持ち連中によって牛耳られ、貧富の格差が大きく、人種差別の酷い国だ」というネガティブ・キャンペーンをさかんに展開してくる。それに対抗するためには「米国では労働者の生活が保障されており、人種差別も解消されている」ということを強力に打ち出すよりほかない。さらに、米国の素晴らしさとして「自由と民主主義」が掲げられる。ソ連にはない思想や言論の自由が存在しているというわけだ。様々な娯楽情報を交えつつ、米国の対外宣伝担当者は外国の人びとの目から見て魅力的な米国の姿を描き出そうとした。

 ところが、当時の米国の保守主義者、なかでもマッカーシズムの波に乗る人たちから見ると、そのような米国のイメージは実に「左翼的」に見える。たとえば、海外で実施された米国のモダンアートの展示会を保守主義者たちは攻撃する。そんなものは「反愛国的」だというのだ。

 また、当時の米国は対外宣伝の一環として同国の書物を集めた図書館を多くの国々に設置していた。図書館を通じて米国の自由な思想に触れてもらおうというわけだ。だが、マッカーシズムな人たちからすると、それも気に食わない。彼らは図書館の蔵書をチェックして、そこに「共産主義的」な書物があることを告発する。

 こうしたムードのなか、対外宣伝を担当する国務省とその管理下にあるVOA(Voice of America)は「共産主義者の巣窟」と見なされるようになり、スタッフの相互監視と密告が推奨されるようになる。VOAの内部では疑心暗鬼が蔓延し、そのパフォーマンスも低下していく。他方、米国でのマッカーシーの跳梁は海外にも広く伝わり、図書館の蔵書が検閲されているという事態に衝撃が走る。かくして「自由と民主主義」の国としての米国のイメージは大きく毀損することになったのだった。

BBCの放送=英国政府の姿勢」?

 国際的な情報伝達の難しさを伝える、もう一つのエピソードを紹介しておこう。第二次世界大戦が始まる少し前の英国での話だ。当時、スペインではフランコによる反乱が始まっており、英国からはフランコと戦うべく多くの義勇兵が内戦に参加していた。

 英国の挙国一致内閣はスペインには不干渉の立場を取り、『デイリー・メール』のような保守系の新聞はフランコ側に立って参戦することを求めていた。フランコが倒そうとしていた左派政権が気に食わなかったからだ。そうした立場からすると、「中立」であろうとするBBCの放送が実に「偏向」しているように見える。たとえば同紙は次のような社説を掲げる。

多くの『デイリー・メール』読者からの手紙により、我々はBBCのニュース解説にほぼ毎日示されている偏向について記さざるをえない。それは、英国人としての健康的で自然な偏向なのではなく、奇妙にも赤い類の「主義」に傾斜した偏向なのである。社会主義、急進主義、平和主義、そして国際主義。つまりは多くの国際連盟主義である。しかし、そこに愛国主義は少ない。
(出典)Daily Mail 1937/1/13

 そうしたムードのなか、英国政府の外務官僚もBBCに干渉を試みるようになる(以下の記述はBBC文書アーカイブの内部資料に基づく)。彼らの理屈はこんな感じだ。海外では「BBCの放送=英国政府の姿勢」だと見なされている。そして、フランコはどうやらBBCや『タイムズ』の報道姿勢が自らに敵対的だと感じているようであり、したがって英国政府もフランコに敵対的だと考えているかもしれない。その場合、フランコが内戦に勝利した暁にはドイツやイタリアに接近してしまうかもしれない…というのだ。

 しかし、BBC側の見解からすると、海外で同局が信頼されているのはそれが「中立」で「公平」だと見なされていることにある。つまり、BBCが英国政府の言いなりだと海外の人びとが考えるようになれば、その国際的評価は地に落ちてしまうということだ。

 当時の英国政府とBBCの見解、どちらが正しかったのかを論じることは難しい。人びとが当時、BBCの海外放送をどのように聴いていたのかを調べることは容易ではないからだ。

 ただ、現在のBBCの高い国際的なプレステージを踏まえると、「中立」で「公平」だと見なされているがゆえに信頼されているという自己評価はそれほど的を外していないように思われる。実際、わりと最近の調査で「世界で最も信頼されているニュース放送局」としてBBCの名前が挙げられている(まあ、ソースがBBCというのがアレなのだが…)。実際には英国政府からの様々な圧力に屈してきた歴史があるとしても、キャメロン首相に厳しい質問を投げかけている同局のニュース番組を見ていると、信頼が生まれる理由もなんとなくわかる気がする。
 

一方的な「正しい情報」は伝わらない

 いろいろと寄り道をしてきたが、ここでようやく最初の話に戻る。(3)のどちらでもない層をひきつけるためには、信頼に値する情報源だと見なされる必要がある。一方的な観点からだけの「正しい情報」は伝わらないどころか、そうした姿勢そのものが国のイメージをかえって悪くしてしまいかねない。

 一方から見た「正しい情報」を伝えるためには、それと対立している側から見た「正しい情報」もまた公平に伝えねばならない。そのうえで最終的な判断はそれを見る人に委ねるしかない。とりわけ国際的な知名度の低い極東の放送局が信頼を勝ち取ろうとすれば、「公平」や「中立」とは何かを真剣に考える必要がある。

 このエントリの冒頭で引用した記事によると、自民党内では「従来の枠内では報道の自由など基本的な制約が多いため、今日の事態に十分対応できない」という意見が出ているのだという。数多くのメディアが人びとの限られた時間を奪うべく激しく競い合っているなかにあって、「報道の自由」から外れたような放送をいったいどこの暇人が見るのだろうかという疑問が浮かぶ。

 他方で、「公平」で「中立」の放送局があったところでいったい何の役に立つのかと考えるひともいるかもしれない。だが、たとえ両論併記における一方でしかなかったとしても、自分たちから見た「正しい情報」を広く伝えるチャンネルを持っているということは、決して無意味なことではないはずだ。

 もちろん、「正しい情報」が本当に正しいのか、ということにもよるわけだが。