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擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

ネットでのヘイトスピーチに関する取材手法について

社会

 在日コリアンの方々に罵詈雑言を投げつけていた男性に関する記事が話題になっている。これだ(記事タイトルを一部改変)。

ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける中年ネトウヨの正体【前編】

ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける中年ネトウヨの正体【後編】

 力作である。著者の安田浩一さんのルポライターとしての力量を見せつける迫真のレポートと言っていい。

 この記事で取り上げられている男性については、そのツイートがたまにリツイートされてくることもあり、ぼくも以前から知っていた。その内容は本当に酷く、まさにヘイトスピーチと呼ぶよりほかにないものだった。それゆえ、この男性が安田さんの取材によって追い詰められていく様子に、ある種のカタルシスを感じたことは否定しがたい。

 その一方で、この記事を読んで微妙な居心地の悪さも感じた。それは安田さんが男性の正体を探り当てる手法に起因している。男性のネットへの書き込みから何人かでプロファイリングを行い、その住所を突き止めていく。ネットで炎上が起きたときに当事者の身元を暴露するために用いられる手法と同一である。

 実際にやられてみるとわかるが、そのターゲットになるのは酷く不快な経験だ。自分の過去の書き込みから様々な分析が行われ、自宅が絞り込まれていく。自分ひとりの問題で済むならまだいい。だが、一緒に住んでいる家族にまで影響が及ぶようなことになってはたまったものではない。警察に相談したところで、親身になって話を聞いてくれたとしても、法テラスを紹介してくれるぐらいで実際に動いてくれるわけでもない。

 その経験を踏まえると、安田さんの取材手法にはどうにも一抹の不安が残る。ただ、記事を読む限りそうしたプロファイリングはクローズドな環境で行われており、記事においても男性のプライバシーに一定の配慮はなされている。ネット上でよく行われる「人肉検索」とは一線を画していると言っていいだろう。この記事に対しては「正義の暴走」を指摘するエントリも上がっているが、その批判はあたらないと思う。

 付言すると、ヘイトスピーチとは本来、その人物の属性(国籍、宗教、性、エスニシティなど)に基づいて憎悪を扇動するものなので、このエントリにおけるヘイトスピーチの用法は誤っている。この男性が批判されているのはその言動に問題があるからだ。もう一つ言えば、このエントリで挙げられているスマイリーキクチ氏の件では、結局、氏に事実無根の中傷をぶつけていた人たちは全員が起訴猶予、不起訴になっている。少なくとも現状では、ネット上での中傷に関して法はそれほどあてにならない。

 安田さんの記事に関して危惧することがもう一つあるとすれば、それは男性の家族についてだ。今回の記事と過去の犯罪歴を考えれば、男性の周囲で噂になっても不思議ではない。男性本人に関しては、この男性のさいきんのブログを見る限りヘイトスピーチに関して反省している気配は微塵もなく、まったく同情を感じない。しかし、この男性には家族がおり、こうした事件は往々にして本人よりも家族を傷つける。

 ここで思い出すのが、鈴木伸元『加害者家族』(幻冬舎新書、2010年)という著作だ。被害者家族に関する報道はしばしば行われるが、加害者の家族について正面から論じたものは少ない。

 刑事事件において逮捕されると、容疑者自身は(厳しい取り調べが行われたとしても)警察の保護下に置かれる。ところが、その家族はそうではない。世間のむき出しの悪意に晒されることになる。日中には自宅に戻ることもできず、離婚、引っ越し、転校、親類縁者までもが仕事を辞めたり、婚約を破棄したりということが起きる。自宅にはいたずら電話や落書きが相次ぎ、放火されるケースまでもある。関係者が自殺へと追い込まれることも少なくない。

 仮に「正義の暴走」と呼びうるものがあるとすれば、世間のこうした悪意なのだろうと思う。義憤に駆られている人もいれば、面白半分の人も多いだろう。ある事件の加害者宅に落書きをして逮捕された若者は、落書きに関する報道を受けて「自分も書いてみたい」「面白そうだ」と思い、わざわざ遠方からやってきたのだという(前掲書、pp.72-73)。

 ネットが普及する以前からこうした嫌がらせは行われていたが、ネットが普及してからはそれが集合的に行われるようになった。結果として、事件の当事者とは言い難い人たちまでもが追い込まれる事態がさらに広がっている。勘違いによって無関係の人物が攻撃対象となることも珍しくない。

 下劣なヘイトスピーチを繰り返してきた人物が社会的に糾弾されるのは当然だ。しかし、その家族にまで塁が及ぶことがあってはならない。自力救済の怖さは報復の対象がどうしても拡大しがちなことにある。安田さんの記事は男性のプライバシーに対する配慮があったとは思うが、他のライターもそうした配慮を行うとは限らない。その意味で、難しい問題提起をはらんだ報道だったのではないかと思う。