擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

吉田証言はどこまで国際世論を形成したか

(ツイートのまとめに加筆)

吉田証言の影響力を検証するには

 慰安婦の「強制連行」に関する吉田清治氏の証言とそれに関する報道はどこまで国際世論を形成したのか。いきなりで恐縮だが、ぼくには分からない。分からないのだが、これに関して思うところを少し書いておきたい。

 吉田清治氏の証言やその報道が日韓関係にどれぐらい影響を及ぼしたのかについては木村幹さんが積極的に論じているが、ここでのテーマは広い意味での国際世論に与えた影響についてだ。

 マスメディアの影響を考えるさい、もっとも一般的なのは、それが受け手(聴取者や読者)にどのような影響を与えたのかを検証するというものだ。ただ、今回の件に関して、この調査は非常に難しいだろう。

 また、慰安婦問題の場合、吉田証言がクマラスワミ報告や米国下院の対日非難決議で採用されているということもあるが、内容の決定にあたってどの影響を及ぼしたのかについては意見が分かれている。実際、仮に吉田証言が採用されていなければクマラスワミ報告の内容が180度変わって日本を擁護するものになったのか、対日非難決議案が否決されたのかは判断が難しいだろう。

 そこで、他国のマスメディア、とりわけ国際世論に大きな影響力を与えると思われる有力紙(ニューヨーク・タイムズワシントン・ポストウォール・ストリート・ジャーナルなど)の慰安婦関連報道にどの程度の影響があったのかを調べるという方法が浮かぶ。だが、それだけでもおそらくは膨大な作業量が必要になると予想される。

 たとえば、LexisNexisというデータベースを使い、世界の主要新聞を対象に“Seiji Yoshida comfort women“で検索をかけてみるとする。ヒットするのは41件、2007年に2件あるものの、1992年と2014年に集中しているのが分かる。2014年は朝日による記事の取り消しを扱った記事なので、1992年に限定するなら6件。なぜかオーストラリアの新聞が多い。米国ではNYタイムズの1件(1992年8月8日)のみだ。しかも、この記事は吉田証言の妥当性を疑問視する秦郁彦氏の主張もまた紹介しており、「『すべてのマスコミュニケーション・グループが吉田に騙されてきた』と秦教授は語る」という一文も見られる。

 このように見ると、有力紙の慰安婦報道に対して吉田証言の影響力はほとんどなかった、と結論づけたくなる。しかし、それは早計だ。たとえば、吉田証言を採用しているとジョン・ヒックス氏の著作などを通じて間接的に影響を及ぼしている可能性もあるからだ。実際、“Hicks comfort women”で検索すると532件もヒットする(ちなみにヒックス氏はオーストラリア人なのだが、上記の報道と何か関係あるのだろうか)。

 もっとも、ヒックス氏を取り上げているからといって、それが吉田証言の拡散につながっていると直ちに結論づけられないことは言うまでもない。それは上記の532件の記事を丹念に読んで検証していくしかない。

 他方で、吉田氏の著作を批判なく引用している英語の学術論文も何本か存在している。今回見つけたなかで一番新しいのは2009年にSecurity Studiesという雑誌に掲載された論文だ。その一方で、吉田証言に根拠がないことを紹介している論文もそれなりにあるので、海外の学術研究において吉田証言が疑問なく受け入れられてきたと言うことはできない。傾向としては、日本研究の論文では吉田証言に根拠がないことが示されることが多いような感がある。

 いずれにせよ、吉田証言を無批判に引用した著作や論文が「強制連行フレーム」を形成し、その後の慰安婦報道に影響を与えた可能性は無視できない。その検証のためには、吉田氏の証言に特徴的な「強制連行フレーム」を抽出し、それがその後の報道にどれぐらい影響を与えていったのかを逐一見ていく必要があるのではないかと思われる。なんだかんだいって慰安婦問題の報道量は膨大なので、その作業にはかなりの手間がかかるだろう。もしチャレンジする人がいれば頑張ってください。

「マスメディアの影響力」をめぐる政治的力学

 ただし、それによって数量的な調査結果が得られたとしても、おそらくは異論が噴出することになるだろう。というのも、マスメディアの影響力に関する議論は、学術的な研究とは別に、政治的な性格を帯びやすいからだ。

 たとえば、ある報道を厳しく批判する人にはその影響力を大きく見積もるインセンティブが働く。そのほうが、報道によって大きな損害が生じたと主張しやすいからだ。他方で、その報道を擁護する人には逆のインセンティブが働く。そのため、あるメディアを嫌う人ほどそのメディアの影響力を過剰に評価し、それを擁護する人ほど過小に評価するという奇妙な事態にもなる。

 マスメディアの影響は目に見えないことが多いので、それを論じる者自身の利害関心やイデオロギーがどうしても入り込んでしまう。慰安婦問題をめぐって政治的な対立が存在する以上、その影響力をめぐる議論もまた政治的な力学のもとに置かれることは避けられないのだろう。

吉田証言にこだわることの意味

 以上の点を踏まえるなら、以下の話もぼく自身のバイアスを反映したものとなる可能性があるわけだが、最後に一つ指摘しておきたい。

 マスメディアの受け手(読者や聴取者)はその内容をつねに鵜呑みにするわけではない。ここでの話で言えば、海外メディアの記者ということになるわけだが、『朝日』やその他の新聞が吉田証言を報道したといっても、彼らがその内容をそのまま自国の読者に報じるとは限らない。それどころか、彼らなりに裏取りをし、そのうえで報道している可能性は充分にある。1992年8月のNYタイムズの記事が秦郁彦氏のコメントを取り上げているのは上で見た通りだ。それでも海外メディアが慰安婦問題に対して日本に批判的なまなざしを向けているのであれば、それは吉田証言以外の根拠によるものである可能性も忘れてはならない。

 言い換えれば、海外メディアの記者やその受け手は特定メディアの情報を何でも鵜呑みにする愚か者ではない。そう考えることは彼らの知性に対する侮辱でもある。日本語という言語的障壁は決して越えられないものではなく、さまざまなチャンネルを通して彼ら自身で情報を収集している。ましてや今は、日本で放送されたアニメにあっという間に外国語の字幕が付いて違法に配信されることが問題となる時代なのだ。その点を踏まえずして「吉田証言の悪影響」にこだわりすぎることは、海外メディアの憤りを生むとともに、より重要な問題から目を逸らす危険性があるとぼくは思う。