擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

ネット上で社会学者の評判はなぜ悪いのか

 こんなタイトルのエントリを書くというのは、正直、悩ましい。

 というのも、ぼくは社会学の正規教育は受けておらず、自分が社会学者だとはちょっと名乗れないからだ(制度的な理由で学位は「法学」だ)。

 とはいえ、社会学部に勤務しているのは確かだし、社会学的なものに親しみもある。以下の文章は、あくまでそういう中途半端な立ち位置から書かれた「個人の感想」だということをまずは述べておきたい。

 ネット上での社会学の評判はよくない。大変によくない。

 実のところ、ネット上で積極的に発言をしている社会学者の数はさほど多くないと思うのだが、通常は社会学者だとはカテゴライズされない人も、「政治社会に関する発言をしており、かつ多くの人びとから反発を買っている人文社会系の学者」は「社会学者」とみなされてしまうことが結構ある。

 それではなぜ、ネット上で社会学者はこんなにも嫌われるのだろうか。

 社会学者が嫌いな人からは当然、「能力が低い」「頭が悪い」からだという反応が返ってくるのではないかと思う。論文の査読制度もろくに機能せず、コネだけで大学に職を得た頭の悪い連中が、本来ならもっと違うところに使われるべき税金を無駄に食いつぶし、社会的に有害な思いつきを垂れ流している、といったところだろうか。

 この評価はもちろん、ぼくが考えたわけではなく、ネットでよくみる意見を大雑把にまとめたものだ。社会学者をこのようにみている人たちは、以下を読んでもたぶん時間の無駄なので、ここでやめることをお勧めする。

 以下では、ネット(とくにツイッター)上で社会学者の評判が悪いことについて、「能力が低い」「頭が悪い」以外の理由を考えてみたい。また、ネット上で論争になりがちなテーマ(最近だとジェンダーや性表現)との重複が大きいことや、テレビなどでよく露出する社会学者の問題についても考えないことにする。

 社会学というのはとにかく幅が広い学問だ。産業社会学、政治社会学、地域社会学等々、さまざまなな「〇〇社会学」が存在し、それぞれの研究テーマは大きく異なる。グローバリゼーションやナショナリズムといったマクロなテーマを扱う研究もあれば、個々人の主観や自我などミクロなテーマを扱うものもある。インタビューや参与観察など質的な方法論を用いられることもあれば、統計データを活用する数量的なアプローチがとられることもある。理論系の研究者であれば、きわめて抽象的な問題について思惟することになる。

 とはいえ、それらの研究の多くは、人びとの日常生活ときわめて密接なかかわりを持つことに特徴があると言える。仕事、家事、教育、娯楽、性愛、SNSでのコミュニケーション等々、われわれの日常生活のなかの事象は、そこに繰り返される何らかのパターンがあるならば、たいてい社会学的な探求の対象になりうる。

 言い換えるとそれは、社会学者が個人としていだく主観的な感想と、研究者としての思考との境界が「傍から見ると」分かりづらいということでもある。そしてそのことが、ネット上での社会学の評判を押し下げている一つの要因になっているのではないだろうか。

 これは自然科学者と比較すれば分かりやすいのではないかと思う。自然科学者が政治や社会について何かツイートしたとしても、それは傍目にも「個人の感想」であることがすぐにわかる。

 だから、その人が専門外のことでいくらトンチンカンなことをツイートしようとしても、その人の研究者としての能力は必ずしも棄損しないし(もちろん、やりすぎると研究者としての能力にも疑問はつくと思う)、ましてや学問領域そのものの信頼性は揺るがない。どこかの医師がいくら怪しげな陰謀論を吹聴しようとも、そこから現代医学そのものの評価が下がるということはほとんどないはずだ。

 ところが、社会学の場合はそうではない。社会学者が社会問題について何らかのツイートをした場合、それは一個人としての感想なのか、それとも研究者としての考えなのかが分かりづらいのだ。

 先にも述べたように、一言で社会学といってもその範囲は広く、労働社会学を専門にしている研究者が、教育問題について詳細な知識をもっているとは限らない。だから、社会問題に関するツイートであっても、それは研究者ではなく一個人としての感想である可能性は高い。しかし、傍から見るとそれが分からない。

 加えて、ぼく自身もそうなのだが、個人としての素朴な(それゆえに大して考えてない)感想をツイートすることもあれば、専門領域にそれなりに近い内容をツイートすることもある。見方によっては、立場をはっきりさせないままツイートをすることで、個人としての立場と専門家としての立場を都合よく使い分けているとみえるかもしれない。

 このような状況では、社会学者がなにか素っ頓狂なツイートをすると、それが個人としてのツイートなのか研究者としてのツイートなのかが分かりづらいために、研究者としての能力の評価に直結してしまうし、場合によっては学問領域そのものの信頼性にも傷が入ることになりうる。

 つい先日、「コミュニケーションの方法には問題があるが、専門家としての能力は超一流」という人物がネットで話題になったが、社会学者の場合にはそんなことはまず起きないだろう。「コミュニケーション能力が低い→学者としての能力が低い→学問としての価値が低い」という話になってしまう。

 これを踏まえると、学問としての社会学の信頼を守るためのもっともラディカルな方法は、全員がツイッターをやめる、あるいは「社会学者」という肩書でツイートをしないということになるのではないかと思う。言いたいことがあれば論文で書く。ブログについても査読で通ったもののみをネット掲載を許す、ぐらいの徹底が必要かもしれない。

 しかし、それはさすがに無理だし、あまり楽しい方向性だとも思えない。ありうる方向性としては、専門家として発言するときにはそう明示し、それ以外のときには単なる個人の感想や思いつきだということが分かるようにしておく、ぐらいではなかろうか。

 そして、それを受け取る側も、社会学者のものであれ何であれ、研究者のツイッターやブログは単なる感想や思いつきだと受け止めたほうが無難だろう。たとえば、この文章は1時間ぐらいで書いたが、論文を1本書くには通常、数か月から数年の準備が必要になる。したがって、この文章もそういうものとして受け止めてくれると嬉しい。

 もっとも、それだけの時間をかけて論文を書いたとしても、短時間で書いたツイッターやブログを読んでくれる人のほうがはるかに多い多いというのが残念ではある。残念だ…

「人間として扱われること」の希望と絶望

「人間」やりたいよっ!

先日、はてなブックマークでこんなエントリが話題になった。

anond.hatelabo.jp

かいつまんで言うと、こういう話だ。

自分の外見についてずっと嫌な思いをしてきた女性が、外見ではなく仕事の力量で評価される職場に入り、ようやくその呪縛から解放されたと思った。

ところが、見た目の麗しい女性が後輩として職場に入ってきたことで事態は変わる。同僚男性がその女性に自分とは異なる態度で接しているのを見てしまい、見た目の呪縛からなお自由ではなかったことに気づいてしまったというのだ。
 
先の文章の追記で、この女性は次のように述べている。

見た目よりも仕事の実績!な環境にはいれてさ、やっと人間扱いされたと思ったんだよ。

会社の中、特定の部署、その中の少人数のチーム。

この中なら、仕事中は全員人間でいられると思った。

だけどさ、その女性がきて男性が態度を変えてから「男性」と「女性」に分かれてしまった。

またここでも「女性」をやらないと駄目なのか、という絶望の話をしたかっただけ。

プライベートじゃなくて「仕事中」くらいは「人間」やりたいよって!

もちろん、この女性が実際に差別されたかどうかは意見の分かれるところだろう。ただ、社会的に不利とされる特徴をもつ人物が、他のあらゆる人びとと同じ人間として平等に扱ってもらうことを希望するというのは、ごく一般的な心理である。

マジョリティとマイノリティとは何が違うのか

実際、いわゆるマジョリティとマイノリティとの違いとして、後者が「標準的な人間」ではない自己をしばしば意識させられるということが挙げられる。

たとえば、男性ばかりの職場で働く男性は、職場内で自分が男性だということを意識させられることはあまりない。自分の属性についてさほど気にしなくてもよいのが、マジョリティのマジョリティたるゆえんなのだ。

それに対し、そうした職場で働く女性は、自分が女性だという事実と頻繁に向き合わねばならない。単なる医師や弁護士ではなく、「女医」や「女性弁護士」でなくてはならないということだ(「男医」や「男流作家」といった言葉が用いられないのは示唆的である*1)。

別の例を挙げるなら、日本社会で日本人が生きていくにあたって自分の国籍を意識することはさほどないだろうが、海外で暮らせば「日本人としての自分」に向き合う機会は格段に増える。

もちろん、それがメリットになることもありうるとはいえ、自己の属性によって差別的な扱いを受けることもでてくる(某大の医学部入試において女性の受験者にハンデが課されていたのはその顕著な事例である)。

そうした差別を解消するための方策の一つが、マジョリティもマイノリティも関係なしにみな同じ人間として扱うというものだ。先に引用した文章で、書き手の女性が「仕事中ぐらいは人間をやりたい」と言っているのは、まさにそういう方向性を指し示している。

たしかに、男だろうが女だろうが、肌の色がなんだろうが、みな同じ人間だとしたうえで、学校なら成績で、職場なら仕事の能力でその人の評価を決めるというのは理にかなっているし、多くの場合に有効な処方箋ではある。

ところが、性別や国籍といったあらゆる区別を度外視し、みな同じ人間として扱えばそれでOKかと言えば、まったくもってそんなことはない。そこが、この問題の難しいところなのだ。

「人間」であるための前提

まず、人間と一言でいっても、実際には「標準的な人間」であるためにさまざまな暗黙の前提に従っている必要があることが多い。

つまり、「みんな同じ人間として扱いますよ~」といっても、たとえば日本社会なら、日本国籍であること、一般的な行動パターンから外れる宗教や価値観を信じていないこと、私生活や体調を度外視して仕事に専念できること、等々の暗黙の前提がそこに含まれているということがしばしば起きる。男性であること、あるいは男性か女性のいずれかであることが含まれていることもある。

それのどこが問題かと言えば、最初から何の苦労もなく人間である人と、相当に努力したり、自分を無理に抑えつけないと人間になれない人がいる、ということだ。そうなると、人間として平等に扱ったとしても、実質的には平等でも何でもないということにもなりうる。

そのため、ここからは実質的な平等を達成するためには、差別されていたり、不遇な立場にある人びとを積極的に支援するという処方箋が提起されることになる。

もちろんそれは、あらゆる区別を度外視し、同じ人間として扱うという先のものとは根本的に異なる処方箋だ。その是非をめぐっては、無数の議論が展開されている。

「ただの人間」でしかないことの絶望

そして、もう一つの問題が、あらゆる人が同じ人間だというのは、必ずしも心地よい状態ではないということだ。

他人と同じ存在だということは、往々にして他人と交換可能な存在だということである。つまり、自分はいつでも替えのきく存在だということであり、極端な話、「いてもいなくても同じ」ということにもなりかねない。

もちろん、集団的な熱狂状態など、他人と同じだということが快楽に思える瞬間はある。あるいは、自分が他人と代替可能な存在であることに安らぎを覚える人もいるだろう。

けれども、「いてもいなくても同じ」であることが精神的にしんどくなってしまう人は少なくない。他人とは違う存在でありたいという願い――アイデンティティと呼ばれることもある――を多くの人はどこかに抱えて生きている。

こうした観点からすると、ただの人間であるということは、希望というよりも絶望の原因ともなる。少なくとも、涼宮ハルヒには興味を持ってもらえない可能性が高い(わからない人、すいません…)。

ただの人間であることに起因する絶望から、難しい試験に挑んだり、仕事に打ち込むことで逃れようとする人もいる。他人には得がたい資格や立場を手に入れることで、「特別な人間」になろうというわけだ*2

あるいは、自分が所属している集団にアイデンティティを求めようとする人もいる。とりわけ、差別されたり、蔑まれたりする属性をもつ人びとにとって、その属性にプラスの意味を与えるという行為は、自己の尊厳にとって重要な意味を持ちうる。

肌の色によって虐げられてきたアフリカ系米国人が”Black is beautiful”というフレーズを用い始めたとき、そこには黒人であるということを恥ずべきこととしてではなく、誇るべきこととして意味づけ直そうとする決意が込められていた*3

そのように自己の属性が、自らの尊厳と分かちがたく結びついている場合、「同じ人間でしょ?」と軽々しく言い切ることは、その人が背負ってきた属性に起因するさまざまな経験や記憶を否定してしまうことにもなりかねないのだ。

「人間として扱われること」の希望と絶望

このように、人間として平等に扱われることには、希望と絶望とがある。そして、このことが、非常に難しい問題を生んでいる。

ひとりは人間として平等に扱ってもらうことを望み、もうひとりは「標準的な人間」像とされるものに不平等性が内在していることを指摘する。さらに別のひとりは他の人間とは異なる自己の特性が社会的に承認されることを求める。

そのため、そこにダブルスタンダード(?)を見出す人も出てくる。「自分の都合に合わせて、人間として平等に扱われることを要求したり、自己の特性を承認しろと言ったりする」という具合だ。

たとえば、冒頭で紹介した文章には、以下のような反応が生まれ、それが多くのユーザーによって「正論」として賞賛された。

anond.hatelabo.jp

要するに、最初の文章を書いた女性は、平等に扱われたかったのではなく、後輩のように「女性としてチヤホヤされたかったのだ」という趣旨の文章である。言い換えると、女性ではなく人間として平等に扱われたいという希望ではなく、容姿に優れた「特別な人間」でありたいという願望をもっていたことが、この女性の問題だというのだ。

正直、この過剰に攻撃的な文章にさほど評価すべき点があるとは思われないが、多くのユーザーがそれを「正論」とみなした背景には、最初の文章を書いた女性も含めて、人間として扱われることの希望と絶望とが混在した状況があるのではないかと思う。

個人的な考えを言えば、そこにすっきりとした解決はおそらくない。普遍的に通用する処方箋は存在せず、個別の文脈において、人間として扱われることの希望と絶望について地道に考えていくよりほかないと思う。

もちろんそれは何も言っていないに等しいのだが、自分や他人が何を求めているのかを考える一助になればと思い、これを書いた次第である。

*1:岸政彦(2015)『断片的なものの社会学朝日出版社、p.173。

*2:石川准(1992)『アイデンティティ・ゲーム 存在証明の社会学新評論、p.28

*3:前掲書、p.30

役割を担うこと

 ぼくが高校生のときの話だ。

 学校の講演会で、視覚障害をもつ男性のお話をうかがう機会があった。詳細はさすがに覚えていないが、一つだけとても印象に残る話があった。

 その方には、まだ小さなお子さんがいた。ときどき、その方のところに「お父さん、本読んで」とお願いをしに来る。

 だが、障害のために本を読んであげることはできない。それでも本を開いて、ページをそっとなでる。だが、読めない。

 この話がなぜ印象に残ったのか。当時、その理由はわからなかった。それでも、ページをただ触るその方のイメージがぼくの脳裏に強く残った。

 それから、およそ20年がすぎた2011年3月。東日本大震災にかんするある記事が、ぼくに強烈な印象を残した。その記事の一部を紹介しておこう。

津波に襲われた(宮城:引用者)県南三陸町。30代の母親ががれきの中でうずくまり、泣いていた。「なんにも悪いことしてないのに。どうして……」あの日、2歳の娘を寝かしつけ、山向こうの町に買い物に出て地震に遭った。山を越えて轟音(ごうおん)が響いてきたが車は動かず、坂道を走った。そこから先の記憶はない。娘は翌日、自宅があった場所から400メートルほど離れたがれきの下で見つかった。消防団員が顔を拭いてくれていた。いつもの歯磨きのように、口を大きく開けて指で泥をかきだしてあげた。震災3日後、がれきの中から、やっとアルバムを掘り出した。砂ぼこりが巻きあがる中、泥だらけのアルバムを胸に母親は泣き続けた。
(出典)『朝日新聞』2011年3月24日朝刊。

 これを読んだときにも、なぜこの記事が強く訴えかけてくるのかがわからなかった。

 それからしばらくして、考え事をしながらぼくは勤務先の大学のキャンパスを歩いていた。そのとき、先の視覚障害者の方のお話と、この記事とが突然に結びつき、これらがなぜ強い印象を残したのかがようやくわかった気がした。

 ぼくは、役割を果たせない悲しみに打たれていたのだ。

 視覚障害者の男性は「本を読んであげる」という役割を果たすことができず、震災で幼子をなくした母親は「歯磨きをしてあげる」という役割をもう果たせなくなってしまった。その悲しさが、強い印象となって残ったのではないかと思う。

 思えば、役割と共感や感動は深く結びついている。たとえば、スポーツドキュメンタリーなどで、選手たちが自らに課せられた役割を真摯に、懸命にこなしている姿は多くの人の心を打つ。一般的に期待されるよりも遥かに大きな熱量で役割を果たそうとする人の姿は感動的だ。逆に、たとえ望んでも役割を果たせなくなってしまった人の悲しさも、やはり強く心に残る。

 おそらく、この背景には「人は誰しも何らかの役割を果たすべきだ」という考えが深く内面化されていることがあるのではないかと思う。

 言うまでもなく、この考えには非常に危険な側面がある。

 「役割を果たしていない/果たせそうもない人間は不要だ」という発想につながりかねないのだ。この手の発想が過去において巨大な暴力と殺戮とを生んできた歴史を忘れてはならない。

 あるいは、役割の押しつけが人に過剰な負担を生じさせる結果をもたらしうることも自明だ。だから、嫌な役割から降りたり、逃げたりする自由も当然なくてはならない。

 ただそれでも、役割を真摯に果たすことへの畏敬や、役割を失ってしまったことの悲しみまで否定してしまうのは、どこか間違っているのではないかと思う。

 ここで必要なのは、「役割とは何か」をずっと広げて考えることだ。カネを稼ぐことだけが人の役割なのではない。人間の役割はもっと複雑で、もっと多様だ。

 正月に帰省したとき、父と話す時間があった。

 ここ数年、認知症になった母を父はずっと介護している。デイケアサービスも利用しているが、基本的には一人で母の世話をしている。

 仕事を辞めてから、暇になるかと思いきや、母の介護でむしろ忙しくなったぐらいだと父は言う。「お母さんを看取るのが俺の役目や」

 仕事を辞めたあと、父は新しい役目を見つけたんだと思った。家事をなにもしない「昭和の夫」だった父は、いまずっと尊敬できる人になった。

 そして母も、父に生きがいを与えるとともに、孫の目の大きさやまつげの長さ、肌の色の白さを何百回も褒めるという役割をちゃんと果たしている。

 もちろん、現実はそんな綺麗事だけでは回っていなくて、悩みや不安、いざこざはつねにある。それでも、新しい役割を懸命に担っている父は、やはり立派だと思う。

 そんな正月だった。

歴史を取り戻すためには

 「歴史学者から歴史を取り戻そう」という主張が話題になっている。以前から一部でそういう主張は行われてきたわけだが、またしても注目を集めているようだ。

 ぼくは歴史学をちゃんと学んだわけではない。だが、過去の事象をテーマにした論文を書くこともあり、おこがましいことは承知のうえで、思うところを少し書いておきたい。

いかにして研究を始めるのか

 研究者といわれる人の多くは大学院で研究の手法を学び、そこから専門家としてのキャリアを積んでいく。大学院入学者のかなりの部分は、壮大なテーマを掲げて入学してくる。それ自体は決して悪いことではないが(やりたいことがはっきりしない方が指導する側としては困る)、なにせ壮大すぎる。「このテーマで書こうとすれば、少なくとも10年はかかるんじゃない?」という話になる。だが通常、修士論文は2年で書き上げねばならない。

 研究を進めるうえでもう一つ重要なのは、「オリジナリティ」が必要だという点だ。博士課程まで進むのであれば、修士論文の段階ではそれほどオリジナリティにこだわる必要はないと個人的には思うのだが、それでも既存研究と比べてまったく目新しさがないというのはさすがに困る。

 そこで用いられるのが、研究のフォーカスを絞ることで、必要となる作業量を減らしつつ、オリジナリティを出すという方法だ(ぼくの師匠はよく「一点突破全面展開」と言っていた)。最初から壮大なプランをぶち上げて、いきなり大作を書こうとするのではなく、まずは既存研究の壁が比較的薄いところを探し、その部分を集中的に研究するというやり方である。

 こういった方法を「重箱の隅をつつく」ような研究と揶揄する向きもあるが、細かいポイントに集中する研究を重ねていくことで、やがては点が線になり、緻密でありながらもスケールの大きな研究へと発展していく…(といいな、と思う)。

 ともあれ、研究において重要なのは、既存研究の壁をどうやって打ち破るかということだ。分野によっては蓄積された研究を読むだけで年単位の時間がかかるほどに既存研究の壁が分厚い領域もある。しかし、研究者を目指すのであれば、この部分をおろそかにはできない。オリジナリティを出すには「これまでに何が明らかにされたのか」を知っておくことが必要不可欠だからだ(そうでなければ、いわゆる「車輪の再発明」になってしまう)。

「既存研究からの自由」がもたらす逆説

 とはいえ、学問的な方法に馴染みの薄い人からみると、いちばんイライラするのがこの部分ではないかと思う。自分が論じたいテーマはあるのに、まずはそれについて書かれた多数の論文や著作を読まねばならないというのは非常にまどろっこしい。そこから、それらを読まずに済ますための方法に対するニーズが生まれる。

 そこで出てくるのが、「既存研究は読むに値しない」という発想だ。それによれば、既存の「研究」ははじめから歪んでいる。「自称研究者」は頭がものすごく悪いか、邪悪なイデオロギーに毒されている。だとすれば、既存研究など読まないほうがいい。むしろ、才能があり、学問などというものに汚されていない自分のほうが「真実」へと容易に到達できる。既存研究を無視するのだから、オリジナリティについても気にしなくていい。

 しかし、自分では読んでもいない研究を「読まなくてもいい」と判断するためには、そう言ってくれる別の誰かの言葉を鵜呑みにする必要がある。すなわち、この発想は既存研究を読むという作業からは解き放ってくれる代わりに、別の誰かへの服従をもたらすのだ。「歴史学者から歴史を取り戻そう」という発想は、権威への反逆であるように見せかけながら、実際には別の「権威」へと歴史を譲り渡してしまうことに帰結してしまう。

歴史を取り戻すためには

 もちろん、既存研究に触れたくないより重要な理由として、「読みたいことを書いてくれない/読みたくないことが書いてある」ということがあるだろう。厳密な文章を書こうとすれば、まどろっこしくなったり、奥歯に物が挟まったような言い方になりがちだし、スパッと割り切るような断定も難しくなる。歴史の影の部分にまで光を当ててしまうかもしれない。対して、そういった予防線を張る必要性がないのであれば、「歴史の真実」を簡単に、大胆に、時に感動的に語ることができる。

 とはいえ、このように二項対立的に論じてしまうと、誤解をもたらすかもしれない。あたかも研究者が書いたものが面白くなく、それを否定する書き手が書いたものは面白いという図式を描いてしまいかねないからだ。

 たしかに研究者の書いたものには、小説的な盛り上がりは乏しいかもしれない。けれども、めちゃくちゃに面白いものを書く研究者はたくさんいるし、自分がもともと持っていたイメージに別の角度から光を当ててくれるような文章に出くわしたときには感動しさえする。ただ悲しいかな、そういった地道な面白さは、センセーショナルなマーケティング手法を前にすると、どうしても霞んでしまいがちだ。

 しかし、せっかく歴史に興味があるのに、誰かの言葉に乗せられて「学者の書いたものなど読むに値しない」と考えるのであれば、それはあまりにもったいない。読めば得られるはずの知識が奪われているのと同じだからだ。だから、いま必要なのは、そのような知識の簒奪と戦うことなのではないだろうか。

 それがたぶん、本当の意味で、歴史を取り戻すことなのではないかと思う。

表現の差別性を告発すること

 いまも昔も、ネットでのコミュニケーションでは諍いが絶えない。昨日はあちらで、今日はこちらで、といった感じで、いろいろなところで火の手が上がる。

 それらの「論争」を眺めていると、対立している双方が強い被害者意識を持っていることが少なくない。とりわけそれが「差別批判 vs 表現の自由の擁護」という構図を取ると、その傾向はより一層強まる。

 一方には、差別によって苦しんでいたり、その苦しみを引き受けることでメディア表現のあり方を問題視する人たちが存在する。他方には、そうした差別批判によって自分たちが享受してきた表現の自由が脅かされていると感じる人たちがいる。「相手によって自分たちの権利が脅かされている」と感じる人びと同士が対立する構図が生まれてしまっているように思える。

 そのような構図のもとでは、「潰すか、潰されるか」という発想にしかならず、意見の違いを認め合ったり、歩み寄りが生じたりすることはまずない。これは大変にしんどい状況だ。

 こうした「差別批判 vs 表現の自由の擁護」という対立が生じやすい理由の一つは、ぱっと見、差別だとは分かりづらい表現が差別として批判されることにあると考えられる。言い換えるなら、表現とすら呼べない、誰がどう見ても差別だという暴力的発話に関しては、そういった論争は生じづらい(もちろん、「○○人を殺せ」という発話まで表現の自由として擁護する人も世の中にはいるので、ゼロになるわけではない)。

 しかし、世の中には明確な差別意識に基づかなくても、偏見や差別に寄与してしまう表現はたしかに存在する。ここでは例として、マーティン・ギレンズ『アメリカ人はなぜ福祉が嫌いか』(シカゴ大学出版)という著作を取り上げたい。1999年の著作なので、今とはかなり状況が変わっている可能性もあるが、参考にはなるだろう。

 この著作のなかでギレンズは、米国人の多数が福祉国家の原理には賛成しているにもかかわらず、なぜ福祉の削減に賛成するのかを明らかにしようとする。そこで彼が提起するのが、米国人は「福祉を受け取っているのはほとんどが黒人だ」と考えているからではないか、という仮説だ。

 ギレンズがこの著作を出版した当時、貧困状態にある全ての米国人のなかで黒人が占める割合は27%だった。にもかかわらず、意識調査において「この国の全ての貧しい人びとのなかで、黒人が占める割合はどれぐらいだと思いますか」という問いに対する回答の中央値は50%だったというのだ。

 さらに、黒人は勤勉だと考える人のなかで福祉削減に賛成するのが35%であるのに対し、黒人が怠惰だと考える人でそれに賛成するのは63%に達する。要するに、福祉全般には賛成でも、「怠け者の黒人」には福祉を渡したくないと考えるがゆえに、福祉削減が支持されるというのだ。

 それではなぜ、「貧しい人=黒人」という現実からは乖離したイメージが生まれてしまったのだろうか?ギレンズは歴史を遡り、そうしたイメージが生まれたのが1960年代以降だとしたうえで、マスメディアが大きな役割を果たしたと主張する。

 ギレンズは貧困に関する雑誌記事やテレビ番組を検証し、1960年代後半以降に黒人が登場する割合が急上昇したことや、分析対象の雑誌で取り上げられた貧困者の57%が黒人であり、テレビニュースになるとその割合がさらに高くなること、貧困者に好意的な報道では白人が取り上げられる傾向が強いのに対して、否定的な報道では黒人がより多く取り上げられる傾向にあることなどを明らかにしていく。

 加えて、実際に雑誌制作に携わっている人びとにインタビュー調査を行い、彼ら、彼女らの多くも貧困者に占める黒人の割合を過剰に見積もっているのみならず、ほぼ無自覚的に偏見を再生産していることを明らかにしている(自分たちが作っている雑誌に登場する貧困層の6割が黒人だという指摘を受けて驚愕したのだという)。

 ギレンズの著作はこれ以外にも目が覚めるような指摘をたくさん行っているが、ここでその内容を長々と紹介したのはそれが「完全に正しい」からではない。そうではなく、メディア表現における差別やそれが生み出す問題を論じるために、ここまでの手間暇をかけて調査を行い、分析を行っているからだ。

 メディア表現が差別性をはらむ可能性はたしかに否定できない。その一方で、多くのメディア表現はクリエイターが心血を注いで作り上げるものであり、それゆえにファンはそれを愛好する。なんだかはっきりしない理由で「それは差別だ」として切り捨てられているように見えると腹立たしく思えるのも理解できる。(実際には部分的に批判されているのに、全否定されていると解釈されるケースも非常に多いと思われる)

 だからこそ、研究者なのであれば、ある表現の差別性を告発するにあたってはその歴史的起源を論じたり、数量的なデータ分析によって、根拠ある形でそれを提示するべきではないだろうか。実際、多くの研究者はそうしているのであり、論文検索サイトJ-STAGEでたとえば「ジェンダー 表象」で検索すれば、そうした論文を数多く見つけることができる。

 もちろん、研究には時間がかかる。いま話題のトピックについて研究を始めたとしても、成果が形になるのは早くて数ヶ月、遅ければ数年先になる。そのころにはとっくにそんなトピックは忘れ去られてしまい、何のためにそれをやったのか分からなくなるという可能性すらある。

 ただそれでも、明らかに差別的な内容であればまだしも、意見の分かれる表現に関してその差別性を指摘するのであれば、それぐらいの準備が必要になるのではないだろうか。

 それがないまま、あるコンテンツを指して「差別だ」と言い切ることは、結局のところ研究の党派性ばかりを際立たせることになり、その説得力を失わせてしまうことをぼくは危惧する。

 なんか壮大なブーメランになりそうなエントリではあるのだけれども。

オリンピックとナショナリズム

「羽生選手すごい」と「日本人すごい」

 オリンピックでたびたび話題になるのが、ナショナリズムの問題だ。国家の代表同士が競い合うのだから、応援をしているだけでも他国にたいするライバル意識は高まる。「国民」としての意識も持ちやすくなる。

 先日、ジャーナリストの江川紹子さんによる以下のツイートが話題になった。

 現時点で6000以上の「いいね」がつく一方、ぶら下がっているリプライを見ると批判的なコメントがすこぶる多い。

 まず言っておくと、ぼくのなかには江川さんのツイートに共感する部分がある。

 「羽生選手すごい、宇野選手すごい」から「日本人すごい」への飛躍からは、自分の手柄でもないことを横取りするような、そんな感じもするからだ。こういった個人主義的な倫理観は、それはそれで尊重されるべきと考える。

 実際、「アイツは俺が育てた」的な、何もしてないのに他人の手柄を自分のものにして威張る態度というのは傍で見ていて気持ちよいものではない。もし仮に「日本人すごい」から他国をバカにしたり、外国籍の人を差別するような態度をとる人がいたら、「お前がいったい何を成し遂げたというのだ」と、ぼくも言いたくなる。

 とはいえ、「自国の選手が勝てば誇りに思う」という心情を否定したところで、良いことがあるとも思えない。

 栄誉を成し遂げた同胞から「自分も頑張ろう」という前向きなエネルギーがもらえるならとても良いことだし、「同じ日本人なんだから、困ったときはお互いさま」という方向へと流れていくなら肯定されてしかるべきだろう。こうした発想から、次のようなツイートをした。

 政治思想的に言えば、「同じ国民なのだから、助け合おう」というのは、いわゆるリベラル・ナショナリズム論の発想だ。

 活躍している同胞をみて良い気分になるという「メリット」だけを享受するのではなく、必ずしも自分の責任とは言えない同胞の苦境や罪にも関心を向ける、という考え方である。共同体への帰属にあたって「美味しいとこ取り」はやめておこう、という発想だとも言える。

 もちろん全員がこういう発想をする必要はないし、不可能だろうとも思う。しかし、ナショナリズムを全否定できないのであれば、ポジティブな方向を目指したほうが良い、というのがぼくの判断だ。

オリンピックの「夢」

 他方、ナショナリズム的な観点からだけでオリンピックを眺めるのは、ちょっともったいないという感もある。

 ここは想像で書くけれども、フィギュアスケートを例にとるなら、本当に熱心なファンは、日本人選手さえ勝てばあとはどうでも良いという態度にはならないのではないだろうか。

 日本人選手を応援しながらも、他国の選手の素晴らしい演技に感動したりはしないのだろうか。ナショナリズムの観点からだけで自分の好きなスポーツを眺める人たちに、少し苛立ちを感じたりはしないのだろうか。サッカーを例にとっても、国際大会では日本代表を応援しつつも、普段は海外のクラブチームを熱心に応援しているファンもいるだろう。

 スポーツが生み出す絆は時に国境線を超えるのであり、そこに多くの人は感動する。平昌オリンピックのスピードスケート女子500メートルで、金メダルを取った小平奈緒選手が、銀メダルに終わった韓国の李相花選手と抱き合ったシーンに多くの視聴者が感動したのも、そういう心情の表れと言っていいだろう。


 1964年に開催された東京オリンピックの閉会式。開会式と同様、閉会式でも選手団は国ごとに整列して入場してくるものと思われていた。ところが、選手たちは国籍に関係なく、ばらばらに入場してきた。国籍を越えて、手を取り合ったり、肩を叩きあったりしていた。日本選手団の旗手だった選手は、日の丸を持ったまま、ニュージーランドの選手に肩車された。

 この様子を中継していたテレビでは、アナウンサーが次のように語ったという。

オリンピック始まって以来、この東京大会のような閉会式がかってあったでしょうか。あの秩序正しく華麗であった閉会式も素晴らしかった。だが、今夜、ここに繰り広げられた、国境を忘れ、人種を忘れ、渾然一体となってただ同じ人間として笑い、親しみ、別れを惜しむ人々の群れ、素晴らしい、ただ素晴らしいとしか言いようのない、涙が滲んでくるような瞬間であります。世界の平和とは、人類の平和とはこんなものであろうと旨が詰まるような瞬間であります。
(出典)塩田潮(1985)『東京は燃えたか』PHP研究所、pp.228-229。

 もちろん実際には、国家という枠組みも、民族や人種という境界も簡単には無くならないし、無くなったほうが良いということもおそらくない。

 国家と国家とはいがみ合い続けるし、場合によっては戦争も起きる。オリンピックはこれからも国威発揚の場であり続ける。そういう意味で、視聴者の多くにとって国境を超える絆は、ひとときの「夢」でしかない。

 けれども、ほんのわずかでもそういう「夢」を見せてくれるのもオリンピックの一つの側面だろうし、それはそれで悪くないように思える。

非凡なものを何も持ち合わせていないことの発見

 平昌オリンピックが開幕中である。政治的な問題がいろいろと取り沙汰されているが、なんだかんだ言って、それなりに競技の結果も話題になっているように思う。

 今だから言えることだが、ぼくは昔、オリンピックに出たいと思っていた。中学3年生のころの話である。種目は陸上競技。ぼくは陸上部を引退したばかりで、高校受験を控えていた。

 「オリンピックに出たい」というからにはさぞや優秀な選手だったのだろうと思われるかもしれないが、そんなことは全くなかった。地区大会すら突破できない成績しか残せていなかった。

 それでも、「自分のなかには秘められた才能が眠っていて、ちゃんとトレーニングすればそれが開花するのではないか」などと何の根拠もなく思っていた。そうして、自分が出場する予定のオリンピック男子100m決勝のアナウンスを妄想したりしていたのである。

 そういう妄想も手伝って、高校に進学すると、ぼくはまた陸上部に入った。練習はそれなりに厳しく、メニューをこなしている「ふり」をするので精一杯だった。辞めたいとは思ったけれど、先輩から強く説得されたこともあり、結局は最後まで続けた。

 高校では、ぼくなんかよりずっと強い選手が同じ部のなかにもゴロゴロいた。それは仕方がないとして、もっとショックだったのは、高校から陸上を始めた同期の連中にあっという間に追い抜かれたことだった。

 かなり早い段階からなんとなく分かっていたこととはいえ、「自分には才能がない」というのは、当時のぼくにはそれなりにしんどい発見ではあった。

 他方で、高校では音楽も始めた。当時は、バンドブーム全盛期である。友人がギターを始めたのに触発され、ぼくも冬休みの郵便局でのバイトで貯めたお金でギターとアンプを購入した。

 しかし、陸上競技以上に、ぼくは音楽に向いていなかった。音感もリズム感も悪いのだ。この顛末は以前に別のエントリで書いたことがあるけれども、真っ黒い歴史だけを残して、ぼくはギターをやめた。

 大学では勧誘されてたまたま入った合唱サークルに4年間いたが、ここでも音感とリズム感のなさに苦労するはめになった。大学ではピアノも習っていたものの、ピアノが上手な女性から「あなたが10年間ずっと練習して、私がその間ずっと練習しなかったとしても、私のほうがあなたよりも上手だ」と言われて妙に納得したのは良い思い出である。結局、「自分は音楽に向いてない」ということを改めて確認しながらサークルを引退した。

 高校時代に話を戻すと、このころぼくは宇宙飛行士になりたいと思っていた。当時愛読していたライトノベルのSFに触発されたのだ。小学生のころには将来の夢を聞かれて「国家公務員」と答えていたのに、ずいぶんと現実感を喪失したものである。

 宇宙飛行士を目指すのであれば、大学はやはり理系に進むべきだろう。そう思ってぼくは、夏休みに数学の補習を自発的に受けたりもしていた。しかし、ぼくはものすごく数学が苦手だった。特に高校に入ってからは、授業にほとんどついていけなくなっていた。中学のときには得意だった理科も、数学とのコラボ感を強めていくにつれ、成績は急下降していった。

 それでも、ぼくは理系に行きたかった。だがあるとき、友人から「お前、理系やったら大学行かれへんで」という非常にストレートな助言をもらった。薄々感づいていたものの、改めて言葉にされると「そうやな」と納得せざるをえなかった。かくしてぼくは素直に理系に進むことを諦め、文系の学部に行くことに決めた。

 こうやってふりかえると、中学、高校、大学と、ぼくは「自分は何に向いてないか」ということを延々と思い知らされてきたという感がある。

 中学、高校とぼくが愛読していた少年マンガには、平凡だった主人公が突然に非凡な才能を開花させて活躍するというものが多くあった。ところが現実には、ぼくのなかに非凡なものは何一つとして眠っていなかった。

 ただ、他人より多少はマシという程度のものが一つあった。本を読むことだ。高尚な読書などではない。ミステリーとか、ライトノベルとかいった類の軽い読書だ。それでも本を読むのは苦痛ではなく、そのせいか現代文の成績だけはそれほど悪くはなかった。良くもなかったのだが。

 しかし、本をよく読むというのは、中高生にアピールするような属性ではない。恰好良くもないし、女の子にもモテない。どちらかと言えば、隠しておきたいような属性である。加えて言えば、中高生のころからぼくなんかより遥かに高尚な本を読んでいた読書家はたくさんいたはずであり、決して人に誇れるような水準でもなかった。

 それでも長じてから、ぼくは本を読むことを生業の一つとする職業についた。「自分は何に向いてないか」という発見を延々とやった挙句、消去法的に残ったのは、人に誇れるような水準にあるわけでもない、きわめて地味な属性でしかなかった。

 今にして思えば、自分のなかに非凡なものは何もないということを確認する期間は、それなりに貴重だし、必要だったのではないかとも感じられる。非凡なものが何もなければ、平凡なものを組み合わせて戦うしかない。その覚悟を決めるのに必要だったのではないかと思えるからだ。

 研究者になった今も、ぼくよりもずっと若い人が素晴らしい業績を生み出していくのを見ることがある。彼ら、彼女らは非凡な才能をもち、努力を積み重ねているわけだが、ぼくにはそれがない。だからこそ、手の内にある多少はマシなものを組み合わせて、どうにか凌いでいくよりほかない。

 尼崎の陸上競技場で実施された陸上部内での選考会。それに落ちて地区大会に出ることすらかなわなくなった帰り道、コンクリートの壁を殴りつけていた当時のぼくにそんなことを言ったとところで、何の慰めにもならないだろうけれど。