擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

ヒロインはなぜ清楚系か

(ツイートのまとめ)

 実家に帰省中、奥さんが本を持ってくるのを忘れたので、ぼくが持っていた小説を貸した。すると、次のような質問がやってきた。

 「どうして貴方が愛読する小説の主人公はいつもうじうじ苦悩していて、ヒロインは決まって黒髪の清楚系で、おっとりしていて天然なのに、実はしっかりしているという設定なのですか」(大意)

 主人公がうじうじ苦悩しているというのは、その手の自意識過剰系の人物に共感できるからにほかならない。

 ヒロインがおっとりした清楚系というのは、見た目が派手で積極的な女性は遊んでいそうとか、浮気しそうというイメージ(偏見)があるのかもしれない。しかし、ぼくが考えるに、より根本的な理由がある。そうした女性は決して自分のような男性を恋愛対象としては認識しないだろうという意識があるのだ。あるいは、清楚でおっとりした女性であれば、自分の容姿や性格を蔑み、嘲笑したりはしないだろうという(考えてみれば根拠に乏しい)発想があるのかもしれない。

 ただし、おっとりしていて天然だといっても、男性の言うことになんでも従うようなヒロインを望んでいるわけではない。「自分が言うことに何でも従われる」というのは、行動の責任は全て男性にあるということにある。そこまでを背負う覚悟はないのだ。

 なので、男性の存在を全否定しない範囲で女性にも主体性を発揮して欲しいというこれまた身勝手な願望がそこにはある。あんまりにも自分が駄目なときにはちゃんと叱って欲しい感じと言えるかもしれない。

 ちなみに、こういうキャラクター造型の場合、男性あるいは女性の側の積極的なアプローチによって恋愛が成就する可能性は低い。双方が奥手だからだ。したがって、恋愛を促進する要因となるのは「外在的な状況」ということになる。

 何らかの偶発的な要因によって一緒に住まざるをえなくなる、一緒に活動せざるをえなくなる等々によって無理やりに関係性が生み出される。さすがに恋愛関係へと至るには何らかの主体的な行為が必要になるが、それは最後の最後、最小限の主体性によって成就される。全てがお膳立てされたところで「好きだ」とようやく言える/言ってもらえる。それが精一杯なのだ。

 …というのが、ぼくの回答になるわけだが、書いていてものすごく駄目な感じがしてきた。でも、こういうタイプの小説が読んでいて楽しいわけで、娯楽なんだから別にいいじゃないかとも思う。女性向けのマンガを読んでいても「ここまで女性にとって都合が良いだけの男が存在してたまるか」「男子高校生の頭のなかがここまで清浄の地であってたまるか」等々の感想をしばしば抱くので、お互い様と言ってよいのではなかろうか。

 とはいえ、ぼくが好む小説は奥さん的には気持ち悪いということなので、残念ではある。