擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

飲み会と盛り上がり

 ずっと昔、ぼくがまだ大学生だったころの話。

 ぼくは、あるサークルに入っていた。居心地は良かった。女の子も多く、中学や高校時代には失われていた青春を取りもどしたかのような感覚すらあった。付き合っていたわけではなかったが、初めて女の子と二人で喫茶店に入った日の夜には、あまりに嬉しくて友人に電話してしまったほどだ。

 いきなり話が逸れた。

 そのサークルの居心地は良かったものの、一つ嫌なことがあった。それは、飲み会で酒を大量に飲ませられることだ。体質的にぼくは酒に弱い。まったく飲めないわけではないが、すぐに気持ちが悪くなってしまう。特に強い酒を飲むと、頭痛と関節痛に苦しむことになる。だから、酒を飲ませられるのはもちろん、人に飲ませるのも好きではない。

 しかし、当時のサークルの上下関係のなかでは酒を飲まないという選択肢はなかった。飲み会に出席しないのも感じが悪い。早々に酔いつぶれ、トイレで大量に嘔吐したのちに、会場の隅っこで寝ていた。目が覚めるころには、会も終わりに近づいており、ぼくよりも遥かに酒に強い連中がつぶれているのを介抱しながら帰るというパターンだ。会話もほとんど楽しめない、料理は全部吐く、いったい何のために金を出しているのかがわからない。

 それでも、1年生の間は我慢した。だが、2年生、3年生に上がるごとに、サークル内での飲酒について意見をするようになった。飲み会が激しすぎるために辞めてしまう新入生がいる。飲み会が目的のサークルでもないのに、これは不合理である。なので、飲酒を強制する慣行は改めるべきだ、というのがぼくの主張だった。もっとも飲酒の強制が著しい行事についてはボイコットしたこともあった。

 もちろん、なかにはぼくの意見に賛同してくれる人もいた。しかし、そういう飲み会を愛する人たちから、ぼくの評判は著しく悪くなった。ぼくが会合で発言している途中で、壁か何かを殴っている人がいたと後から聞いた。当然、ぼくはサークルですこし浮くようになった。

 飲酒が強制される飲み会というのは、たしかに盛り上がる。際限なく続くコールと手拍子。会話すら必要なく、嘔吐のためにトイレに駆け込む姿やぐでんぐでんになった姿をお互いに笑い合う。しかし、それを楽しめない層は確実に存在する。飲酒を強制する人にそれを言ったところで「てめー、なにグダグダ言ってんだ、さっさと飲め!」と言われるのがオチなのだが。

 もちろん、酒を飲むこと自体は一向に構わない。ぼくはカシスオレンジぐらいしか飲めないが、飲める体質だったらなら、もっと人生を楽しめるのかな、とも思う。だが、それを人に強制することは間違っている、と今でも考えている。