擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

流れ図で考える歴史認識論争

果てしなく続く「歴史認識論争」

 日本にインターネットが普及し始めた1990年代後半から、ネット上では第二次世界大戦時の歴史認識をめぐる論争が繰り返されてきた。それから10年以上経った今も、状況はたいして変わっていない。もしかすると、あと100年ぐらい経っても同じ状況なんじゃないかという気すらする。

 この問題がなぜ揉めるかと言えば、事実認識の次元で対立があることに加えて、完全に政治問題化しているからだ。正直、ここまでこじれた問題がどうやって終息するのかは見当すらつかない。なので、ここエントリでは「こうすれば論争は解決」などと言うつもりは毛頭なく、大雑把な見取り図を提供するだけに留めたい。

 といっても、この手の整理に完全に公平なレフェリーなど存在しない。なので、あらかじめぼくの立場をはっきりさせておいたほうがいいだろう。ぼくは、南京事件に関してはその正確な規模は措くとしても日本軍による大規模な虐殺や性暴力があったと考えるし、慰安婦問題については日本軍に明確な責任があり、深刻な人権侵害があったと考えている。とはいえ、ここではそうしたぼくの立場はいったん措いて、どういう対立軸が存在しているのかを考えてみたい。

歴史は「物語」か?

 まず見てもらいたいのが次の流れ図だ(正確なフローチャートの書き方は知らないので、その点はご容赦願いたい)。

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 第一の分岐点となるのが、歴史を「物語」と考えるか否かというポイントだ。歴史は物語と考える立場からすれば、いわゆる客観的な歴史なるものは存在しない。人間の膨大な営みのなかで、それを歴史として語るためには出来事の取捨選択が不可避となる。

 しかも、同じ事実であっても、見方が違えばまったく異なる解釈が導き出される。したがって、歴史とはストーリーに合うように事実を選び出し、それに特定の解釈を加えるという「物語」に過ぎないというのだ。

 もっとも、歴史を物語と考えたからといって、そこから何らかの立場が自動的に導き出されるわけではない。「歴史左派」からすれば、歴史が物語である以上、重要なのは被害者の記憶であり、語りである(1)。そこで必要になるのは、彼ら、彼女らの言葉に謙虚に耳を傾けることであって、その言葉を厳密に検証したりすることではないということになる。

 他方で、「歴史右派」からすれば、歴史が物語であるのなら、重要なのは「誇りを持てる歴史」を語ることだ。日本人としての誇りを持って生きるためには、自分たちの過去にも自信を持つことが必要であり、特に若い人たちに歴史のネガティブな側面を教える必要性は乏しい。

実証主義的歴史観からの反論

 しかし、実証主義的な歴史家からすれば、歴史を物語として捉えるこのような立場は受け入れがたい。人が殺されたという事件があったとして、それをいかに解釈しようとも殺されたという事実は変わらない。重要なのは、史料を地道に検証することであり、被害者の証言であったとしてもそれを鵜呑みにするわけにはいかない。

 歴史左派の内部でも、こうした見解の違いをめぐって論争が生じた。それが上野千鶴子と吉見義明の論争である。歴史は「構築されたもの」という立場を取り、被害女性の語りを重視する上野に対し、あくまで実証主義的に被害を明らかにしようとする吉見との対立が生じたのだ。実証主義的な立場からすれば、歴史が物語にすぎないとするなら、歴史認識論争は結局のところ「声のでかい奴」が勝つという話になってしまう(このあたりの話については、小田中直樹(2004)『歴史学ってなんだ?』PHP新書が参考になる)

 さて、言うまでもなく歴史右派の側でも、歴史を物語としてではなく実証的なレベルで捉えようとする立場をとる人は多い。言わば、史実を重視して第二次世界大戦時における日本軍の行動を肯定的に評価する立場である。

 ただし、そのなかでも、日本軍はまったくの無謬であったという立場と、ある程度の過ちを認めるものの、それは当時の世界情勢からすれば不可避であり現在の価値観で過去を裁くべきではないという立場とが存在する。もっとも、この二つの立場はそれほど明確に分かれるわけではなく、同じ人が状況によって使い分けているような印象を受けることもある(2)。

結論から始まる歴史観

 以上のように、歴史認識をめぐる論争についていくつかの立場の違いを書いてきた。しかし、ここまで書いてきてなんなのだが、実際の歴史認識はこうした流れ図に沿って形成されるわけではない。とりわけ、論争が一般的なレベルにまで降りてきたときには、この流れ図のような判断の過程を経ることはまずない。むしろ、論争はもっとシンプルな感情的な次元で展開される。それをあえて図にすると、こんな感じだろうか。

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 要するに、歴史左派にせよ歴史右派にせよ、各々が解釈するところの史実から出発して歴史認識が形成されるわけではない。最初の結論がまずあって、その結論に従って歴史観が構築されている。言い換えれば、論争が一般人の水準で展開されるよほど、歴史の物語性は増していくことになるのだ。

敵対陣営へのまなざし

 さらに言えば、論争が政治問題化するにつれて、歴史左派の歴史右派に対するまなざしも、歴史右派の歴史左派に対するまなざしもどんどんと厳しくなっていく。これもまた図にすると、こんな感じになるだろう。

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 論争は史実のレベルで展開されるのみならず、対立する相手の「邪悪な動機」を読み取ろうとする動きへとつながっていく。歴史左派から見れば歴史右派は「歴史を美化し、ナショナリズムの道具へと切り下げることで将来の戦争動員を容易にしたり、過去の栄光によって現在の不満を解消しようとする」人たちに見える。

 他方で、歴史右派から見れば歴史左派とは「外国勢力と結託して、日本人の自信を喪失させ、日本を内側から解体しようと試みている」人たちに見える。

 さらに言えば、現在の国内における政治力学だけで見れば、歴史左派は歴史右派よりも圧倒的に弱い立場にある(3)。しかし、外国に目を向ければ、中国や韓国はもちろん、米国にしても歴史右派的な歴史観には否定的だ。

 なので、歴史左派は不可避的に「外圧」を使って歴史右派に対抗するしかなくなる。このことが、歴史左派を「外国勢力の手先」と見なす歴史右派の見解に一定の説得力を与えているのではないだろうか。

 しかし、実際のところ、「日本解体」を目論んでいる歴史左派は決して多数派ではないだろう。むしろ、「過去の過ちをいつまでも『オレたちは悪くない』とグズグズと言い続けるというのは格好悪い」とか「過去の過ちを直視できないのであれば、将来においても同じ過ちを繰り返す可能性が高い」といった素朴な発想に支えられているのではないか(少なくとも、ぼくはそうだ)。

 逆に、「軍国主義の復活」や「ナショナリズムの道具としての歴史の活用」を試みている歴史右派もそんなには多くないのではなかろうか。むしろ、もっと素朴な次元で「過去も含めて日本を好きになりたい」という感情がそこにあるような気がする。したがって、お互いが対立する相手に「邪悪な動機」を投影することを止めたなら、論争ももうちょっとマイルドになるような気がしなくもない。

 といっても、それぐらいで収まるのなら、インターネット上で10年以上も論争が続いたりはしないだろうとも思うのだが。

 脚注

(1) そもそも左翼と右翼というのは、富の再分配を肯定的に捉えるか、否定的に捉えるかという思想の違いだという指摘もある。しかし、現在の日本では、歴史をどのように理解すべきか、諸外国とどのような関係を構築するべきかで「右派」や「左派」が語られる傾向が強い。そこで、ここでは「歴史左派」と「歴史右派」というカテゴリーを使う。前者が戦争中の日本軍の行動を否定的に捉える立場、後者が肯定的に捉える立場を指す。

(2) 歴史左派の立場からすると、この点において歴史右派はズルいように思える。つまり、歴史右派は実証的な史実のレベルで日本軍の無謬性を論じようと試みるも、日本軍兵士自身の発言など否定し難い証拠が持ちだされたときには、「現在の価値観で過去を裁くな」「他の国はもっと酷いことをやっている」という論争自体を無効化するような立場へと移行してしまう。他方で、「当時の国内法や国際法の水準から見ても、日本軍のやったことは非難されるべきだ」というような歴史左派の主張に対しては、「そもそも日本軍はそんな悪いことはしてない」という史実レベルの立場で対抗することができる。

(3) ただし、これは歴史左派から見た情勢かもしれない。歴史認識論争では、それぞれの陣営が「自分たちの歴史観は抑圧されている」と考える傾向にある。歴史左派からすれば政府や諸運動団体、右派マスコミが抑圧の主体であり、歴史右派からすれば日教組、諸運動団体、左派マスコミが抑圧の主体である。このような認識が双方に被害者意識を生んでいるとも言える。