擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

予め妥協が予定された改憲草案

 

 のっけから孫引きで申し訳ないのだが、橋下徹大阪市長の著作にはこんなことが書いてあるのだという。

「交渉において相手を思い通りに動かし、説得していくには、はっきり言って三通りの方法しかない。 “合法的に脅す”“利益を与える”“ひたすらお願いする”の三つだ。そのなかで、最も有効なのは“利益を与える”ことである。
 この場合の利益には二通りある。一つは文字通り相手方の利益。もう一つは、実際には存在しないレトリックによる利益だ。不利益の回避によって感じさせる“実在しない利益”とも言える。」

「相手方に利益を与えるということはこちらの譲歩を示すということだ。譲歩とそれに伴う苦労は、徹底的に強調し、演出すべきだ。譲歩とはよべない些細なことであっても、さも大きな譲歩であるように仕立て上げるのである。そうすることで、相手方の得る利益が大きいものであると錯覚させることができるからだ。 これも交渉の技術である。」

(出典)橋下徹『図説・心理戦で絶対に負けない交渉術』日本文芸社、p.6、p.10(http://www.magazine9.jp/hacham/111109/経由)

 これを引用したのは、自民党の憲法改正草案を見て思い出したからだ。譲歩を演出することで、相手に利益を与えたと錯覚させる。もしや、これが今回の自民党憲法改正草案の狙いなのではないかと思ったのだ。それでは、錯覚を与えようとする交渉の相手は誰か。野党であり、マスメディアであり、そして国民である。

 以下は単なるぼくの邪推なので、根拠のまったくない与太話である。

 そもそも、自民党は本当にこの憲法改正草案をそのまま国民投票にかける気があるのだろうか。人権に関する部分など、自民党支持者であっても、この憲法には頷けないと思う人も少ないないはずだ。実際、もし憲法改正が国会で論議されれば、このあたりは野党やマスメディアから厳しく追及されることになるだろう。

 そこで、自民党は折れたふりをする。本当に変えたい部分はさておき、妥協できる部分は妥協する。もっとも、その妥協のプロセスでは党内での紛糾が伝えられ、調整が大変であることが演出される。が、最初から落とし所は決まっていたりする。

 そうして、やや「リベラル」になった憲法改正草案の改訂版が出てくる。野党の側の追及はどうしても鈍る。自分たちの批判が受け入れられた場合、改訂版を全面的に否定することは難しくなるからだ。

 一般有権者にしても「あの憲法ではちょっと不安」と考えていた自民党支持層が満足することはもちろん、無党派層も「まあ、だいぶ良くなったみたいだし、いいんじゃないか」と思って賛成票を投じる。かくして、国民投票もクリア、無事に改憲達成である。

 では、一回目の改憲の本丸はどこか。これも根拠はまったくないが9条の部分ではないかと思う。ただ、ここの部分も妥協の余地はあって、「国防軍」みたいな中二病っぽい名前も実は「妥協予定の箇所」なのかもしれない。たとえば自衛隊という名前は残しつつ、現状の第2項は削って自衛権の発動を明記する、とか。

 もちろん、自民党の目的はそれで達成されたわけではない。妥協するとはいえ、それはあくまで一回目の改憲に限っての話である。一回目の改憲は、言わば改憲という「実績」を実際につくるための手段でしかないと言えるかもしれない。

 一回目では妥協した分を、その次以降の改憲でじりじりと取り戻していく。そこで重要なのが改正規定の緩和であり、改正のための発議を国会議員の3分の2ではなく、過半数の賛成で可能にしておく。なので、一回目の改憲でも、自民党はここは譲らないだろう。

 てな感じで、改憲を繰り返していけば、知らないうちに我々は現行憲法の精神からえらく遠いところに辿り着いている…なんてことになってしまうかもしれない。

 こういうふうに考えると、ネットで片山さつきさんがえらく過激な論をぶっているのも、言わば鉄砲玉として自民党の極北を見せつける役割を果たしているのではないかと思えてくる。安倍さんが片山さんらの極論をある程度まで抑えれば「自民党のバランス感覚」をうまく演出でき、改憲に対する不安の払拭に貢献するだろう。もしそうなら、損な役回りをあえて引き受ける片山さんの自民党への愛に心を打たれるほどである。うそだけど。

 まあ、とにかく与太話である。