擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧

民主主義の黄昏

ネットでは麻生さんの「失言」が話題だ。たとえ発言を文字起こししたものを読んだところで、麻生さんが何を言いたかったのかは結局よく分からないのではないかという印象がある。 それはさておき、麻生さんの発言をきっかけとしてワイマール憲法やナチス、全…

ショートメールと比較優位

昨日の『メトロ』(ロンドンの地下鉄の駅で無料配布されている新聞)で、ショートメールによる解雇通知に関する記事が載っていた。何の前触れもなく、ショートメール一本で職場にもう来なくていいと言われるという話らしい。 雇用者側としては、解雇の通知は…

最大多数の最大幸福?

「最大多数の最大幸福」という言葉を初めて聞いたのは、高校生のときだったと思う。功利主義なる考え方を簡潔に示すとされるこの言葉、おそらくは世界史か何かの授業で耳にしたのだろう。でも、その言葉が何を言わんとしているのかがいまいち理解できなかっ…

「学問のひと」と政治(追記あり)

学問は「私が一番正しい」ことを明らかにする 世の中には、同じ領域であってもまったく見解が異なる学問的立場というものが存在する。経済学は素人なので、確たることは言えないのだが、いわゆる近代経済学とマルクス主義経済学というのがそれに該当するので…

「ナショナリズム批判」というナショナリズム

むかしから、愛国心(patriotism)とナショナリズム(nationalism)はまったく違うものだとよく言われる。たとえば、ジャーナリストにして小説『1984年』や『動物農場』を書いたジョージ・オーウェルは、愛国心について次のように述べている。 「自分では世…

黒歴史、中二病、ブラック企業

多くの人にはあまり語りたくない恥ずかしい過去がある。ネット用語では「黒歴史」と言ったりする(もともとは『∀ガンダム』に由来する言葉だ)。ぼく自身、黒歴史はかなりあって、以前に書いたエントリの話なんて、まさしくぼくの黒歴史中の黒歴史だ(1)。 …

隅っこの、隅っこの、そのまた隅っこの研究

先日、このようなツイートがRTされてきた。https://twitter.com/akiradicalism/status/357622954697297920 これは小坂井敏晶 『社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉』(筑摩選書)からの引用のようだ。本来なら原著から直接に引用すべきな…

絶望から始まるマーケティング

マーケティングというものは、一種の絶望から始まるのではないだろうか。 他人が何を面白がるのかがわからない 何かを作る人間にとっての夢は、自分の作品や商品が万人に受け入れられることだろう。けれども、現実は甘くない。自分が「良い」とか「面白い」…

真夏の恋

小学校6年生の夏、ぼくは何度目かの中耳炎になった。知っている人も多いと思うが、中耳炎の治療はけっこう痛い。憂鬱な気持ちで耳鼻科のドアを開けたぼくの目の前に、待合室で順番を待つ天使がいた。 というのは、むろん嘘だ。しかし、ぼくの目の前に大好き…

尾崎豊と疎外論の復権?(2)

さて、前回のエントリの続きである。 前回のおさらい 前回は、疎外論の影響を受けた管理社会論と尾崎豊の歌との共通点について書いた。 現代社会の仕組みは人間が作り上げたものなのに、あたかも自然なもの、所与のものであるかのような錯覚のもと、人びとは…

尾崎豊と疎外論の復権?(1)

尾崎豊はどうやって「仕組まれた自由」に気づいたのか ネット界隈では尾崎豊の評判は良くない。当たり前だろうとは思う。「♪盗んだバイクで走りだす」と聞かされれば盗まれた側に同情し、「♪夜の校舎 窓ガラス壊して回った~」と聞かされれば「なんと迷惑な……

一人称の呪い

幼児の一人称というのは、多くのばあい、自分の名前である。たとえば、○○ちゃんが「あのね、○○ちゃんね」と自分で言うのがそれにあたる。我が家の長男の一人称もそんな感じで始まった。 幼稚園に入ったあたりからだろうか、その一人称が「ぼく」に変わった。…

「反韓」と「嫌韓」、そして「日本が好き」

「反韓」と「嫌韓」はどこが違うのか 反韓感情について調べているうちに、「反韓」と「嫌韓」は違うのだという説明を見つけた。この二つの違いなど考えたこともなかったので、なかなかに新鮮な発見だ。 反韓(はんかん、英: Anti-South Korean)とは、政治的…

13年目のパディントン

昨日、子どもを連れて、ロンドンの観光に出かけた。いくつかの場所をまわり、夕方過ぎにパディントン駅にやってきた。ところが、移動の途中に下の子どもが寝てしまい、ぼくらは駅のベンチでしばらく時間を潰すことにした。30分ぐらいでようやく目を覚ました…

英語を話したくなくなるとき

(ツイートのまとめ+加筆) 英会話というのは、机の上の勉強というよりも、スポーツに近い部分がある。いくら理屈を勉強したところで、実際に繰り返し何度もやらないと上手くならないからだ。 ところが、とりわけ学校という空間のなかでは、英会話とスポー…

モラル・パニック批判の「危うさ」(2)

さて、前回の続きである。今回はえらく抽象的な話だ。 以前のエントリでも書いたように、モラル・パニックとは、実際にはそれほど重要ではないとされる出来事に関して、マスメディアが大騒ぎし、そこに専門家や政治家が介入して社会問題になってしまうという…

モラル・パニック批判の「危うさ」(1)

この過疎ブログにしては「『若者バッシング批判』の陥穽」にはわりと多くのアクセスが集まり、批判的なコメントもついた。せっかくの機会なので、前のテーマからはかなりズレるのだが、モラル・パニック批判についてもう少し書いてみたい。といっても、以前…

衰える妄想力

大学教員にとっての憂鬱な業務として入試監督を挙げる人は多いんじゃないかと思う。 問題用紙や解答用紙を配布し、受験者のチェックなどを済ませると、もうやることがない。論文を読んだり、仕事をしたりするのはむろんご法度。居眠りなぞ論外。かといって、…

流れ図で考える歴史認識論争

果てしなく続く「歴史認識論争」 日本にインターネットが普及し始めた1990年代後半から、ネット上では第二次世界大戦時の歴史認識をめぐる論争が繰り返されてきた。それから10年以上経った今も、状況はたいして変わっていない。もしかすると、あと100年ぐら…

「若者バッシング批判」の陥穽

大学時代の同期と一緒に飲んだりすると、そろそろ「あれ」を聞くようになってきた。そう、若手社員に対する愚痴だ。 「近頃の若いやつには働くという意識が乏しいんじゃないか?」とかいう話を聞くと、「ああ、ぼくも歳を取ったんだなぁ」などとつくづく思う…