擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

非凡なものを何も持ち合わせていないことの発見

 平昌オリンピックが開幕中である。政治的な問題がいろいろと取り沙汰されているが、なんだかんだ言って、それなりに競技の結果も話題になっているように思う。

 今だから言えることだが、ぼくは昔、オリンピックに出たいと思っていた。中学3年生のころの話である。種目は陸上競技。ぼくは陸上部を引退したばかりで、高校受験を控えていた。

 「オリンピックに出たい」というからにはさぞや優秀な選手だったのだろうと思われるかもしれないが、そんなことは全くなかった。地区大会すら突破できない成績しか残せていなかった。

 それでも、「自分のなかには秘められた才能が眠っていて、ちゃんとトレーニングすればそれが開花するのではないか」などと何の根拠もなく思っていた。そうして、自分が出場する予定のオリンピック男子100m決勝のアナウンスを妄想したりしていたのである。

 そういう妄想も手伝って、高校に進学すると、ぼくはまた陸上部に入った。練習はそれなりに厳しく、メニューをこなしている「ふり」をするので精一杯だった。辞めたいとは思ったけれど、先輩から強く説得されたこともあり、結局は最後まで続けた。

 高校では、ぼくなんかよりずっと強い選手が同じ部のなかにもゴロゴロいた。それは仕方がないとして、もっとショックだったのは、高校から陸上を始めた同期の連中にあっという間に追い抜かれたことだった。

 かなり早い段階からなんとなく分かっていたこととはいえ、「自分には才能がない」というのは、当時のぼくにはそれなりにしんどい発見ではあった。

 他方で、高校では音楽も始めた。当時は、バンドブーム全盛期である。友人がギターを始めたのに触発され、ぼくも冬休みの郵便局でのバイトで貯めたお金でギターとアンプを購入した。

 しかし、陸上競技以上に、ぼくは音楽に向いていなかった。音感もリズム感も悪いのだ。この顛末は以前に別のエントリで書いたことがあるけれども、真っ黒い歴史だけを残して、ぼくはギターをやめた。

 大学では勧誘されてたまたま入った合唱サークルに4年間いたが、ここでも音感とリズム感のなさに苦労するはめになった。大学ではピアノも習っていたものの、ピアノが上手な女性から「あなたが10年間ずっと練習して、私がその間ずっと練習しなかったとしても、私のほうがあなたよりも上手だ」と言われて妙に納得したのは良い思い出である。結局、「自分は音楽に向いてない」ということを改めて確認しながらサークルを引退した。

 高校時代に話を戻すと、このころぼくは宇宙飛行士になりたいと思っていた。当時愛読していたライトノベルのSFに触発されたのだ。小学生のころには将来の夢を聞かれて「国家公務員」と答えていたのに、ずいぶんと現実感を喪失したものである。

 宇宙飛行士を目指すのであれば、大学はやはり理系に進むべきだろう。そう思ってぼくは、夏休みに数学の補習を自発的に受けたりもしていた。しかし、ぼくはものすごく数学が苦手だった。特に高校に入ってからは、授業にほとんどついていけなくなっていた。中学のときには得意だった理科も、数学とのコラボ感を強めていくにつれ、成績は急下降していった。

 それでも、ぼくは理系に行きたかった。だがあるとき、友人から「お前、理系やったら大学行かれへんで」という非常にストレートな助言をもらった。薄々感づいていたものの、改めて言葉にされると「そうやな」と納得せざるをえなかった。かくしてぼくは素直に理系に進むことを諦め、文系の学部に行くことに決めた。

 こうやってふりかえると、中学、高校、大学と、ぼくは「自分は何に向いてないか」ということを延々と思い知らされてきたという感がある。

 中学、高校とぼくが愛読していた少年マンガには、平凡だった主人公が突然に非凡な才能を開花させて活躍するというものが多くあった。ところが現実には、ぼくのなかに非凡なものは何一つとして眠っていなかった。

 ただ、他人より多少はマシという程度のものが一つあった。本を読むことだ。高尚な読書などではない。ミステリーとか、ライトノベルとかいった類の軽い読書だ。それでも本を読むのは苦痛ではなく、そのせいか現代文の成績だけはそれほど悪くはなかった。良くもなかったのだが。

 しかし、本をよく読むというのは、中高生にアピールするような属性ではない。恰好良くもないし、女の子にもモテない。どちらかと言えば、隠しておきたいような属性である。加えて言えば、中高生のころからぼくなんかより遥かに高尚な本を読んでいた読書家はたくさんいたはずであり、決して人に誇れるような水準でもなかった。

 それでも長じてから、ぼくは本を読むことを生業の一つとする職業についた。「自分は何に向いてないか」という発見を延々とやった挙句、消去法的に残ったのは、人に誇れるような水準にあるわけでもない、きわめて地味な属性でしかなかった。

 今にして思えば、自分のなかに非凡なものは何もないということを確認する期間は、それなりに貴重だし、必要だったのではないかとも感じられる。非凡なものが何もなければ、平凡なものを組み合わせて戦うしかない。その覚悟を決めるのに必要だったのではないかと思えるからだ。

 研究者になった今も、ぼくよりもずっと若い人が素晴らしい業績を生み出していくのを見ることがある。彼ら、彼女らは非凡な才能をもち、努力を積み重ねているわけだが、ぼくにはそれがない。だからこそ、手の内にある多少はマシなものを組み合わせて、どうにか凌いでいくよりほかない。

 尼崎の陸上競技場で実施された陸上部内での選考会。それに落ちて地区大会に出ることすらかなわなくなった帰り道、コンクリートの壁を殴りつけていた当時のぼくにそんなことを言ったとところで、何の慰めにもならないだろうけれど。