読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

マスコミュニケーション論で語る「桃太郎」

 今を遡ること数年前、「桃の鬼退治」が世間の注目を集めるという出来事があった。
 以下は、一人のマスコミュニケーション研究者として、それを記録しておかねばならないという義務感によって書かれた文章である。ただし、多くの部分を知人からの伝聞情報に依拠していることを最初に明記しておかねばならない。現場の状況を知ることが難しい研究者としての限界である。

モラルパニックとしての「鬼の襲撃」

 この出来事の発端を求めるならば、出来事そのものからさらに20年ほど遡らねばならない。当時、知名度の低いある週刊誌が「特集ワイド 桃から人が生まれた?寂れた山村で老夫婦が奇怪な証言」という記事を載せたことがあった。雑誌記事アーカイブで私も読んでみたが、川に流れてきた桃から男の子が生まれたというキワモノ系の記事でしかなく、当然、他のメディアに波及することはなかった。影響力の小さなメディアにこうした記事が載ったところで、メディア・アジェンダ化する可能性はきわめて低い。

 それから何事もなく月日は流れた。その間、老夫婦や男の子のことがメディアで取り上げられることはなかった。風向きが変わったのは、数年前のある出来事がきっかけだった。

 彼らが暮らす山村で、「鬼」と呼ばれるグループが暴れまわっているという報道がなされたのだ。報道によれば、「鬼」たちは突如として凶暴化し、乱暴狼藉の限りを尽くすようになったという。

 もっとも、私に言わせれば、これは典型的なモラルパニックだった。「鬼」グループが暮らす鬼ヶ島はその山村からかなり離れており、「鬼」たちが頻繁に訪れて暴力を振るうには無理があった。「鬼」たちの暴力が山村にある程度の被害を与えたことは否定できないが、それも突然に発生したわけではなく、これまでにも散発的にいさかいは発生していた。

 もともと山村と鬼ヶ島との関係は険悪で、山村の住人が鬼ヶ島を訪れ、さまざまな嫌がらせや乱暴を行っていたことも明らかになっている。ところが、この時には鬼が島の住人を加害者、山村の住人を被害者とする構図がメディアによって作られたことで、これまでとは大きく異なる展開が生まれた。

 以前とは異なる展開が生じたもう一つの要因は、この年、天候不順や農作物の不作、村人の火の不始末による火災など、さまざまな問題が山村に発生したことにあった。そこに「鬼」グループの襲撃が加わったことで、「鬼」たちとは全く無関係な被害までもが彼らの所業にされるというフレーミングが行われることになった。言わば、風が吹こうが雨が降ろうがすべて「鬼」が悪いということにされてしまったのだ。

 そうしたフレームに便乗し、拡大させたのが、ある首都圏キー局のワイドショーだった。この番組によって、「鬼たちが突如として山村を繰り返し襲撃し、大きな被害を与えている」という印象が生み出されることになった。

 ワイドショーのコメンテーターである元警察関係者や社会学者が、一面的な情報にもとづいて「鬼」たちを断罪し、彼らを封じ込める必要性を語った。その社会学者に言わせれば、「鬼」グループは伝統的な社会規範が弛緩し、若者たちが一般的な常識を持ち合わせなくなるという現代の社会病理を体現する存在なのだという。

 そして、この報道は他のメディアにも波及し、大規模なメディア・アジェンダとなっていった。そこで登場したのが、例の老夫婦と男の子だった。

「桃太郎による鬼退治」企画の成立

 「桃から男の子が生まれた」という怪情報を週刊誌に売り込んだことから判断しても、老夫婦にはメディア露出に対する強い願望があったと推測される。そうした老夫婦がこの降って湧いたようなモラルパニックを見逃すはずはなかった。

 山村を取材で訪れていたテレビクルーに老夫婦は「鬼を退治できるのは、この子しかいない」と売り込んだ。かつて「桃から生まれた」とされた男の子は、老夫婦の厳格な管理のもと、自己主張の苦手な青年に成長していた。老夫婦がクルーに必死にまくしたてる横で、青年は硬い表情のまま、ずっとうつむいていたと聞く。

 そのヨタ話に乗ったのが、首都圏キー局の某プロデューサーだった。年末特番の企画を探していた彼は「桃太郎の鬼退治」という筋書きに飛びつき、それを生中継しようと考えたのだ。実際のところ、青年の名前は桃太郎ですらなかったのだが、「桃から生まれた」という設定を最大限に活かすべく、番組ではそう呼ばれることになった。

 かくして番組の企画は進み始めた。大まかなシナリオはこうだ。「桃太郎」(以下では便宜的に彼をこう呼ぶことにする)は、山村を徒歩で出発し、幾多のトラブルを乗り越えつつ、数ヶ月かけて鬼ヶ島に到着する。そして、鬼が島での鬼と対決するわけだが、その部分は年末に紅白の裏番組で生中継することになる。ダニエル・ブーアスティンが「疑似イベント」と呼ぶ、メディアで報道されるという前提があって初めて発生するイベントの典型例と言えるだろう。

 だが、この企画には問題があった。桃太郎の知名度が皆無であり、キャラも薄すぎるということだ。そこで、年末特番に先立って同局の人気番組である『世界が称賛!ニッポンの摩訶不思議』で、桃太郎の出生から鬼が島への出発までが報じられることになった。

 加えて、桃太郎のキャラの薄さを補うべく、何人かの同行者をつけることにした。そこで、プロデューサーが最初に考えたのが、人気お笑いグループである猿蟹ブラザーズの蟹田、栗川、臼元、蜂山、ウシ・フンを桃太郎とともに鬼が島に向かわせるという企画だった。よくは知らないのだが、普通の人間のなかに一人だけ排泄物のマスクを被っている人物が混ざっているという奇妙な構成のグループである。最近の若者の感覚はなかなか理解しづらい。

 ところが、この企画のスポンサーに日本一食品が入ったことでこの案は難しくなった。というのも、猿蟹ブラザーズは、日本一食品と競合する食品メーカーのCMに出演していたからだ。そこでプロデューサーは猿蟹ブラザーズを諦め、素人参加型番組にすることにした。もっとも、素人とはいっても、タレント志望の無名の若者たちである。その名を猿村、雉田、犬山という。

 加えて、日本一食品の要求は厳しかった。同社の新商品である「日本一印のきびだんご」を番組中で取り上げろというのだ。スポンサーの商品を番組出演者に使わせるプロダクト・プレースメントという広告手法である。

 そこでプロデューサーが思いついた奇策が、「日本一印のきびだんご欲しさに、猿村、雉田、犬山は鬼が島に同行する」という筋書きだった。言うまでもなく、きびだんごと引き換えに危険な旅への同行を申し出るというのは、普通に考えればありえない交換条件である。実際、番組制作の現場でもこのプロダクト・プレースメントには反対の声があったと聞く。だが、辣腕で鳴らしたプロデューサーの発言力は大きく、結局、この案は大筋で通ることになったのである。

 こうして「桃太郎の鬼退治」企画はスタートし、まずは『世界が称賛!ニッポンの摩訶不思議』で桃太郎生誕のエピソードが取り上げられた。SNSでは「ありえないwww」「ネタでしょ?」といった声も上がったものの、多くの視聴者はそれを信じたようだった。

 マスメディアが人びとの意見を変えることは難しいが、意見を新しく作ることは可能であるという知見に基づくなら、「人が桃から生まれる可能性はあるかないか」ということについて、多くの人びとは考えたことがなかった。すなわち、先有傾向が存在しないトピックだったのであり、だからこそ荒唐無稽な情報を受け入れることができたのだと想定される。

『鬼が島タイムズ』の孤立

 ここで視点を変えて、鬼が島側の動向についても論じておこう。鬼が島にはかつて良質の炭鉱があり、多くの炭鉱労働者が居住していた。しかし、炭鉱が閉鎖されてからすでに久しく、貧困と高齢化、人口の減少が急速に進んでいた。島の若者の多くは劣悪な環境で育ち、売春や違法薬物に手を出す者も少なくなかった。

 そうしたなか、昔からの因縁の相手である山村で暴力を働いた者がいたことは事実だ。けれども、先述のように、山村の住人たちも鬼が島にやってきては嫌がらせや暴行をはたらいていたのであり、どちらが被害者で、どちらが加害者なのかをはっきりと決めることは難しい。

 にもかかわらず、全国メディアでは鬼が島バッシングが大々的に展開されるようになった。鬼が島にも度々取材はやってきたけれども、「人は見てから定義するのではなく、定義してから見る」というウォルター・リップマンの言葉が示すように、最初から鬼が島の住人たちを加害者として決めつけるスタンスでの報道が繰り返された。

 結果として、鬼が島町役場にはダンボール何十箱分もの投書が送りつけられ、広報の電話も鳴り止まない状態となった。そのほとんどは鬼が島住民に対する批判であり、なかには脅迫文まで含まれていた。島に一つしかない小学校では、保護者による児童の送り迎えが半ば義務化されることになった。わざわざ鬼が島にまでやってきて、落書きやゴミへの放火を行う者までもが現れたからだ。

 そうしたなか、全国メディアに対抗する論陣を張ったのが、鬼が島のローカル新聞『鬼が島タイムズ』だった。同紙は、鬼が島住人を悪と決めつける全国メディアの報道を繰り返し批判し、鬼が島の人びとが置かれた窮状を訴えた。

 だが、そのような声が全国に届くことはなかった。「『鬼が島タイムズ』は偏向した新聞である」「鬼が島の住民を危険な方向に誘導している」といった批判が有名作家や文化人などによってさかんに行われた。『鬼が島タイムズ』は完全に孤立していた。

 「桃太郎の鬼退治」を企画するテレビ局から連絡が入ったのは、ちょうどその頃だった。「鬼退治」の年末特番に「鬼」グループに出演して欲しいというのだ。

 これまで散々、鬼が島に対するバッシングを行ってきたテレビ局からの出演依頼である。普通に考えれば、引き受けるはずがない。しかし、『鬼が島タイムズ』で記者をしている知人から聞いた話によると、鬼が島を訪れたプロデューサーは次のように言い放ったのだという。

「ここまで報道が加熱すれば、何らかの落とし前をつけないと視聴者は満足できないですよ。カタルシスが必要なんです。この騒ぎを終わらせるには、誰かが悪者になって、やっつけられる姿を放送するしかない。そうすりゃ、放送が終わって半年もすれば、みんな忘れますよ。逆に、けじめをつけなければ、嫌がらせはいつまでも終わりません。」

 自分で騒動を焚き付けておいて、この言い草である。だが、このプロデューサーの主張に、それなりの説得力があることも否定できない。最終的には、バッシングに困り果てていた島の大人たちが「鬼」グループの若者たちに土下座までして番組への出演を懇願し、若者たちも渋々それを受け入れた。この話を聞かせてくれた知人の目に光るものがあったことを私は忘れない。

道中のシナリオ

 桃太郎が山村を出発して鬼が島に到着するまでの過程は、『世界が称賛!ニッポンの摩訶不思議』で随時放送された。桃太郎のビデオを流し、スタジオの外国人が「こんな素晴らしい出来事、他の国ではありえないですよ!」と称賛する流れである。

 出発日の早朝、桃太郎に老夫婦が「日本一印のきびだんご」をもたせる。不自然な演出ではあるが、やむをえない。加えて面倒なことに、この山村には日本一食品の競合メーカーの看板が数多く設置されていた。カメラアングルを調整してそれらが映らないように工夫し、どうしても映ってしまう場合にはモザイクで処理する。

 桃太郎の最初の逗留地は、ボクシングジムであった。なにせ彼には格闘技や武術の経験が全くない。その彼が「鬼」グループを倒してしまうのでは、さすがに視聴者も訝しがる。そこで、彼は鬼が島に向かう道中、さまざまな格闘技や武術を学び、強くなっていくというシナリオである。無論、これもプロデューサーの発案だ。

 そして、このボクシングジムで桃太郎と出会うのが猿村である。設定としては地元で暮らすボクサー志望で、中学生の時から地元で喧嘩に明け暮れ、そうとうなヤンチャをしていた経歴の持ち主とされる。実際には、東京の中高一貫校の出身で、現在は東京の私大に通うタレント志望者なのだという。

 猿村の目の前で、桃太郎はわざとらしく「日本一印のきびだんご」を落とす。それを渡すように荒々しく迫る猿村。対して桃太郎は、自分にボクシングで勝ったらきびだんごを渡すと挑発する。ボクシング勝負で桃太郎に敗れた猿村は、桃太郎に心酔し、鬼が島までの同行を申し出るのである。

 同じような出会いと衝突を繰り返し、桃太郎は猿村のほか、雉田と犬山を仲間にする。しかし、ただ仲間を増やすだけでは視聴者が飽きてしまう。そこでプロデューサーが思いついたのが、猿村と犬山との衝突だ。仲間になったあとも二人は衝突を繰り返し、それを桃太郎や雉田が仲裁することで、グループとしての結束が強まっていくというシナリオである。もっとも、実際には猿村と犬山は最初から仲が良く、ロケの合間にはよく二人でパチンコに行っていたと聞く。

 道中、桃太郎は自分に割り振られたキャラをよく演じていた。老夫婦の厳格な管理から初めて解放され、かりそめとはいえども積極的な役回りを与えられたことで、その表情にも徐々に明るさが出るようになった。今回の出来事に一つでも救いがあるとすれば、それはこの気の毒な青年が抑圧的な環境から逃れ出るきっかけになったということかもしれない。

「鬼退治」というメディア・イベント

 ダニエル・ダヤーンとエリフ・カッツは、メディアによる中継を織り込んで実施される儀式的イベントを「メディア・イベント」と呼び、それには戴冠型、競技型、制覇型という三つの類型があると主張した。

 戴冠型とは王族の葬儀や結婚式のように過去と現在との連続性を強調するイベント、競技型とはオリンピックやサッカー・ワールドカップのように現在行われている競技に人びとの関心を集めるイベント、そして制覇型は月面着陸などの未来に向けての人類の進歩を印象づけるイベントを指すという。

 ただし、一つのイベントが複数の性格を有することも多く、その意味で言えば「鬼退治」とは競技型と制覇型をミックスしたメディア・イベントだと考えることができる。生中継される桃太郎一行と「鬼」グループとの対決は競技、桃太郎一行が勝利することで得られるとされる平和と安寧は制覇にカテゴライズされるからだ。

 実際、プロデューサーが「鬼退治」にかける意気込みは並々ならぬものがあった。数年来、このキー局の視聴率は低迷しており、「鬼退治」前年の大晦日には紅白の裏で再放送のアニメ映画を流して「不戦敗」とまで言われていた。だからこそ、巻き返しを図るプロデューサーにとって、通常の格闘技番組にストーリー性を持たせることのできる「鬼退治」は魅力的なコンテンツであったのだ。

 だが、この年の大晦日、『世界が称賛!ニッポンの摩訶不思議4時間SP 今夜こそ桃太郎が鬼を倒す!』の放送日直前になっても、桃太郎一行は鬼が島からまだ100キロほど離れたところにいた。道中の修行編が盛り上がりすぎたために、進行に大幅な遅れが生じたのだ。

 やむをえず、放送前日に桃太郎一行は大型バスで、海の向こうに鬼が島を臨む海岸へと移動した。徒歩での旅というのが建前ではあるが、そんな建前を本当に信じている視聴者がいたとすれば、相当に鈍いと言わざるをえないだろう。

 番組の進行スケジュールでは、最初の1時間で海を渡り、次の1時間で鬼が島の探索、残りの2時間で「鬼」グループとの対決という流れであった。途中、これまでの旅路を振り返る回顧シーンを何度か挿入することで、桃太郎一行の肉体的、精神的成長をアピールする。その総決算が「鬼」グループに対する勝利なのだ。

 番組はスケジュール通りに進行し、鬼が島の町役場前で、桃太郎一行と「鬼」グループが対決するシーンになった。もちろん、すべてが仕込みなので、最初から「鬼」グループが負ける流れである。猿村、雉田、犬山が大暴れし、「鬼」グループのリーダー格を桃太郎が苦闘の末に打ち破る。

 その中継現場を、私の知人である『鬼が島タイムズ』記者は遠くから見守っていた。「鬼」グループのリーダー格の青年は、たしかにやんちゃで乱暴なところはあるが、仲間からは慕われ、知人を「記者のおっちゃん」と呼ぶ気の良い青年である。その青年が、桃太郎の無慈悲な一撃を浴び、地面に崩れ落ちる瞬間、知人はきつく拳を握りしめたという。

 闘いのあとには、「鬼」グループが山村から奪い取ったとされる国宝級の美術品の奪還シーンが放映された。だが、知人は知っていた。その美術品はもともと鬼が島美術館に所蔵されていたもので、数年前の山村側の襲撃で奪い取られたものであったことを。

祭のあと

 以上が、私の知る「桃太郎の鬼退治」の顛末である。「鬼」グループの体を張った演技のおかげで、鬼が島の町役場に対する嫌がらせはずいぶんと減ったという。かつてジャン・ボードリヤールは「われわれに必要なのは、にせものの増殖と暴力の幻覚がもたらす催淫的な味わいである」と述べたが、それは「鬼退治」の視聴者にとっても同様だった。本当に「鬼」グループが討伐されたか否かは重要ではない。悪い連中が打ち倒されたという感覚から得られるカタルシスこそが重要だったのだ。

 その一方で、桃太郎を育てた老夫婦は、今では育児教育に関する著作を何冊も出版し、教育評論家としてワイドショーにも出演するようになった。なかでも『桃太郎の育て方』はベストセラーとなり、その印税で都心のタワーマンションを購入した。肝心の桃太郎とは音信不通だというから皮肉なものである。

 鬼退治に同行した猿村、雉田、犬山は、タレントとしては成功していない。猿村と雉田は芸能界を諦めて一般企業に就職、犬山は一発屋タレントとしてパチンコ屋やスーパーでの営業活動に勤しんでいるようだ。

 そして桃太郎は、今では鬼が島に住んでいる。『鬼が島タイムズ』の知人から事の顛末を聞かされた彼は大きなショックを受け、いまでは同紙の見習い記者として再出発を図っている。

 このネット全盛期、経営的には厳しいローカルメディアではあれども、彼の今後の活躍に期待しつつ、ここで筆を置くことにしたい。