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擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

移民の受け入れと異文化の共生

社会

アパルトヘイトエスニック・コミュニティ

 『産経新聞』に曽野綾子氏が掲載したコラムをめぐって、大きな騒ぎが起きている。曽野氏がアパルトヘイト肯定とも解釈できる主張を行なったからだ。

 本人は誤解だとしているようだが、このコラムは高齢者介護のために移民受け入れの必要性を論じる一方、かつての南アフリカの事例を取り上げたうえで「住居だけは別にしたほうがいい」と語っている。アパルトヘイト肯定として解釈されても仕方がないように思う。

 ともあれ、ネットで急速にシェアされ、ネット系のメディアが取り上げ、海外メディアが「安倍首相の元アドバイザー」の発言として報道するようになった。アフリカ日本協議会や在日南アフリカ大使から『産経』への抗議が行われて事件となったことで、やや遅れて日本のマスメディアも取り上げ始めている。

 曽野氏の主張に関してはすでに数多くの批判が行われており、その多くは的確なものだ。アパルトヘイト肯定とも受け止められない論理は言うまでもなく、介護職への蔑視や黒人への偏見など、これが新聞に載るということ自体が不思議な感じすらする文章である。

 しかし、その一方で、もし仮に大規模に移民を受け入れるのであれば、住居の問題というのは確かに避けては通れない問題である。

 そもそも、曽野氏が主張するまでもなく、移民を受け入れればエスニック・コミュニティは自然にできる。ぼくがいま暮らしているロンドンでも、日本人が数多く暮らしている地域は存在する。日本語で教育を行う幼稚園や小中学校があり、日本食を扱う食料品店や日本語が通じる不動産屋や病院もある。なんだかんだ言って非常に便利であることは否定できない。多民族社会であるロンドンにはこういったエスニック・コミュニティがたくさん存在している。

 言うまでもなく、自生的なエスニック・コミュニティの発生とアパルトヘイトのように強制的に居住地区を指定するのとでは事情は全く異なる。無理やりに特定の地域に住まわせることと、便利さを求めて自発的に人びとが集まることとの違いはきわめて大きい。

 ただし、たとえ自生的に生まれたコミュニティであったとしても、それが周囲のより大きな社会からの孤立に帰結するのであれば、好ましい状況だとは言えない。とりわけ貧困がそこに関係する場合、都市は大きく荒廃していく。

移民は不信を増大させるのか

 『孤独なボーリング』などの著作で知られる米国の社会学者ロバート・パットナムは、2007年に発表した論文で、移民の増加によって社会全体での「社会関係資本」の低下が生じているとの主張を行なった。

 大雑把に言えば、社会関係資本とは人と人とのつながりによって生み出される信頼のようなものだ。これが増していくことで社会全体の効率性も増大するとされる。見知らぬ他人が信頼できなければ、駅のホームで行列の先頭に立つことすらできなくなるだろう。

 パットナムは移民が米国に経済的利益をもたらしていることを認めつつも、社会のなかの多様性が増していくことでお互いの信頼が失われ、人びとはより自分の殻に閉じこもるようになっていると主張している。

 このような「移民は社会に対してどのような影響を及ぼすのか」という問題は、欧米の政治・社会学では重要な研究テーマとなっており、パットナムの主張に対しても様々な批判が寄せられている。

 たとえば、エリック・アスラナーの「米国および英国における信頼、多様性、隔離」(2011年)という論文によると、社会の内部における信頼を低下させるのは多様性そのものではない。そうではなく、背景の異なる人びとが分かれて暮らしているということが社会の内部で不信を蔓延させる要因になるというのだ。逆に言えば、多様な人びとが暮らしていたとしても、彼ら、彼女らが社会にきちんと統合されていれば信頼は損なわれない。

 そうした現象が生じる理由としては、居住地域の分離が移民に対する不安を増大させるということが考えられる。日常的な接点が乏しいがゆえに、エスニック・コミュニティに関する情報は口コミやメディアを介したものとなる。どちらにしてもセンセーショナルな情報が好まれる傾向にあるので、コミュニティの外部に漏れ出てくるのは「ろくでもない話」ばかりになる。結果、移民の実像からは乖離したイメージがひとり歩きをして人びとの不安をかきたてていく。

 ただし、人びとが移民との接点を持つようになれば、すべてうまくいくようになるというわけでない。この点については後で論じることにしよう。

 話を戻すと、理由はどうあれ移民の増大が社会の内部での信頼を傷つけるとして、そこにいったい何の問題があるのかと思う人もいるかもしれない。しかし、不信の増大は結果として富の再分配福祉制度の導入・維持を困難にするとも指摘される。

 たとえば米国において福祉国家が発達しなかった大きな要因として、同国の人種的多様性を挙げる研究もある。つまり、貧困層にアフリカ系米国人が数多く含まれるという事実は、富の再分配福祉は彼ら、彼女らを潤わせるだけだという認識を多くの人に与える。結果として福祉国家への支持を集めることがきわめて困難な構造が生み出されているというのだ。

 ピケティ・ブームにも象徴されるように、経済格差が大きな問題として語られるようになっている。しかし、社会の内部での不信感が増大していくことは、その是正をより一層難しくしてしまう可能性がある。

エスニック・コミュニティの孤立をいかに防ぐか

 それでは、エスニック・コミュニティの孤立をいかにすれば防ぐことができるのか。まず考えられる方策としては、エスニック・コミュニティの形成を抑制したり、分散させるというものだ。異なる背景を持つ人びとが混ざり合って暮らすようになれば、偏見も是正され、信頼も維持されやすくなるとも考えられる。

 ところが、先に少し触れたように物事はそんなに簡単にはうまくいかない。それは、エスニック・コミュニティから切り離されてしまうことで、とりわけ子どもの養育が困難になってしまう可能性が生まれるからだ。

 実際、言葉や文化が大きく異なる環境に放り込まれた子どもが受けるストレスはかなりのものだろう。助け合える仲間が少なければ、勉強についていくことも容易ではないはずだ。なかには非行に走る子どもも出てくる。

 さらに、まったく孤立した状況に置かれる移民は、どうしても偏見にさらされやすい環境に置かれることになる。確かに、生活習慣が違ったり、経済苦から大人数でルームシェアリングをすることが、結果として摩擦を生むことはある。ただし、問題はそれだけではない。

 たとえば、日本のマンションにマナーの悪い日本人が住んでいたとする。その場合に「日本人はやはりマナーが悪い」という判断がなされることは稀だろう。ところが、それが外国人であった場合には「○○人はやはりマナーが悪い」という判断にすぐに結びつく。マジョリティであれば個人の性格や特性と見なされるものが、マイノリティの場合にはすぐに集団としての属性だと判断されてしまうのだ。

 そのようなまなざしは、移民を「犯罪者予備軍」であるかのように見なす認識を背後から支える。ラベリング理論が教えるように、特定の集団を「犯罪者予備軍」と見なす認識は、その人たちを本当に犯罪者にしてしまいかねない。

 このような観点からすれば、異なる背景を有する人たちが同じ地域に住むようになれば問題は解決すると考えるのは早計だと言わざるをえない。実際、ジャック・ドンズロの『都市が壊れるとき』という著作によれば、支援を受けて貧困にあえぐエスニック・コミュニティから離れ、中産階級の住宅地で暮らすことを選択した人びとの子どもは、かえって犯罪に走ることが多くなってしまったのだという。

 ドンズロの著作が教えてくれるのは、人びとを特定の地域に無理やり押し込めることも、そこから無理やり引き離すことも良い解決策だとは言えないということだ。そうではなく、移民を積極的に支援することで、彼ら、彼女らが自分たち自身で住む場所を決めることができるようにすることが、長い目で見れば孤立を防ぐためには非常に重要になってくるのだ。

移民の受け入れをどう考えるか

 かなり長くなってきたので、そろそろまとめたい。これまで見てきたように、異なる背景を有する人びとが一緒に暮らすということは容易ではない。その点に関してだけは、曽野氏に同意してもいい。

 だから、どうしてもそれに耐えられないという社会的合意が広く存在するのなら、移民を受け入れないという結論に至るしかない。それが民主主義的な決定だからだ。

 他方で、移民を受け入れることなくしては日本社会の存続が困難になるというのであれば、それはもう徹底的に取り組むしかない。すでに日本で暮らしている外国人や、新たに日本にやってきた人たちが社会の一員としてやっていけるよう、その権利をきちんと保障するとともに積極的な支援を行なっていく必要がある。

 もっとも好ましくないのは、抜け穴的な手法を使うことで移民をなし崩し的に受け入れていくことだろう。低賃金の労働力として劣悪な環境下でこき使い、使えなくなったら遠慮なく切り捨てる。

 そういったやり方は、日本人の賃金を低く抑えることにもなりかねないし、それによって蓄積されたフラストレーションが移民自身に向けられるという悪循環につながる。極右の政治家が自らの求心力を高めるために移民への反発を煽り、生活苦に苛まれる人びとの多くがそうした政治家を支持するようになる。それが今まさにヨーロッパで起きていることだ。

 曽野氏のエッセイはたしかにろくでもないものだが、今後の日本社会がいかにあるべきかを考える良き機会となることを期待したい。

参考文献

Alesina, A. and Glaeser, E. (2004) Fighting Poverty in the US and Europe: A World of Difference, Oxford: Oxford University Press.
Putnam, R. (2007) ‘E Pluribus Unum: diversity and community in the twenty-first century,’ in Scandinavian Political Studies, vol.30(2), pp.137-174.
Uslaner, E. (2011) ‘Trust, diversity, and segregation in the United States and the United Kingdom,’ in Comparative Sociology, vol.10(2), pp.221-247.
ジャック・ドンズロ、宇城輝人訳『都市が壊れるとき 郊外の危機に対応できるのはどのような政治か』人文書院
安田浩一 (2010) 『差別と貧困の外国人労働者』光文社。