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擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

「政治的なもの」を飼い慣らす(2)

社会

(前回)「政治的なもの」を飼い慣らす(1) - 擬似環境の向こう側

 ご存知の人も多いと思うが、「出羽の守」という言葉がある。

 「イギリスでは…」「アメリカでは…」というように外国がいかに優れているかを強調する。返す刀で日本がいかに駄目かをこき下ろす人物のことだ。

 海外の情報を仕入れることが難しかった時代には、この手の出羽の守の出番は多かった。ところが今や、情報が簡単に国境を超えるネット時代。出羽の守はかなり減ったけれども、それでもたまに健在ぶりを見せつけてくれることもある。

 他方で、「逆出羽の守」のような存在が目立つようになってきたにも思う。外国での政策の「失敗」を殊更に強調して、日本が同じ轍を踏まないよう警告する人たちのことだ。それぞれの国の政策にはそれぞれの文脈があるわけだから、それらを一切無視して「失敗」事例として片付けるというのはどうにも乱暴だが、ネットではこの手の「逆出羽の守」のプレゼンスはけっこう大きいのではないだろうか。

 ともあれ、「出羽の守」にも「逆出羽の守」も問題が大きい。だとすれば、そもそも海外と日本とを比較することに全く意味はないのだろうか。ここでようやく、前回のエントリのテーマである「政治的なもの」を飼い慣らすという話につながってくる。

 念のために言っておくと、ここで「飼い慣らす」と言っているのは「中立になる」ということではない。おそらく人間社会が存続する限り、「政治的なもの」を無くすことはできない。自分が中立だと殊更に強調するのは、往々にして自己が内面化した政治イデオロギーに無自覚であるか、それを覆い隠すための方便にすぎない。

 「政治的なもの」を飼い慣らすということでぼくが言いたいのは、それが生み出す認知の歪みをできるだけ減らす、ということだ。前回に挙げた例で言えば、「政治的なもの」に動かされて、自分とは異なる立場の人物の主張を過度に曲解しないということだ。もっとも、文章の解釈が様々に開かれている以上、「曲解」を完全に無くすことは不可能だし、望ましくもないが、それは他者の主張をどのようにでも解釈してよいということとイコールではない。

 話を戻す。

 「政治的なもの」を飼い慣らすための一つの方法としてぼくが考えるのは、海外に目を向けるというこのエントリの最初に書いたやり方だ。言うまでもないことだが、アジアだろうがアフリカだろうがヨーロッパだろうが、どこの国の内部にも政治的な対立は存在している(対立の存在を認めない国はあるだろうが)。

 そして、どこであれ、特定の国へのコミットメントが強くなればなるほど、それぞれの「政治的なもの」の論理に巻き込まれてしまう。逆に言うと、コミットメントが弱ければ、「政治的なもの」と距離を置いたままでそうした対立を眺めることができる。

 たとえば、ぼくは以前、戦間期の英国でのファシズム運動に関する論文を書いたことがある。オズワルド・モズリー率いる英国ファシスト連盟(BUF)と、短期間ではあれそれを支援していた『デイリー・メール』という新聞との関係についての論文だ。(この書籍に収録)

 BUFはファシストだけあって、ドイツやイタリアのファシズム政権と裏でつながっており、多数の反ユダヤ主義者を抱えていた。また、『デイリー・メール』の社主であるロザミア卿はファシズム政権との宥和を訴え、「ロンドン―ベルリン―ローマ」枢軸によってソ連に対抗することを主張していた。

 ぼくの政治的立場からすれば、正直、あまりお近づきになりたくない面々ではある。ところが、時代的にも地理的にも離れていたせいか、それともあくまで研究対象として見ていたせいか、彼らの書いたものを読んでも腹は立たなかった。むしろ、彼らが当時の英国の国家体制のどこに憤っていたのかを少なくとも部分的には共感して読むことができた。

 これはあくまで一例だが、実際にこういう体験は少なくない。日本の新聞や言論人、政治家が発言したとしたらたいそう腹立たしいであろう趣旨の主張を、海外の誰かの発言として聞くことでわりと冷静に受け止めることができる。もちろん、これはいわゆるダブルスタンダードだ。だが、このダブスタをうまく利用することで、「政治的なもの」がもたす認知の歪みをある程度までは是正することができるのではないだろうか。

 とはいえ、「政治的なもの」は狡猾だ。克服したと思ってしまうと、そのこと自体が「政治的なもの」の侵食を許してしまう。「政治的なもの」の存在を肯定しつつ、それでも「政治的なもの」を飼い慣らす努力を続ける。それが本当に正解なのか、他の選択肢をいまは思い浮かべることはできないが、それでもとりあえずこの方向で頑張り続けたいと思う。