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擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

ユダヤ人差別とリップマンの間違い

社会

 20世紀のアメリカを代表するジャーナリスト、ウォルター・リップマンはユダヤ系の出自だった。

 だが、彼はアメリカのエスタブリッシュメントに加わることに力を注ぎ、自らがユダヤ系の生まれであることにこだわりは見せなかった。むろん、それは個人の生き方の選択なので、そのことで非難されるいわれはない。出自に関わらず、自己がどのように生きるべきかを選択する自由はあっていいとぼくは思う。

 しかし、アメリカにおけるユダヤ人への差別について、リップマンの考え方には明らかな誤りがあった。このエントリでは、リップマンの間違いについて考えることで、差別の問題について改めて述べてみたい。

 19世紀末から20世紀前半にかけて、東欧からのユダヤ移民が増えたこともあり、アメリカではユダヤ人に対する差別が社会全体で強まっていた。たとえば、ハーバード大学などの私立大学はユダヤ人の入学を制限する動きに出ている。

 そうした状況のなか、1922年にリップマンはユダヤ人差別に関する文章を発表している。一言で言えばそれは「差別される側」、つまりユダヤ人に原因があるとするものだった。

リップマンは、反ユダヤ主義の真の原因は、ヘンリー・フォードらによって広められている人種差別的宣伝や、一般の人びとが単純に信じ込まされているシオニストの世界的陰謀説にあるのではないとした。むしろ、反ユダヤ主義の根はユダヤ人がほかの人びとと違っているという事実にある。…ユダヤ人がほかの人種よりも卑俗であるかどうかは別として、「ユダヤ人のあいだに見られる抜け目のなさや卑俗性は、ユダヤ人自身が目立った存在であるがゆえにいっそう目立つ」という事実に変わりはない。この事実をもってすれば、ユダヤ人にとって適切な身の施し方は、なるべく目立たないようにすることである。
(出典)ロナルド・スティール、浅野輔訳(1982)『現代の目撃者(上)』TBSブリタニカ、p.258。

 つまり、ユダヤ人が目立つから差別されるのだ、だから彼自身のようにアメリカの主流文化に同化して目立たないようにしろ、というのがユダヤ人差別に対してリップマンの提起した「処方箋」だった。

 だが、端的に言って、このリップマンの主張は間違っている。なぜなら、マイノリティが同化していようがいまいが、マジョリティの側に動機がある限り差別はいくらでも起きるからだ。

 まずひとつは、そもそも偏見があるところでは完全な同化は不可能だという理由による。どれだけマジョリティと同じように振る舞ったとしても「違い」が発見され、それによって差別が起きる。それどころか、マジョリティの人間であれば賞賛されるような行為であっても、それをマイノリティが行えば非難の対象になることすらある。マジョリティであれば「勤勉」だと見なされる仕事ぶりが、マイノリティであれば「強欲」の証として解釈されるというのがその一例だ。

エイブ・リンカーンが夜遅くまで働いたとしたら?それは彼が勤勉で、意思が強く、忍耐力に富み、自己の能力をできるだけ発揮しようという熱意があることを証明するものだとされる。ところが、ユダヤ系のエイブ・コーエンや日系のエイブ・クロカワが同じ時刻まで働くとしたら?それはただ、彼らががむしゃらに働く心性をもち、アメリカ的水準を容赦なく切り崩し、不公正な競争にもっていく証拠とされるだけである。
(出典)ロバート・マートン、森東吾ほか訳(1961)『社会理論と社会構造』みすず書房、p.390。

 そして、もう一つは、仮にマイノリティやライフスタイルや服装などをマジョリティに近づけたとしても、そのことがかえってマジョリティの不安を招き、熾烈な排除をもたらす場合があるということだ。小坂井敏晶さんの『民族という虚構』(東京大学出版会、2002年)からの孫引きで恐縮だが、アラン・フィンケルクロートは「ユダヤ人が非ユダヤ化すればするほど、彼らはより恐怖の的になった。彼らの出身がばれないようになればなるほど、反ユダヤ主義の世論が彼らに投げかける呪いは激しさを増した」と述べたのだという(p.20)。実際、ナチスドイツが占領地ユダヤ人を迫害するにあたって、彼らにダビデの星のバッジの着用を義務付けたのは、そうでもしないと見分けがつかなかったからにほかならない。

 もちろん、ユダヤ人がマジョリティに同化する以前から差別や迫害はあった。だが、同化によって誰がユダヤ人で誰がそうでないのかがはっきりしなくなると、ユダヤ人の影を至るところに見る傾向はかえって強まる。目に見えにくいからこそ、自分たちの生活を陰で操っている存在としてのユダヤ人のリアリティが増す結果を生むことになったのだ。結果として、以前のエントリでも述べたように、生身のユダヤ人から乖離したイメージとしての「ユダヤ人」が一人歩きを始めるようになり、妄想的な恐怖だけが増していくのである。

ユダヤ人を憎むのにユダヤ人を全く必要としないという、この経験的裏付けを欠いたユダヤ人憎悪こそ、20世紀の反ユダヤ主義を19世紀のそれから分かつものである。
(出典)ハンナ・アレント、大島通義ほか訳(1972)『全体主義の起源 2―帝国主義みすず書房、p.194。

 ただし、ナチスドイツの統治下でユダヤ人を差別したり、虐殺に手を染めていた人たちが、何の良心の呵責も感じなかったというわけではない。むしろ、そういった良心の呵責を抑えるために反ユダヤ主義のプロパガンダがより一層必要とされるようになったとも言える。つまり、そうしたプロパガンダは、誰かを反ユダヤ主義に染め上げるために用いられるだけではなく、すでに反ユダヤ主義に手を染めている人たちの「癒やし」としても必要とされるようになったということだ。戦争での敗北が決定的となり、もはやナチスドイツのプロパガンダに耳を貸す人など誰もいなくなった時期においてなお反ユダヤ主義のプロパガンダが続けられていたという事実は、そのことを示している。

反ユダヤ主義が原因でホロコーストが生じたのではない。しかしいったん虐殺が開始されれば、殺戮者の苦悩を麻痺させる手段が必要になる。そういう意味で反ユダヤ主義の強化はホロコーストの原因というよりも、逆に虐殺の結果だと言えるかもしれない。
(出典)小坂井敏明(2008)『責任という虚構』東京大学出版会、p.51。

 加えて言えば、過去に差別が行われていたという事実そのものが、偏見を再生産してしまうこともある。「意見が対立するときは、両方の意見を聞いてバランスを取ることが必要」だという規範意識がもしかしたら働くのかもしれない。差別に正当性はあると主張する側とそんなものはないと主張する側がいたとすれば、いくら前者の側の根拠が乏しくとも間を取って「差別をする側にも問題はあるが、される側にも問題があるのではないか」という点に落ち着いてしまう。こうした発想がある限り、差別があったという過去を消すことはできないのだから、差別をされる側がいくら努力をしたところで偏見の根を絶やすこともできない。

レッテルは殺人行為をより受けいれやすくする。さらには、行きすぎた行為をやってしまった場合、そのこと自体によって、後からそのレッテルが正当化されることもある。こうして、第二次世界大戦後になっても、非常に多くのドイツ人が、あんなに多くのユダヤ人が強制収容所に送りこまれたのだから、ユダヤ人には何か悪いことがあったに違いない、と感じていたのである。
(出典)クラウス・ミューラー、辻村明ほか訳(1978)『政治と言語』東京創元社、p.49。

 かなり長いエントリになってしまったが、ここでの趣旨を繰り返して言うなら、同化して目立ちさえしなければ差別はなくなるというリップマンの見解は誤りだということだ。差別する側に動機があるなら、マイノリティへの攻撃はどこででも生じうる。

 反ユダヤ主義が生まれる理由などほぼ皆無なはずの日本においてすら、ユダヤ人の陰謀を説く書籍が売られ、『アンネの日記』やホロコースト関連の書籍が図書館で破られたりするのだから。