擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

マスコミに騙される日本人?

 ロンドンで迎える初めてのクリスマス。だがあいにくの嵐で外出する気にもならない。というわけで、先日の「第三者効果」に関するツイートのまとめ(+加筆修正)だ。

第三者効果とは何か

 マスメディアの第三者効果仮説については以前から時々ツイートしていたし、このエントリでも書いたことがある。要するに、多くの人はマスメディアのメッセージは自分には影響しないと考える一方で、それが他人(第三者)に与える影響を過大評価する傾向にあるという仮説だ。

 たとえば、Yahoo!のリアルタイム検索で「マスコミ 騙され 日本人」で検索してみた結果がこれだ(アイコンおよびアカウント名は消去)。

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 これらのツイートを見ると、「マスコミに騙されている日本人」と「騙されていない自分」という構図はそれなりに浸透していることがうかがえる。

 第三者効果という概念を提起したのは、W. P. Davisonだが、その論文の冒頭で興味深いエピソードが紹介されている(W. P. Davison, ‘The third-person effect in communication,’ in The Public Opinion Quarterly, vol.47(1), pp. 1-15, 1983)。

 太平洋戦争中、硫黄島での戦闘に際して日本軍が米軍のある部隊にプロパガンダを仕掛けたことがあった。その部隊はアフリカ系の兵士で構成されており、日本軍は彼らに対して「白人のために命を危険に晒す必要はない。逃げろ」という趣旨のビラを撒いたのだ。

 実際にそのビラにどの程度の説得効果があったのは分からない。むしろ、その部隊の士気は非常に高く、説得効果はなかったのではないかという話もある。しかし、部隊を率いていた白人の司令官は部隊を撤退させたのだという。

 Davisonはこれこそが第三者効果の現れではないかと主張する。つまり、日本軍のプロパガンダがそのターゲットであるアフリカ系の兵士に影響を与えていたかどうか分からない。だが、それが自分の部下に影響を与えることを心配した司令官の行動に影響を与えることになった。このように、メッセージが結果として本来はターゲットとしていない人びとの行動により大きな影響を与える可能性を指摘したのが第三者効果仮説というわけだ。

 Davisonは、この第三者効果がプロパガンダのテクニックとして古くから実践されており、日本軍が意図的にそれを使った可能性を示唆している。実際、連合国軍側もまた第三者効果を利用したプロパガンダを実践していたというのだ。

 同じく第二次世界大戦中、自分たちのプロパガンダ放送がドイツ軍により監視、分析されていることを連合国軍側はよく知っていた。そこで連合国軍側は、公式には撃墜されたとされるドイツ軍の戦闘機が実際には投降し、英国に無事に着陸していることを匂わせるような情報を放送に紛れ込ませるという手法を採用した。

 その目的は、ドイツ軍の飛行士に投降を促すものであると見せかけつつ、実はそうではなかった。むしろ、ドイツ軍の首脳部に自軍の飛行士に対する猜疑心を植えつけ、ドイツ軍内部での相互監視の強化によって士気が低下することを狙っていたのだという。ドイツ軍の飛行士の対するメッセージと見せかけつつ、実はそれを監視しているドイツ軍の首脳に揺さぶりをかけるという第三者効果を逆手に取ったテクニックというわけだ。

第三者効果を発露しやすいのはどんな人?

 このような第三者効果はとりわけ、ある個人が重要だと思っている事柄に関して生じやすいのだという。たとえば、秘密保護法案、エネルギー問題、領土問題、歴史認識などに関心がある人はそれに対する情報を一生懸命に集める。その結果、自分が持つ情報量と他人が持っている情報量との間に開きがあると考えるようになる。つまり、「歴史について勉強している自分と、勉強していない他の人びと」という図式が描かれるわけだ。そのため、「自分は知識があるのでマスメディアのいい加減な情報には騙されないが、知識がない他の人びとは簡単に騙されてしまう」という発想が生まれやすくなる。

 ここから言えるのは、専門家ほど第三者効果に囚われやすくなるということだ。専門家は自分の専門分野に関する詳細な知識を持っている。だからこそ、マスメディアが流布する「誤った情報」に自分自身が騙されることはないと考える一方で、それが一般の人びとに広がることを心配する。

 さらに、このような第三者効果は、ネットの普及によってますます広く見られるようになってきたのではいだろうか。その真偽はともかく、ネットではマスメディアが発するものとは異なるカウンター情報を容易に拾うことができる。結果として、自分が持っている情報量と他人が持っていると想定される情報量との格差はさらに大きくなる。言わば、ネットは一種のエリート意識(情報強者!)を獲得し、他の人びと(マスメディアに影響される情報弱者)を見下すための格好のツールなのだ。

 そして、第三者効果を利用した情報操作も可能だ。「マスメディアでは報道されていないが…」「日本人は騙されているが…」といった枕詞は、それを聞く人に情報強者としての優越感を与えることで、情報の真偽に関する判断を甘くする。「情弱」を嘲笑する人がそのわりに変な情報を流していたりすることも、その辺りに原因があるのかもしれない。もっとも、この説明自体が第三者効果を発露させていると言えるかもしれないのだが。

第三者効果と政治的弾圧

 ところで、上述の論文の結論部分で、Davisonは第三者効果が政治的な弾圧にも影響を及ぼしてきたのではないかと示唆している。宗教的な異端や抗議活動をする人びとがしばしば弾圧の対象となってきたのは、彼らが発するメッセージの影響力が過大評価され、それが多くの人びとの考えを変えてしまうことを権力者たちが恐れたからではないかというのだ。最後にその部分を引用して、このエントリを終わることにしよう。

異議申立てを行うコミュニケーションの影響力に対する過剰な予想は、無数の人びとの投獄、拷問、殺戮を生じさせてきた。今日においてすら、権威主義および全体主義の国々の牢獄には、「国家に反対するプロパガンダ」または「破壊的な噂を流した」ことによって人びとが収監されているのである。
(出典)W. P. Davison, ‘The third-person effect in communication,’ in The Public Opinion Quarterly, vol.47(1), p.14.