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擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

何がリフレ政策を実現したのか

日銀をめぐるネット論争

 ネットではかなり前から「リフレ政策」の是非が語られ、時として論争が発生してきた。なかでも、ぼくにとって印象深いのが、匿名官僚ブロガーであったbewaadさんという人の主張をめぐって2010年ごろに起きた論争だ。

 bewaadさんのブログには頷けるところが多く、ぼくもよく勉强させてもらっていた。ところが、このbewaadさんがリフレ派の一部から「裏切り者」として批判されるようになった。

 この論争の論点は多岐にわたるし、経済学素人のぼくには手に負えないものが多い。ただ、それらの論点の一つは「なぜ日銀は世界標準の経済理論を採用しないのか」というものだった。

 この問題について、リフレ派の一部は日銀による言論統制を挙げ、そのなかのさらに一部は陰謀論へと傾いていった。給料が安定している日銀職員にとっては(日本経済全体を犠牲にしても)デフレによる物価下落は好ましいというものや、親中派が金融政策に影響を及ぼしているとか、まあそういう話だ(1)。

 それに対して、bewaadさんはケネス・ロゴフのような大物経済学者が日銀の政策を肯定していることに加えて、日本の経済学者のあいだでもコンセンサスが欠如していることを挙げた。つまり、bewaadさん自身はリフレ政策に賛成しているものの、日銀がなぜリフレ政策を採用しないかについては「日本の経済学者の多数および国民が日銀の政策を支持している」ということを挙げたわけだ。この点について、bewaadさんは次のように述べている。

先の(反/非リフレ政策で7割強を占めた:引用者)アンケートを見ても、経済学者の多く、さらにはそれより「世界標準の経済理論」から遠くにいる一般国民の多くは、今なお緩和を拒み、引締めを求めているわけです。そうした声に日銀が傅くゆえのデフレ継続は、誤ったミッション(バブル発生の抑止:引用者)を付与されたことの帰結であって、ゆえにミッションを正さねばならないのではないか、とwebmasterは考えているのです。
(出典)http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20100531/p1

 したがって、bewaadさんの観点からすれば、リフレ政策を実現するためには、日銀という組織を攻撃すれば良いという話ではなく、日銀の政策を背後で支えるより幅広い知的風土を変化させる必要がある。だからこそ「その困難たるや如何ほどか」と言わねばならなかったのだろう。

 ロゴフについては、最近になってその主張の一部が誤っていたことを本人が認めたらしいが、ここでの主題はその是非ではない。あくまで、当時の日銀がなぜ「世界標準の経済理論」から導き出される政策を採用しなかったか、だ。

政策分析の視角とナイトの不確実性

 政治学における政策研究では、いくつかの分析視角がある。たとえば、政治家や官僚、利益団体などの政治アクターの経済的利益を重視する合理的選択制度論というものがある。つまり、個々の政治アクターは各々の利益に従って動くと想定すれば、どのような政策が実施されるのかが分析、予測できるというものだ。「デフレは給料が安定している日銀職員にとっては利益になる」というのは、この合理的選択制度論の発想に合致すると言えるかもしれない。

 それに対して、歴史的制度論という分析視角もある。歴史的に蓄積されてきた制度によってその後の政策がどのように拘束、影響されるのかを分析しようとする発想だ。たとえば、手厚い福祉政策がいったん整備されると、膨大な数の受益者が生まれるため、それを廃止したり、大きく変更したりすることには大きな困難が伴う。このように、ある時点で実施された政策はその後の政策に大きな影響を及ぼす、というわけだ。

 これらの合理的選択制度論や歴史的制度論のほかにもいくつかの流れが存在するが、主としてこの二つが大きな影響力を及ぼしてきた。ところが、近年ではこれらのアプローチのなかでも、「アイデア」や「言説」の役割が注目されるようになってきた。つまり、どのような政策が決定されるのかを見るうえでは、やっぱり人びとの思想や考え方が重要なのではないかという話になってきたのだ(2)。

 歴史的制度論について言うと、政策の拘束力がそれほどまでに強力なのであれば、政策が大きく変化する理由をうまく説明できなくなってしまう。実際、上で挙げた福祉政策に関しても1970年代以降、大きな変化が起きてきたわけで、制度的な蓄積だけでそれを説明することはできない。

 他方で、合理的選択制度論に関しては、政治アクターが個々の利益に従って動くと言っても、そもそも何をもって「利益」と見なされるのかは必ずしも自明ではない。上の例で言えば、長期不況が続くなかでは身分が安定している公務員に対するバッシングが強まる。「公務員だと肩身が狭い」という話も耳にする(3)。しかも、長期不況はやがて公務員に対しても賃下げ圧力として働くようになるだろう。それでも物価が下がることを良しとするか否かは、個々人の価値観に大きく左右されるのではないだろうか。

 実際、深刻な経済的な不況が続くなかでは、その原因もはっきりとせず、自分たちにとっての利益が何なのかすら政治アクターに不明確になる状況が生まれると言われる。マーク・ブライスという研究者はそうした状況を「ナイトの不確実性」と呼び(4)、次のように述べている。

基本的に、デフレーションはナイトの不確実性を生じさせる。物価の下落は競争の激化をもたらし、それは収益に打撃を与え、投資を減少させる。成長は鈍化し、失業率は上昇する。そのことが今度は需要の下落をもたらし、すでに進行している不況を加速させる。それゆえに、自分たちを守ろうとするあらゆる市場エージェントの行為は、他のすべてのエージェントに対してゼロサム的になる傾向にある。…自己を守るために行なわれる行為がより大きな不確実性をもたらし、全体的な状況を悪化させるのに寄与するばかりなのである。結果として、自分自身の利益が徐々に不明確になっていく。それは、利益を追求することが物事を悪くするだけに思われるからである。
(出典)Blyth, M. (2002) Great Transformations: Economic Ideas and Institutional Change in the Twentieth Century, Cambridge University Press, p. 268.

 ブライスによれば、こうしたナイトの不確実性においてはアイデアこそが大きな役割を果たすのだという。原因のよくわからない危機に関して、アイデアはその原因が何なのかを説明し(むろん正しいとは限らない)、処方箋を提案する。人びとはそのアイデアを受け入れると、今度はそれを別の人を説得するために利用する。こうして多くの人がそのアイデアに従って行動するようになり、政策や制度へと反映されていくというわけだ。

なぜ日銀はリフレ政策を拒んだか

 こうした観点からすれば、日銀が「世界標準の経済理論」を採用しなかった理由は、それとは異なるアイデアが日銀やその周囲、さらにはマスメディアも含むより幅広い世間において支配的だったからということになるだろう。

 つまり、デフレ克服よりもバブル発生の抑止を重視するアイデアが支配的だったのであり、それは多くの経済学者にも共有されていた。そうした状況下において、日本では多数派とは言い難いリフレ派の経済理論に基づいた政策を日銀が実施しなかったのはむしろ当然だったと言えるのではないだろうか。無論、反リフレ的なアイデアを堅持する日銀は、それをさらに広めようとするだろうが、その行動を支えるのは彼ら自身が抱くアイデア(bewaadさんの用語法で言えばミッション)だ。ぼくは政策分析としては、日銀職員の給料がどうとか親中派が跋扈しているなどといった話よりも、bewaadさんの説明のほうが遥かに説得的だと思う。

 たが、政治的なプロパガンダとしては、日銀による言論統制や日銀職員の給料、親中派がどうのといった言説のほうがインパクトのあることは認めねばならない。つまり、この論争は、まともな政策分析(そして、それゆえに面白みに欠ける)と政治的プロパガンダの衝突だったとも言えるわけで、前者を政治アクターである官僚が、後者を学者や評論家が唱えるという倒錯した事態だったようにも思う。そして、この政治的プロパガンダは、実際に政策変更をもたらした可能性がある。

 消費税増税は措くとしても、安倍政権下においてリフレ政策は実施された。リフレ派の頭目が日銀副総裁になったし、日銀も年2%の物価上昇率を目標として掲げたわけだからそう言っていいだろう。

 しかしこれも、リフレ政策を実施したほうが儲かると安倍さんが考えたからというより、リフレ政策は経済的危機の打開にとって効果的だというアイデアを彼が受け入れたからだろう(ぼくは安倍さんについて経済政策以外は本当にうんざりしているが、個人的利益によって政策を決定することはないだろうという程度には彼を信頼している)。そして、一部リフレ派の政治的傾向と安倍さんの政治思想の親和性を考えれば、安倍さんがリフレ派の主張を受け入れるにあたって上述の政治的プロパガンダが一定の役割を果たした可能性も否定できない。かつて、新自由主義の教祖とも目されるミルトン・フリードマンは次のように述べていた。

「アイデアの世界で重要なのは、何が真実かなのではない。真実だと信じられるものこそが重要なのだ」
(出典)Friedman, M. (1970) “The counter-revolution in monetary theory,’ in Institute of Economic Affairs Occasional Paper, number 33, p.5.

リフレ政策は継続するか

 しかし、自民党や財務省、日銀にはまだまだリフレ政策への反対派が数多く存在すると言われる。安倍政権が倒れるようなことがあればリフレ政策も危なくなるという話もある。

 たしかに上述したような政治的プロパガンダには政策実現に向けての効果はあったかもしれない。だが、アイデアの政策分析が教えるところでは、それが定着し、制度化されるためには、より多くの人びとがそれを受け入れ、行動の前提として採用するようになることが求められる。

 だとすれば、リフレ派の経済学者の人たちに求められるのは、目先の政治動向に一喜一憂したり、変な陰謀論を振り回したりするのではなく、反リフレ派の経済学者に正面から論戦を挑み、日本の経済学でのヘゲモニーを獲得することではないのだろうか。

脚注

(1)こうした発想の背後には、敵対する政治勢力に対するシニシズム、もしくは政治的主張の背後には何らかの物質的利益が存在すると考える唯物論的な発想があるように思われる。こうしたシニシズムや唯物論的発想はわりと簡単に陰謀論に転化する。

(2)ただし、アイデアや言説を重視するということは、利益や制度の影響を無視するということではない。利益や制度はたしかに重要だが、それらはアイデアにより形成される認識枠組みを通じて理解されることで初めて影響力を発揮できる、ということである。

(3)(追記 2013/11/25)厳密に言えば、日銀職員は公務員ではなく団体職員である。

(4)経済学者であるフランク・ナイトの研究からアイデアを得ているため。