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擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

消費税増税は「マスコミのせい」か?

マスコミによる消費税増税キャンペーン?

 少し時期を逸したが、消費税の増税が安倍首相によって正式に表明された。

 これを受けて、どういう理路なのかはいまいち定かではないのだが、増税に反対する人たちから「マスコミが悪い」という声が上がっている。どうやら「飛ばし」記事まで含めて、マスコミが増税キャンペーンを張ったがゆえに増税が実現したということのようだ。

 しかし、たとえば『読売新聞』の8月31日の社説は次のように述べている。

政府は、2014年4月に予定される消費税率の8%への引き上げは見送るべきだ。景気の本格回復を実現したうえで、15年10月に5%から10%へ引き上げることが現実的な選択と言えよう。

 他方で、同紙は9月12日には「安倍首相は11日、消費税率を来年4月に現行の5%から8%に予定通り引き上げる意向を固めた」という報道をしているので「飛ばし」に加わっていたことになる。

 消費税の延期を社説で訴える一方、「飛ばし」によって増税の実現を目指す…というのはどうにも整合性がない。素直に考えれば、『読売新聞』が来年4月からの増税を目指してキャンペーンを張っていたとは言えないんじゃないかと思う。

 にもかかわらず、社会科学的な思考に馴染んでいるはずの人たちまでもがマスコミ悪玉論に加わっているのを見ると、マスコミという変数は思考をそこで止めるのにちょうど良い存在なのではないかとも思える。そこで以下では、マスコミ悪玉論についてもう少し考えてみたい。

「元凶」としてのマスコミ?

 世の中の惨事や失政の元凶としてマスコミによるプロパガンダ(政治宣伝)が語られることは少なくない。たとえば、ナチスがなぜドイツ国内で政権を掌握できたのかを説明するさい、同党によるプロパガンダの巧妙さが挙げられることは少なくない。日本でも無謀な戦争を引き起こしたのはマスコミのせいだとか、戦後にGHQが日本を根底から作り変えてしまったのもマスコミを使った宣伝のせいだと語られることもある。こういった説明では、マスコミが独立変数として、世論や政府が従属変数として位置づけられている。

マスコミ→(影響)→世論、政府

 しかし、マスコミが世論や政府を誘導しているとしても、マスコミは誘導する方向性をどのようにして決定しているのだろうか?その背後にインフィニティだか300人委員会だがいるのだろうか?

 周知の通り、たとえば『朝日新聞』と『産経新聞』ではその論調が大きく異なることが多い。かつて『産経新聞』の論説委員の人が言っていたことだが、社説の方向性を決定するにあたって内部で意見が割れた場合には、『朝日』の出方を予測し、あえてその逆を行くことがあるのだという。こういう状況を踏まえれば、現在の日本でマスコミが一枚岩的に世論や政府を特定の方向に誘導しようとする事態は、それが業界全体の利益に関わる問題である場合を除けば、想定しづらい。

 しかも、マスコミで働いている人たちも、マスコミの外の世界と一切関わり合いを持たずに生きているわけではない。マスコミに入るまでに培った様々な価値観やイデオロギー、さらには入社後も様々な人びとからの影響を受けながら取材をし、論説記事を書いている。だとすれば、あたかも真空状態にいるマスコミが独立変数的に世論や政府に一方向的な影響を与えていると考えるのはどうにも無理がある。

 そもそも、マスコミの記事作成過程というのは、かなり慌ただしい。急に入ってきたニュースのために記事を差し替えるというのは日常茶飯事だ。なので、あらゆる報道が特定の意志によってコントロールされるという事態は考えづらい。以下はイギリスの記者の書いた文章からの引用だが、日本でも事情は大きく変わらないだろう。

実際のところ、新聞は読者が想像するよりも遥かに混乱状況で運営されている。トップダウン的な編集の一方的決定が存在しないというのは誤りだが、紙面に関する日々の決定の大部分は、編集長は言うまでもなく同僚にも図ることなく個々のライターあるいはデスクによって行われている。
(出典)David Brindle (1999) ‘Media coverage of social policy’ in Bob Franklin (ed.) Social Policy, the Media and Misrepresentation, London: Routledge, p.40.

 加えて、仮にマスコミが特定の方向に世論や政府を誘導しようとしたとしても、それが成功するとは限らない。マスコミュニケーションの効果研究が明らかにしてきたのは、マスコミの受け手は多くの場合、その内容を批判的に解釈しているということだ(1)。もちろん、マスコミの報道が世論にまったく影響を与えないということはないのだが、そうした局面は限られている。多くの場合、マスコミは世論や政策の流れを加速させることはあっても、何もないところから作り出すのは困難である。

 ましてや、政治家ともなれば、マスコミ報道に反撃することもできる。就任以来、安倍総理facebookを使って時にマスコミ批判を展開してきた。もし、消費税増税に関する「飛ばし」が本当に安倍総理の意に反して行われていたのであれば、マスコミの性急さや迂闊さを槍玉に挙げる格好の機会だったはずだ。にもかかわらず、それは行われていない。

マスコミ悪玉論の背後にあるもの

 このように、世の中の惨事や失政をなんでもマスコミのせいにしてしまうというのは、どうにも筋が悪い。それでもマスコミ悪玉論が一定の支持を集める背景には、それが責任回避を可能にするということがある。たとえば、ナチスに関して、ハンナ・アレントは次のように述べている。

全体主義政権がその隠れもない犯罪性にもかかわらず大衆の支持によって成立っていたという事実は、確かにわれわれに非常な不安を与える。それ故に、往々にして学者がプロパガンダや洗脳の魔術を信じることでこの事実を認めるのを拒否し、また政治家が、例えばアーデナウアーがよくやったようにこの事実を頭から否定してしまうのも、驚くには当らない。
(出典)ハンナ・アレント、大久保和郎訳『全体主義の起源(2巻)』みすず書房、p.iii。

 実際問題として、ナチスは多くの人びとから支持されていた。だが、それをマスコミやプロパガンダのせいにしてしまえば、ナチスを支持した人たちは「加害者」ではなく騙された「被害者」の立場に身を置くことができる。以前のエントリでも述べたように、GHQの情報統制の影響力を過大視する議論にしても、論理はほとんど同じだ。マスコミ悪玉論は、自分たちではない「悪いやつ」を設定することで、自分たちに振りかかりかねない責任から逃れることを可能にする。

 消費税増税に関して言うと、今回、マスコミ悪玉論を展開しているのは「アベノミクス」を強く支持してきた人が多いように思う。自分が何か失敗をやらかした時には周囲の環境のせいにする一方で、他人の失敗を糾弾するときにはその人の自己責任を強調するというのはよくある心理だ。安倍首相と心理的に一体化してきた人たちが、消費税増税という「失政」を目にしたとき、安倍首相本人の責任ではなく、彼を取り巻く環境のせいにしたいという願望を持ったとしても驚くにはあたらない。「ぼくたちの安倍首相を誤らせたのは周囲が悪いに違いない、だからマスコミが悪いのだ」という流れなのだろう。だが、それは冷静な政治分析というよりも、ファン心理と言ったほうがいい。

 加えて、冒頭でも述べたように、社会科学のトレーニングを受けた人までもがマスコミ悪玉論に加担してしまうというのは、マスコミという変数を挙げれば議論をそこで止めることができるという効果があるのかもしれない。政策決定にまつわる複雑な事情であっても、マスコミが悪いと結論づけてしまえば、そこから先の議論は不要になるというわけだ。

 もちろん、マスコミはしばしば変な報道をするし、おかしな部分も多々あるとは思う。だが、それは具体的に行うべきであって、何もかも一緒くたにして「マスコミは」「マスゴミは」と批判したところで生産的な議論になるとは思えない。

研究者としてできること

 以上のように消費税増税の決定をめぐる議論をもとに、マスコミ悪玉論を批判してきた。ここでちゃぶ台をひっくり返すようなことを言うと、これまでぼくが消費税増税に関して書いてきたことは、すべて推測でしかない。実際に安倍首相はマスコミからの圧力に屈して、消費税増税を決定せざるをえなかったのかもしれない。だが、それと同様に、安倍首相本人か彼とよほど近い位置にいる人間にツテでもない限り、安倍首相はマスコミのキャンペーンに屈して消費税増税を決定せざるをえなかったとも言えないはずだ。

 本来であれば、このような問題に関して研究者としてできることは限られている。ずっと後になってから出版されるであろう回顧録や手記、議事録などを使って、消費税増税という政策が決定された背後にどのような要因があったのかを地道に分析していくしかない。

 現時点において消費税増税の背後にどのような力学が働いていたのかについて、研究者として言えることなど何もないはずである。それでも何か言っているのだとすれば、それは研究者としてではなく政治運動家として言っているのだろう。いや、それならそれで良いのだが。

脚注

(1)アジェンダ設定理論、沈黙の螺旋理論、培養理論などマスメディアの影響力の大きさを強調する議論でも、マスメディアが世論を意のままに操ることができるなどという極端な想定はしない。それらの理論で強調されているのは、マスメディアは特定の方向に世論を誘導することができるというよりも、人びとが社会の実情をどのように認識するのかという社会観あるいは世界観の構築に影響力を発揮するという点である。