読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

「階級小説」としてのハリー・ポッター

雑想

 小説や映画もずっと前に完結したハリー・ポッターについて、なんで今さら書くのか。はっきり言って特に理由はない。あえて言えば、今日読んでた論文に“scrounger”という単語が出てきて、「ああ、これハリポタでも出てきたなあ」と思いだしたというのが最大の理由だ。

 さて、エントリのタイトルの通り、ハリポタは階級小説である。階級小説というのは、要するに社会階級の存在を中心的なテーマとして描く作品で、イギリスに数多く存在すると言われる。日本のマンガでも、金持ちのボンボンとメイドとの恋を描いた『エマ』は階級マンガと言えるのではあるまいか。そして、ご多分に漏れず、イギリスで生まれたハリポタという作品も階級小説として読むことができる(たぶん)。

 というわけで、以下はネタバレ満載なので、これからハリポタを読もう(見よう)と思っている人は止めておいたほうが無難だし、そもそもハリポタに興味がないという人にとってはまったく無益なエントリである。いや、まあ、いつも無益なのだが。

デイリー・メール的思想

 さて、ハリポタにおける階級意識を語るうえで外せないのが、ダドリー家の面々である。企業経営をしており、家には高級車。高級住宅地に住み、愛読紙はデイリー・メールである(4巻でそれがわかる)。このあたり、明らかに作者のローリング女史の悪意が見える。

 デイリー・メールというのは、ノースクリフ卿によって19世紀末に創刊され、今日まで中産階級によって支持されてきた保守系の新聞である。同じ保守系でも、たとえばデイリー・テレグラフのような高級感はなく、読みやすさが信条のポピュラー・ペーパーである。

 また、保守だというのは、要するに王室大好き、福祉政策嫌い、貧困層や犯罪者、移民にはとことん厳しいということだ。マーガレット・サッチャーの思想ときわめて親和的でもある。生活保護を受給しつつハリー・ポッターの1巻を書き上げたローリング女史がそうした思想に批判的なのは当然だろう。

 このようなデイリー・メール的思想がもっとも明確に語られているのが、3巻『アズカバンの囚人』の冒頭部分だ。ここでは、ダドリー家の親戚であるマージおばさんが登場し、ハリーの両親を激しくdisる場面が出てくる。ハリーの両親が魔法使いであることをマージおばさんに隠しているバーノンおじさんは、生前に彼らが何をしていたのかを尋ねられ、とっさに失業者だったとウソをつく。そこで、マージおばさんはハリーの両親を“scrounger(たかり屋)”呼ばわりするのだ。イギリスでは社会保障に依存している人びとに対して、しばしばこの“scrounger“というレッテルが用いられる。デイリー・メールでも盛んに用いられる表現だ。

 他方で、ハリポタの金持ちといえば、ハリーのライバルであるドラコ・マルフォイも忘れるわけにはいかない。ただし、ダドリー家があくまで上層の中産階級であるのに対し、マルフォイ家はどちらかと言えば上流階級に位置していそうな感じである。歴史のある家柄であり、家もマナーハウスだ。貧困層に対するまなざしは冷たく、同じ魔法使いでも金銭的に厳しいウィーズリー家に対する蔑視を隠さない。当然、ローリング女史もマルフォイ家のそうした特権意識をきわめて批判的に描き出している。

貧困層へのまなざし

 ハリポタに登場する貧困層といえば、先にも少し触れたウィーズリー家に触れないわけにはいかない。父親が魔法省に勤務しているわけだから一定の給料は貰っているはずだが、なにせ子どもの数が多いので経済状態は厳しい。もっとも、上のほうの子どもたちは既に独立しているので、彼らからの経済支援があっても良いはずだが、それが見られないのは歴史的に家族間での相互扶助が希薄なイギリス社会のあり方を反映していると言えるかもしれない。

 ローリング女史のウィーズリー家に対するまなざしは優しい。たとえ経済的には貧しくとも、家族間の深い愛情が随所に描き出されている。しかも、決して余裕はないはずなのに、ハリーを息子同然に処遇するなど、情にも厚い。

 ただし、貧しければよいのかというと、決してそんなことはない。ここで注目したいのが、ハリポタにおける最大の悪役であるヴォルデモート卿である。彼の母親は彼を出産した直後に死亡し、幼少期を孤児院で過ごしている。むろん、経済的には決して恵まれない暮らしである。父親は金持ちだが、生まれる以前に彼を見捨てている。母の血筋は魔法界では名門だが、すでに没落しており、彼が生まれる以前からすでに極貧のなかにあった。

 そしてもう一人、ハリポタには貧困家庭に生まれた人物がいる。セブルス・スネイプである。彼は貧困層の済む地域で生まれ育ち、家庭内暴力にも苛まれていた。子どもの頃にはまともな衣服も与えられていなかったようだ。ホグワーツに職を得てからも、自分が生まれ育った街に居を定めている。おそらくは、そこに強いアイデンティティがあるのだろう。

 だが、ヴォルデモート卿が最後の最後まで憎悪に生きた人物であったのに対して、物語の最後の部分で明らかになるように、スネイプは愛に生きた人であった。それでは、この両者の違いはどこにあったのだろう?

階級を越える愛

 一つには、スネイプが愛によって階級の壁を越えようとしたことがあったと言えるのではないだろうか。スネイプは死ぬまでハリーの母親であるリリーを愛し続けた。スネイプとリリーの幼少期の描写でも明らかなように、リリーは中産階級の恵まれた環境に育ったはずだ。スネイプはリリーを深く愛することで、両者を隔てる階級の壁を越えようとしたのだ。

 そう考えると、ハリポタにおいて成就する愛の多くは、階級の壁を越えるものであることが分かる。ハリー自身は両親から膨大な遺産を受け取ったのみならず、シリウス・ブラックからも家を相続しているので、金銭的には恵まれた立場にある。他方で、彼が最終的に結ばれることになるジニー・ウィーズリーは上述のように貧困家庭で育っている。

 また、ハーマイオニー・グレンジャーは両親が歯科医なので、それなりに恵まれた家庭で育ったはずだ。他方、彼女と結ばれることになるロン・ウィーズリーはジニーと同じく貧困家庭の育ちだ。

 加えて、ハリーの父親の友人にして狼男のリーマス・ルーピンは、狼男であるがゆえに職に恵まれず、きわめて貧しい。他方で、彼と結婚したニンファドーラ・トンクスは魔法省のエリートである闇払いであり、7巻での描写を見る限りそれなりに豊かな家庭に育ったと推測される(彼女の母親は魔法界の名門の血筋でもある)。

 他方で、物語で繰り返し語られるように、ヴォルデモート卿は他人を愛することができない人物であった。愛することができないのだから、それによって階級を越えることもできない。強大な権力を手にしたとしても、そこから生じるのは階級支配を裏返したような強圧的な支配だけである。

 階級小説の醍醐味は、単にそれぞれの階級のあり方の描写のみならず、階級の壁を越えるさいに生じる悲喜こもごもを描き出すことにある。したがって、愛によって階級の壁を越えていく有り様を描いたハリポタは、まごうことなき階級小説として読むことができるのだ。

 我ながら強引な結論ではある。