一人称の呪い
幼児の一人称というのは、多くのばあい、自分の名前である。たとえば、○○ちゃんが「あのね、○○ちゃんね」と自分で言うのがそれにあたる。我が家の長男の一人称もそんな感じで始まった。
幼稚園に入ったあたりからだろうか、その一人称が「ぼく」に変わった。これも自然な流れだ。それから、さらにしばらくして「オレ」になった。近所の子どもたちがみんな「オレ」なのだから、まあ自然な流れだろう。ただ、我が家の長男のそれも含め、「オレ」は「俺」とは少し違う。カフェオレの「オレ」となぜか同じ発音なのだ。
ともあれ、これで長男の一人称は決まったかなと思いきや、イギリスに来てからまた「ぼく」に戻った。どうやら、幼稚園の先生に直されたらしい。そこでぼくは思う。ああ、こいつももしかすると、一人称の呪いにかかってしまうかもしれない、と。
以下は、一人称の呪いをめぐる、ぼく自身の記録である。
幼稚園児のころ、ぼくの一人称は「ぼく」だった。周囲の園児もきっと「ぼく」だったのだろう。
ところが、小学校に上がると風向きが変わった。周りがどんどん「俺」を使うようになってきたのだ。そこで、小学校2年生のときだったろうか、ぼくも「俺」を使う決心をした。
しかし、その決心はわずか一日で挫折を迎える。ぼくが「俺」を使っていることに気づいた姉が「なにあんたカッコつけてんの」と嘲笑してきたのだ。これが一人称の呪いである。本人すらも覚えていないだろうが、姉が放ったこの呪詛は、長きにわたってぼくを苦しめることになる。
姉の呪詛によってぼくは「ぼく」へと回帰し、そのまま小学校時代を過ごした。ところが、中学校に上がると、周囲の「俺」の比率はさらに上がる。おそらく99%が「俺」を使用していたのではなかろうか。しかし、ここまでこじらせると、今さら「俺」を使うことは難しい。
そこで、ぼくが採用した一人称が「自分」であった。
「自分、不器用ですから」
気分は高倉健である。
しかし、この一人称には大きな問題があった。というのも、ぼくの地元では、二人称(you)として「自分」が使われていたのだ。なので、たとえば誰かと喧嘩したときなど、「自分が自分に何したっちゅーねん!!」などと大変に紛らわしいことになる。しかも、中学生で「自分」というのは、どうにも中二病的(当時はそんな言葉はなかったが)な感じがしなくもない。
そこで、高校に上がると、ぼくは再び一人称を変更した。何を血迷ったか、今度は「おいら」である。
「♪おいらはドラマー、やくざなドラマー」
しかし、この一人称にも問題があった。というのも、当時、ぼくの周囲では二人称複数(we)として「おいら」を使う人が結構いたからだ。なので、たとえば「おいら、成績悪いからなあ」などと言うと、自虐のつもりが勝手に周囲まで巻き込んでしまう。しかも、冷静になってみると、やはり「おいら」は格好悪い。
だが、ぼくは高校卒業までそのままで通し、大学に入学してからも数日間は「おいら」のままだった。
今でもよく覚えているが、大学に入学してすぐ、ぼくはサークルに入った。その新入生歓迎のお茶会で、大学の陸上競技場のスタンドにぼくはいた。周囲には全く新しい友人たち。高校までのぼくのことを誰一人として知らない。しかも、大学入学とともに一人暮らしを始めていたので、家に帰っても家族はいない。
「俺は」
そう言ったときの開放感!ぼくはまさに一人称の呪いから解き放たれたのだ!もしかすると、これでぼくの失われた青春も取り戻せるかもしれない!
とはいえ、呪いは完全に解かれたわけではなく、それからも長きにわたって実家に帰るたびに「おいら」に戻ってしまうのだった。
最後に、この文章を読んだ人にお願いしたい。周囲で一人称を変えた人がいたとしても、嘲笑などもってのほか、そのことに言及することもやめてあげてほしい。さもないと、知らないうちにあなたは一人称の呪いを発することになり、突如として周囲に高倉健や石原裕次郎、下手をすると孫悟空が出現して「オラ」、あるいはプロゴルファー猿が出現して「ワイ」、め○ろまさんが出現して「ワシ」などと言い始めかねない。
一人称の呪いは本当に恐ろしいのである。