擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

ハーバーマスの思い出

 昔、ぼくが大学院生としてイギリスに留学していたときのことだ。

 ぼくが所属していた大学院には、いろいろな国から留学生が来ており、当時は特に台湾や韓国から来ていた学生が多かった。彼らとは同じ極東アジア系ということもあり、パーティーなどでもよく話をした。

 そんななかで、韓国から来ていた大学院生がいた。名前ももう忘れてしまったが、ユルゲン・ハーバーマスについて勉強したいと言っていた。それならなぜイギリスに来ているのかという謎はあったが(ハーバーマスはドイツ人だ)、話をしていて楽しい人物だったのを覚えている。徴兵制について尋ねると「時間の無駄だ」とばっさり切り捨てたことも印象的だった。

 それからしばらくしてのことだ。ぼくが大学内を歩いていると、バス停のあたりで韓国人留学生が何人か集まっていた。挨拶をすると、彼らの一人がぼくに「○○のことを知っているか」と訊いてきた。ハーバーマスを勉強しにきていた例の彼のことだ。

 「知っている」と答えた。すると「He past away.」という言葉が返ってきた。

 変換に時間がかかった。原型はpass away、意味はdieの婉曲表現。変換が終了し、ぼくは笑顔を維持できなくなる。話によると、しばらく前に病を得て、そのままイギリスの地で亡くなったのだという。留学生たちは、彼の遺族がやってくるのを出迎えるためにバス停で待っていたのだ。

  正直に言えば、もし彼が亡くならなければ、ぼくが彼のことを思い出すことはほとんどなかったはずだ。だが、人の死は強烈な印象を残す。大学院生時代の留学から長い時間を経て、今またイギリスにやってきたぼくはたまに彼のことを思い出す。

 彼がどのような問題意識を持ち、ハーバーマスの何について知りたいと思っていたのかも分からない。そもそも、ぼくはハーバーマスが苦手だ。とはいえ、韓国でもハーバーマスの政治哲学はカネになるような話でもないだろうし、おそらくは純粋な学問的興味がそこにあったのではないだろうか。

 そんな学問的興味を持ちながらも、それに十分な時間を費やすことなくこの世を去ってしまった隣国の若き学徒を思うとき、ぼくは少しだけ背中を押されるような気持ちになる。