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擬似環境の向こう側

(旧brighthelmerの日記) 学問や政治、コミュニケーションに関する思いつきを記録しているブログです。堅苦しい話が苦手な人には雑想カテゴリーの記事がおすすめです。

『妖精作戦』から始まる高校生活

 前回は(も)かなり固い話だったので、今回は軽い話で。

 ネットで話題になっていたこの文章を読んだ。男女の違いはあるものの、「たまに10代の頃を思い出すと私は、本気で鬱になったり『うわああああああ!!!!』って頭を抱えたくなる」という部分には深く、深く共感した。というわけで、今回は(も)自分語りである。

 ぼくが高校生をやっていたのは、ちょうどバブル景気が最高潮を迎えて、それが崩壊するあたりの時期だ。そのころの景気は非常によく、「日本の土地を全部売ればアメリカが4つ買える」というような話がゴロゴロあった。しかし、当時はそれがどれだけ異常なことか、またはその後に「失われた20年」がやってくるなどとは想像だにしていない。

 さて、そんな時期に高校生をやっていたわけだが、むろんそんな景気動向とぼくの生活とはほとんど関係がない。「いいですよね、団塊ジュニアの人はバブルを体験できたんだから」みたいなことをたまに言われるが、身に覚えのない言いがかりである。だいたい、大学を卒業して就活をするころにはすでに氷河期だった(もっとも、ぼくは就活をしなかったが…)。

 高校生活に話を戻そう。とにかく、ぼくも(おそらくは)多くの高校生と同じく、肥大化した自意識を持て余し、今から思い返せば頭を抱えて転げまわりたくなるようなことを色々とやらかしていた。

 そんな当時のぼくにもっとも影響を与えた本を挙げろと言われれば、笹本祐一『妖精作戦』朝日ソノラマ)シリーズをおいて他にない。今で言うラノベの走りのような本で、最近のアニメでも頻出するような要素が数多く存在する。美少女の幽霊、繰り返す時間、不思議系美少女、既存アニメ作品のパロディ、エトセトラエトセトラ。

 大まかなストーリーは以下の通り。地球人の宇宙開発を阻止しようと立ちはだかる謎の宇宙勢力。対する地球人側は宇宙軍を極秘裏に結成し、対宇宙人戦争へと突入する。その戦争のために必要とされたのが、超能力を持つ人間であり、その能力の兵器転用であった。この小説のヒロインは自らの超能力を利用しようとする宇宙軍から逃れ、日本のある高校に転校する(ここに、けっこう無理があるような)。その高校でヒロインは主人公たちと出会い、様々なトラブルに巻き込まれていく。

 ぼくはこのシリーズが大好きで、繰り返し読んだことを記憶している。しかし、だ。現実のぼくの高校生活は、まったく平々凡々たる、というか惨憺たるものであった。言うまでもなく、超能力少女との出逢いも、南の無人島でのロマンスも、宇宙ステーションでの逃亡劇も存在しない。現実はと言えば、好きになった女の子にふられたばかりか、その噂が広がり、新たな恋など望むべくもなかった。何を間違えたか体育会系の部活に入ってしまったために、平日の放課後はつねに疲弊していて、日曜日はゲームか読書かに費やしていた。成績は下から数えたほうが早く、というか下から数え始めたら「えっ、もう?」というぐらいでぼくの名前が見つかったはずである。

 そんななかで、ぼくは現実を物語に近づけようとした。彼女は無理としても、少しでも物語に出てくるようなドキドキワクワクの高校生活にしたい。そうなると重要なのが文化祭である。最近のアニメで言えば『氷菓』もそうだが、『妖精作戦』シリーズ第2巻『ハレーション・ゴースト』は文化祭をテーマにした作品である。ここまで書いていて、再び頭を抱えて転げまわりたい衝動に駆られてきたが、めげずに続ける。

 さて、物語に出てくる高校文化祭というのは、実に華やかである。徹夜での準備、同時並行的に発生する様々なイベント、甘酸っぱいエピソード、エトセトラエトセトラ。しかし、である。ぼくが通う高校の文化祭はそれほど華やかではなかった。クラスの出し物を決める話し合いでは「面倒くさい」というムードが蔓延し、「とりあえず模擬店で良くない?」みたいな流れになっていた。しかし、どう考えても模擬店は盛り上がりそうにない、と当時のぼくは思った(今にして考えれば演出次第で面白くもなりそうだが)。そこでぼくは演劇をやるべきだと主張した。そして、どういうわけか、それが通ってしまったのである。
 さらに、これもどういうわけかその演劇の脚本をぼくが書くことになってしまった。元ネタはマンガだったが、これも今にして思えば実に文化祭の演劇に向かない作品であった。しかし、その作品をチョイスしたのもぼくだったので自業自得としか言いようがない(ちなみに、その次の学年でも演劇の脚本の一部を書いたが、その作品のチョイスはぼくではなかったので罪悪感はそれほどない)。
 そして、完成した作品は、………うん、まあ、ごめんね、という出来であった。

 他方で、この演劇と平行して、ぼくは当時の流行であるバンドブームに乗ることになったぁぁぁぁぁぁうあああああああぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁあああ、やめろおおぉぉぉぉおぉ。い、いや、続ける。

 とにかく、バンドブームにのっかって、ぼくはギターを練習するようになっていた。しかも、どういう流れか、いきなり文化祭でバンドをやることになってしまったのだ。ぼくを除くドラム、ボーカル、ベースの3人はとても上手だった。そのなかに、ほとんどドシロートのぼくが入ってしまったのだ。演奏曲目は5曲。しかし、そのうちの1曲にはぼくは参加せず4曲だけを演奏する流れだった。

 しかし、である。それらの曲の多くは、正直ぼくの手に余った。練習をしても指が追いつかない。リズムが取れない。さらに追い打ちを掛けるように、文化祭の直前にぼくは原因不明の高熱を出してしまい、その間はほとんど練習できなかった。

 そして本番。あまりの緊張に指が動かない。しかも、ギターのアームを付け忘れるという大失態。「ここ!」と思い、ギターを見たとき、そこにあるべきアームが無かったことの衝撃は今でも忘れられない。

 演奏後、うなだれながら友人に「どうだった?」と尋ねると、「う~ん、なんかあんまりよく聞こえへんかった」と言ってくれた彼の優しさも忘れない。その後、ぼくは罪悪感から人前でギターを弾くことは避け、大学に入るころには止めてしまっていた。というか、基本的に楽器あるいは音楽全般に向いてなかったのだと思う。

 この文化祭での顛末で、ぼくは高校生活に期待することを止めた。時折、「あの子、かわいいなあ」などと思うことはあったが、アプローチすることもなかった。それでも翌年の文化祭では、「これまで文化祭で使われなかった場所を使う」というコンセプトのもと、プールを使ってクラスの男子生徒が競泳をし、それをリアルタイムで全校に放送して順位を当ててもらうという企画を提案した。あっさり却下された(当たり前だ)。

 そうして悶々とした時間を過ごしたあと、ぼくの高校生活は終わった。卒業式のあと、友人二人と校内を歩いていると「○○くん、一緒に写真撮ろうよ」と女子に言われて一人抜け、「やっぱり、アイツはモテるよな」と言いながらまた歩いていると「☓☓くん、一緒に写真撮ろうよ」と別の女子に言われてもう一人が抜け、口元に微笑を浮かべながら一人で帰宅したのは良い思い出である。さらに大学に進学後、『サンデー毎日』の進路情報で、出身校からぼくの大学に進学した人数が「1」だったのを見てほっとしたのもこれまた良い思い出である。

 このように、ぼくの高校生活は惨憺たるものだった。そこから無理に教訓を引き出すとすれば、現実を無理に物語に引き寄せようとすべきではない、ということだろう。現実は現実であり、パンをくわえた美少女と街角で衝突し、そこからロマンスが生まれることなど存在しないのである。文化祭にしても、模擬店でも何でも滞りなく無事に済めばそれで良いではないか。普通に部活をやって、普通に勉強をする。クラスの話し合いでは大人しくし、無駄な発言はしない。そうすれば、後になって頭を抱えて転げまわることもないはずだ。

 しかし、ここまで書いてみて、そういう高校生活というのは意外とつまらないかもしれないとも思う。頭を抱えて転げまわることもない代わりに、記憶にも残らない平々凡々な3年間だけが過ぎていくかもしれない。そう考えると、自分には向かないことばかりに手を出し、山ほど恥をかいた3年間も、悪いことばかりではなかったのかもしれない。

 いや、きっと妄想だな、これ。