なぜ剽窃は起きるのか
(以前のツイートのサルベージ)
論文の剽窃というのは、研究者としてもっともやってはいけない行為だ。見つかれば職を失う。それにしても、なぜ剽窃などしてしまうのだろうか。普通の研究者であれば、剽窃にならない引用の仕方など習得しているはずだ。
ところで、論文を書くというのは、けっこう大変な作業である。そのわりに、僕みたいなへっぽこ研究者の場合、引用されることはまずないし、そもそも読者が存在するのかすら怪しい。実は編集者しか読んでいないのではないかとすら思う。若手のうちはそれでも頑張れるが、歳を重ねてくるとさすがに虚しさも感じる。
「自分が面白いと思っていることは、実は他人にとって面白いことではない」ということも痛感するようになる。一生懸命調べて、面白くなるように工夫をして書いても、反応は皆無。それが延々と続く。延々と、延々と。
そこで、ある考えが脳裏をよぎる。
「どうせ誰にも読まれないんだったら、剽窃をしてしまえばいい…」
剽窃は、手抜きなのではない。学術の禁忌を密かに侵すことで、自分の文章を読もうとしない、評価しようとしない世間に対して復讐しているのだ。世間がコピペも見破れないのであれば、自分がいくら優れた文章を書いたところで評価できないのも当たり前だ。剽窃をすることこそが、世間が認めようとしない自分の尊厳を守ることなのだ…。
なんていう妄想が、誰にも読まれないであろう論文を書いているときに頭に浮かんだ。もちろん、剽窃なんかしないよ!